crime doll W


雪の中、放り出された路地裏。
周囲が夜の闇に包まれる中、小さな街灯だけが辺りを照らしている。
長い間その場にうずくまっていたサクラは、ゆっくりと立ち上がる。
身体がぎしぎしと音をたてているような気がする。
先ほどまではひどい痛みで呻き声が止まらなかったが、寒さで身体の感覚がなくなり、何とも思わなくなってしまった。

ことあるごとにサクラに暴行を繰り返す両親。
夫婦仲の悪い事が原因かもしれないが、大人の事情にはサクラには分からない。
サクラが口を開けば暴力の度合いが増すだけだ。
かといって黙り込んでいても、可愛げがないと罵られる。
針の筵のような場所だが、幼いサクラには他に行くところがなかった。
謝れば、家の中に入れてもらえる。
サクラはか重い足を引きずりながら家の戸口まで向かう。

扉を叩こうとしたとき。
かすかに耳に届いた、悲鳴。
サクラは聴こえた方向へ顔を向ける。
雪が音を吸収してしまい、殆ど物音を聞き取れない。
だが、サクラは聞き間違いとは思えなかった。
切羽詰った女性の叫び声。

サクラなその場所へと足を踏み出していた。

 

まず視界に入ったのは、真っ赤な人間。
いや、人ではない。
それはサクラが絵本で見たことのある悪魔そのものの外見をしていた。
刃物を片手に、血の滴る肉を楽しげに切り刻んでいる。
吹き出した血に身体を染めながら。
白銀の世界で、その場所だけが異色だ。

サクラは声もなく立ち尽くす。
やがてサクラの気配に気付いた悪魔が、建物の陰から覗く彼女を振り向いた。
目が合った瞬間、悪魔は薄く微笑む。
顔の造作は全く違うのに、それはサクラのよく見知った顔と同じ表情だった。
サクラを殴りつける両親と。

「駄目だなぁ。子供は寝てる時間だよ」
距離を縮めてくる悪魔に、サクラの方はまるで動きがない。
ただ、まっすぐに悪魔を見据えている。
屈みこみ、サクラと目線を合わせた悪魔は不思議そうに訊いた。
「逃げないの?」
「・・・どうして」
逆に問われ、悪魔の顔から薄笑いが消える。
「だって、怖いだろ。俺のこと」
「怖くないわ。だって、あなたの仲間、私の家にもいるもの」
悪魔はわけが分からず小首を傾げた。
試しに血のついた刃物をサクラに掲げてみたが、彼女は眉一つ動かさない。
怖くないということが真実だと悟る。

「・・・つまらないな」
悪魔は興味を失ったようにサクラから身を離す。
彼にとっての快楽は泣き叫ぶ人間の息の根を止めること。
肉に刺さる刃物の感触だけ。
恐怖を感じていない人間を殺しても、何の楽しみもない。
かといって、サクラをこのまま放置しておくのも危険だ。
暫し思案した結果、悪魔はサクラに妥協案を提示する。

「お前の家にいる悪魔、俺が殺してやる。だから俺のことは誰にも言うな」

サクラは考える。
否定の返事をすれば、悪魔は家にいる両親のように自分を殴るかもしれない。
肯定すれば。
両親が消える。
サクラは痛い思いをするのも、寒さの中凍えるもの、もう嫌だと思った。

小さく頷いたサクラに、悪魔は満足そうに微笑んだ。

 

里の自衛団が現場に到着し、サクラが保護されたのはそれから5時間ほど後のこと。
サクラは血まみれの両親の傍らで、温かな毛布にくるまりながらすやすやと寝息をたてていた。
それは彼女にとって物心ついてから初めての安眠だった。

 

 

「サギリの変貌は、なかなか上忍試験に受からなかったことのストレスではないかと言われている。本当のところどうなのか、本人にしか分からないがな」
「・・・そうですか」
カカシは調査官の言葉に、神妙な面持ちで頷く。

切り裂き事件の詳しい取り調べはカカシの元から別の部署に移っている。
サギリは今、精神鑑定の結果待ちだ。
異常が認められれば一生出ることの適わない病院送り。
正常だったとしても、すぐさま処刑台送り。
どのみち、あのような忌まわしい事件は再び起こることはない。

そしてこの日カカシが調査官の元を訪れたのは、サギリのことを訊きたかったからではなかった。
「あの・・・」
「そうそう、そういえば、あの事件の子供。サクラって言ったっけ?」
カカシが訊ねる前に、機を制して調査官が声を出す。
「あの子の引き取り手が決まったよ」
「本当ですか!」
「あ、ああ・・・」
カカシの喜びにあふれた声に圧倒されたのか、調査官は少々どもりながらも言葉を続ける
「例の処置をしたあと、早々に預けられるそうだ」

子供には重い事件の全貌。
心的障害が残るかもしれないという考慮から、サクラの事件についての記憶、そして両親による虐待の記憶は全て消されることとなった。
その状態で、彼女を育ててくれる親元を探していたわけだが、今回ようやく見つかったらしい。
胸のつかえがようやく取れ、カカシは久方ぶりに晴れやかな笑みを浮かべた。
今日明日にも、記憶抹消の処置がされるはずだ。
会えるのも、これが最後。
カカシは一抹の寂しさを感じがならも、サクラの明るい未来を嬉しいことだと思っていた。

 

「サクラ」
呼びかけると、庭で遊んでいたサクラがカカシに向かって駆けて来る。
すっかりサクラに懐いてしまった仔猫が抱えて。
「会いに来てくれたの?」
「そうだよ」
カカシはくしゃくしゃとサクラの頭をなでる。
サクラは嬉しそうに顔を綻ばせた。今、サクラは一時的に調査官の家に引き取られている。
事件解決以来、カカシは頻繁に彼女に会いに来ていた。

お互いの近況を話した後、サクラはカカシにためらいがちに訊ねる。
「・・・ねぇ。あなたの名前、教えて」
言われて、カカシは初めて自分がまだサクラに名乗っていないことに気付いた。
サクラの心を開くことにやっきになっていて、一番大事なことを伝えていなかったらしい。
カカシは苦笑まじりに答える。
「カカシだよ。はたけカカシ」
「・・・カカシ」
反芻すると、サクラはふふっと笑う。
「素敵な名前ね」
「え、そう?」
カカシが名乗ると大抵「変」という返事が返ってくる。
そして、それが男だった場合、拳骨が飛ぶのだけれど。

「じゃあ、俺、そろそろ行かなきゃ。任務が入ってるから」
サクラは名残惜しく思いながらも、素直にカカシから手を離す。
門の外まで見送り、サクラは手を振りながらカカシに声をかけた。
「またね」
カカシはにっこり笑ってサクラに応える。

また、などない。
次に会ったとき、サクラはカカシのことを忘れているはずだ。
また、事件に関わるものは、徹底的にサクラの前から排除される。
事件解決までの間サクラに接する時間の多かったカカシは、最もサクラに会ってはいけない人物だ。

一度サクラに手を振った後、カカシは二度と振り返らなかった。

 

 

数年後、一生サクラに会うことはない、というカカシの予想は見事に外れることになる。
生徒としてカカシの前に現れたサクラ。
名字が変わっていても、見紛うはずもない。
サクラの方は、当然カカシのことを全く覚えていなかった。
そのことに、カカシは安堵の吐息をもらす。

再会をはたしてから数日後、カカシは偶然街中を一人歩くサクラと出会った。
彼女は手に大きなバスケットを持っている。
「サクラ」
声が聞こえたのか、サクラはきょろきょろと辺りをうかがった。
夕日が沈みかけ、辺りはすでに暗くなりかけている。
そして、ようやくカカシの見つけ、サクラは嬉しそうに駆けて来る。
「カカシ先生」
その姿は昔と少しも変わらない。

思わず目を細めたカカシに、近づいてきたサクラは怪訝な表情をする。
「何?」
「いや、何でもないよ。こんな時間にどっか行くのか」
「ううん、友達の家で話し込んでたら遅くなっちゃって。もう帰るのよ。うち、門限やぶると、親が煩いから」
ふてくされた表情で言うサクラに、カカシの顔に不安がよぎる。
「・・・仲、悪いのか」
「そんなことないわよ。いつも口煩いけど、お父さんもお母さんも私のこと大切に思ってるからだって、分かってるもの」
微笑むサクラに、カカシも安心して笑った。
ずっと気がかりだったことだ。
サクラが良い里親に引き取られたのだと分かって、カカシは心から嬉しかった。

「そういえば、それ、何?」
カカシは先ほどから視界に入る大きなバスケットを指差す。
「ああ、これ」
サクラは手にしたバスケットを開き、中身をカカシに見せる。
入っているのは、小さな仔猫。
カカシは目を丸くしてそれを見詰めた。
以前カカシがサクラに与えた仔猫にそっくりだ。
だけれど、あれから何年も経過している。
これがその仔猫のはずがない。

「友達の猫が子供を産んで、飼い主を探していたから貰ってきたの。前に飼っていた猫とあんまり似てたものだから気になっちゃって。その猫は随分前に死んじゃったんだけど」
「・・・へー」
「名前はね、前の猫と同じのにしようと思ってるんだ」
「ふーん」
生返事を返すカカシは、サクラに問い掛ける。
「どんな名前」
サクラは悪戯な笑みを浮かべてカカシを見た。

「カカシ」
突然名前を呼ばれ、カカシは驚きに目をむく。
「え?」
訊き返すと、サクラはからからと笑った。
「だから、カカシ、よ。前飼っていた猫の名前、カカシっていうの。良い名前だと思って私がつけたのに、皆「変」だって言うのよね。下忍になったら、担任の先生の名前がカカシだっていうから、私、内心すっごく可笑しかったのよ」
笑い続けるサクラに、カカシは唖然とした表情で彼女を見詰めた。

完璧だった記憶消去の術。
それでも。
心のどこかでサクラはカカシのことを覚えていたのだろうか。

 

「あれ、先生?」
笑い止んだサクラは、黙り込んだカカシの顔を覗き込む。
カカシはサクラを見て、呟くように言った。
「・・・サクラ、俺が両親に連絡するから、どっか夕飯食べに行こうか」
「え、本当!?」
サクラはカカシの誘いに飛びつく。
「おお。好きなものおごってやるぞ」
何故か浮き立つ心で、カカシはサクラに笑いかけた。


あとがき??
最初に考えたとおり進みました。良かった良かった。
『炎人』の「crime doll」に影響されて書いたってのはTで言いましたが、「watcher」も入っていたらしいです。(^_^;)
基本的にTの部分(ちょっとU)を書きたかったので、以降はテンション下がりましたね。
ところで、これはカカサクだったのだろうか。うーん。


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