塀をこえて


上忍専用の独身寮は木ノ葉の里の中枢区域にあった。
ぐるりと塀に囲まれ、民間の人間は入りにくい空気がある。

夜毎、その塀を越えなければサクラはカカシの部屋に入ることができない
塀はそう高いものではなく、見張りの忍びもサクラがどこに行くのか承知していて咎められることはない。
だけれど、サクラにはこの塀がひどく忌々しいものに見えた。

 

 

「・・・帰るね」
「ん」
サクラが衣服を着終えた頃には、カカシはベッドの中でまどろんでいた。
早朝から任務が入っていたらしく、今日のカカシはサクラが何を言っても精彩を欠いている。
窓から白み始めた空を見詰め、サクラはせわしなくコートを着込む。

「先生」
玄関口で振り返り、サクラはカカシに向かって声を掛ける。
夢の中にいるカカシにはたぶん聞こえていない。
分かっていたからこそ、サクラはその言葉を言った。

「私、妊娠したみたい」

 

 

 

それから一週間、サクラはカカシの家を訪れなかった。
下忍時代からほぼ毎日の習慣が途切れ、サクラは妙に落ち着かない気持ちになる。
自分の部屋で夜を過ごすことは、本来なら当然のことなのに。

カカシからは何の連絡もない。
突然来なくなったのだから、少しは心配してもいいとサクラは思う。
だけれど、カカシは姿を見せず、電話一つよこさない。

カカシにとって、サクラはそれだけの存在だったということか。
または、サクラのあの言葉が聞こえていて、煩わしく思ったのか。
どちらにせよ、サクラにとって良い状況とは言えない。

 

サクラには、カカシの住処にある塀は、そのまま二人の距離を示しているように思えてならない。
サクラは何度も、何度も、カカシの部屋へと赴いたのに、カカシが塀を越えてサクラの部屋に来たことは一度としてない。
サクラが好きだと告白しても、カカシは笑っているだけだった。
あの塀は、まるでサクラの片恋の象徴のようだ。

腹に宿った命をどうするかということで、サクラはずっと悩んでいる。
十代のサクラに、一人で子供を養いながら生活していくだけの能力はない。
となると、残された道は決まっている。

自室のベッドに横になった状態のサクラは、滲んできた涙を手の甲で拭った。
自分の気持ちに正直に行動した結果で、後悔はしていない。
でも、涙はどうしても止まらなかった。

 

 

夜の暗闇の中、暖房も電気も付けていない部屋に閉じこもっていたせいで、体が冷え切っている。
気持ちを落ち着けるためにも、サクラは風呂に入って温まろうと体を浮かしかけた。
ちょうどそのとき、窓を叩く音が部屋に響き、サクラはびくりとして窓の外を見る。

「・・・カカシ先生」
呟くと同時に、サクラは目をこすった。
いるはずのない人がいる。
どう考えても幻覚だ。
サクラが瞬きを繰り返す間に、どのように鍵を開けたのかカカシは部屋に侵入してきた。

「サクラ!!」
怒鳴り声と共に両肩を乱暴に掴まれ、サクラは驚きに目を見張る。
「子供、子供はどうした!」
「は・・・、えぇ?」
厳しく問い詰められ、サクラは言葉をどもらせる。
動揺して、何をどう答えたらいいのか分からない。

「子供は!!?」
「お、お腹の中です!」
しびれを切らしたカカシの大声に、サクラはしごく真っ当な返答をする。
カカシに食い入るように見詰められたサクラは、その手の力が徐々に緩んでいくのを感じた。

 

「良かった・・・・」
崩れるようにして座り込んだカカシを、サクラは当惑して見下ろす。
「どうしたの。一体」
「サクラが早まったことしないか、心配で心配で」
何故かカカシの声は涙が混じっているような気がした。
サクラにはよけいにわけが分からない。

「何で今頃そんなこと言ってくるのよ」
「いなかったんだよ、俺。今まで里に」
土足で上がり込んだことを気にして、カカシは屈んだ姿勢のまま下履きを脱ぎ始める。
「サクラが出ていった直後に緊急の呼び出しがあって、里を離れてたんだ。もう、サクラのことが気になって任務どころじゃなかったよ」
カカシは怒っているような口調で言う。
任務先から自宅に帰ることなく直行したのか、重い荷物を背負ったままだ。

「それで、これがお土産」
カカシは鞄を下ろすと、取り出した小箱をサクラに差し出す。
中から出てきた大粒のダイヤのリングと「結婚しよう」のカカシの言葉は、サクラを仰天させるに十分だった。

 

 

「・・・先生」
「ん?」
にこにこ顔でサクラの答えを待つカカシに対し、サクラは唐突にパンチを繰り出した。
意表を突かれたカカシはそれをまともに顔面に受け、床に倒れ込む。
「な・・・」
「順番が違うでしょ!!!」
何するんだ、というカカシの言葉は怒りの形相のサクラによって遮られた。

「もっと、好きとか、愛してるとか、そういうことを言ってくれてから結婚でしょ!!大体、先生待ってるだけで、一度も私の家に来てくれなかったじゃないのよ。義務感だけで籍を入れるとかいうのなら、お断りよ!」
途中からサクラの顔には泣きが入っていた。
だけれど、何とか最後まで言い終えると、サクラは肩で息をしながらカカシを睨み付ける。
ただただ唖然とした顔でサクラを見上げているカカシは、何と言ったらいいのか分からない様子だった。

「言わなくても、分かってるかと思って・・・」
「分からないわよ、全然!!それに、分かってても女の子は言って欲しいのよ!私が、この一週間、どんな、気持ちで・・・」
堰を切ったように話し続けていたサクラは、こみ上げてきた涙に声を詰まらせる。
掌で顔を覆い嗚咽を漏らすサクラに、カカシは肩を落として俯いた。
「・・・・ごめん」

素直に謝罪したカカシへと、サクラは顔を向ける。
サクラの目に、うなだれるカカシは、本当に反省しているように見えた。
カカシが何も反論しないことで、サクラの怒りは急速にしぼんでいく。

 

「・・・もう、いいわ」
カカシの目の前で屈んだサクラは、そのままカカシに抱きついた。
任務後の汗と埃の匂いも、カカシのものだと思うと少しも嫌ではない。
背に置かれた暖かな手にこれ以上ないほど安心できて、つい先ほどまで、不安で胸が張り裂けそうだったことが嘘のようだ。
カカシと目が合うなり、サクラは穏やかに微笑んで言った。

「先生は塀を越えて来てくれたから、許してあげる」

不思議そうな顔で見つめてくるカカシに、サクラは笑いながら唇を合わせた。


あとがき??
私の駄文は、カカシ先生とサクラの間に子供がいる話はあるけれど、受胎告知の話がないと指摘されたことがありまして、それで書いてみました。
これが、意外に楽しい。
もう一本書きます。この話とは別の話で。
そっちはカカサクナル。というか、ナルトの方がメイン。
ナルトが可哀相なのは目に見えてるんですが・・・・。
でも、私はナルト好きー。


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