sound of silence 1
その街は国で一番の古都という呼び名にふさわしく、名所となる寺院や旧跡が多く見られる場所だった。
古めかしい煉瓦の建物は、趣はあるが、若い世代の人間の興味を引くものではないらしい。
観光客を除いて、若者の姿があまりない地味な印象がある。時報の鐘が重々しく鳴り響く中、一人の男が石畳の路を懸命に走っていた。
血の流れる腕をかばいながら。
追っ手の姿はなくとも、殺めた人間の仲間が彼を捜しているのは確実だ。
少しでも、距離を取って身の安全を確保しておきたかった。長く、白い塀に覆われたその建物が何であるか確かめる間もなく、男は勝手口のドアを開けていた。
木々に囲まれた庭は、どこかの貴族の邸宅だろうか。
植え込みの中に倒れ込むと、男はほっと安堵のため息を付いた。
どれくらいそうしていたのか。
出血のため半ば失神するように深い眠りについていた男は、近づいた人の気配に耳をそばだてる。
まず最初に、植え込みの男の顔を覗き込んだのは犬だった。
「うわっ」
ぺろりと顔をなめられ、男はたまらず声をあげる。慌てて立ち上がると、犬の飼い主なのか、目を丸くして立つ少女を見付けた。
街娘の衣装を身に纏った、10代前半の少女。
騒がれたらことだと男は身構えたが、彼女は一言も言葉を発さなかった。
ただ、おどおどとした様子で男を見詰めている。「道を間違えてここに入り込んだんだ。怪しい者じゃない」
白々しい嘘を並べても、彼女は口元に手を当てて沈黙している。
全身から怯えの気配を滲ませる彼女に、男はようやく気付く。
「・・・君、しゃべれないの?」
その問いに彼女は答えようとしなかった。
正解か、よほど警戒されているかの、どちらか。「まぁ、別にいいけど。すぐ出てくから心配しないで大丈夫だよ」
男は服についた泥を叩くと、じゃれつく犬の頭を撫でて扉へと向かう。
扉の鍵は内側からかけるもののようだが、それが壊れて男はこの敷地に入りこめたらしい。
「・・・直さないと、不用心だね」
振り返って彼女に声をかけると、男は扉の向こうへと消えていった。
「サクラ」
背後の声に、少女はびくつきながら振り返る。
「今、ここに誰かいましたか?」
尼僧に訊ねられ、サクラは思わず首を横に振っていた。
そしてすぐに、自分自身の行動が信じられずに、愕然となる。嘘を、ついてしまった。
見習い修道女として、あるまじき行為だ。
どうして自分がそうした行動をとったのかは、サクラ自身にもまるで分からないことだった。
「あの建物、修道院だったのか」
「そうよ。結構有名なんだけど知らなかったの?カカシさん」
「・・・・昨日、この街に来たばかりなんだよ」
人を小馬鹿にしたような声音に、カカシは憮然とした面持ちで答える。少々仲良くなった飲食店のウェイトレスは、この街のことを何でも話してくれた。
カカシの逃げ込んだあの建物が中世からある良家の子女が集まる修道院であること。
あの少女はまだ誓願をたてていない見習い修道女で、正式な尼僧になるまで声を出すことを禁じられた身であること、など。
薄紅色の髪と緑の瞳の、いとけない少女の顔が思い出され、カカシは不思議でならなかった。神に仕えるとは名ばかりで、敷地から一歩も出られず、口も聞けず、鳥のえさのような食事で、祈りを捧げるだけの窮屈な生活。
囚人よりも不便だと思うのは、自分だけなのか。
そうした生活を、まだ幼い彼女がどうして選んだのか。
または選ばされたのか。
思案にふけると、どこまででも疑問は増えていく。
何故彼女のことがこんなに気になるのか、それがカカシの一番の謎だった。
「やぁ、まだ鍵を直してなかったんだね」
「・・・・」カカシが昨日と同じ時間にその場所を訪れると、サクラも彼を待ちかまえているかのように立っていた。
彼女の服装は昨日と違い、上下白の尼僧服。
正式な尼僧になると黒のものに代わるが、形は変わらない。
体の露出を防ぐ厚ぼったい衣装のせいで、彼女の綺麗な薄紅色の髪が見えないことは、カカシにはもったいなく思えた。「見違えた。そうしてると、本当に尼僧みたいだ」
カカシは朗らかに笑ってサクラを見たが、彼女は戸惑った表情をしている。
サクラの視線はカカシの腕へと注がれていた。
昨日、怪我をしていたのが気がかりだったが、声を出すことは禁じられている。
サクラの瞳に不安の色を見出して、カカシは少し寂しげな顔になった。「まるで、独り言だな。君が何でここに入ったのか知りたかったんだけど、無理だね」
「・・・・」
サクラは驚いてカカシを仰ぎ見る。
「これさ、俺の連絡先」
住所が書かれた紙切れを、カカシは無理矢理にサクラに握らせる。小さな手は、凍えそうなほど冷たく、華奢だった。
寒い中、かじかむ手をこすりながら来るかどうか分からない自分の来訪を待つサクラの姿が、カカシの脳裏を過ぎる。
腕を引くと彼女は驚いた顔をしたが、抵抗するわけでもなく、すっぽりとカカシの腕の中に収まった。
温もりが、服越しに伝わってくる。
吐く息は白いのに、互いの心は火よりも熱く感じられた。「あと、一週間はこの街にいるよ」
二人のやり取りを窺っている者がいることに、彼らは全く気付いていなかった。
あとがき??
えへ。パラレルカカサクvvもう名前を書かないと誰が誰だか分かりません。(汗)
ごめんなさい。
元ネタというか、そのまんま藤原薫先生の『思考少年』「hope」を模してます。一言も言葉を交わさず恋に堕ちるってのは、あるんでしょうか?
何だか、ロマンチックな。
『隣りの家に住む人』と同じテーマなのに、雰囲気がまるで違う。なにゆえ・・・・。
あっちは殺し屋と少女、こっちは殺し屋と修道女。
尼僧の恋、というと、『sparrow』を思い出しますね。94年のイタリア映画。
尼僧ゆえに、叶わぬ恋。しかも、相手は妹の旦那。
激しい想いに耐えかね、主人公がどんどん狂っていくのが怖かった。「hope」は悲劇なんだけれど、ラストに少しだけ希望を見付けることができます。でも、それゆえ哀しかったりする。