鍵 2
魚売りが天秤を担いで往来を歩いている。
サクラのいる廊下からは、塀の向こうの魚売りの姿は見えない。
だが、その声を聞いた瞬間に、彼女の足は貼り付いたようにその場から動かなくなった。
売り子と魚を買いに来た者達との会話に聞き入るサクラに、傍らにいたイルカは首を傾げる。
「魚、食べたいのか?」
「あ、違うんです」
取り繕うように笑顔を浮かべると、サクラは再び歩き始める。
奧の部屋から響いてきた風鈴の音が、夏の暑さを和らげているようだった。
カカシに勧められるまま屋敷に滞在し、教育を受け始めてから三ヶ月経つ。
教育係であるイルカは優秀な教師で、彼の授業は楽しかった。
カカシはサクラが望むものは次の日には必ず揃える。
もう隠れて勉強をする必要もなく、食事や衣服の心配をすることもない夢のような生活。
サクラにとって、これ以上ないほど満ち足りた毎日のはずだ。それでも、サクラは時折憂いをおびた表情でため息を付く。
脳裏をよぎるのは、遠い日にかわした約束。
どこにいるかも分からない彼を思い出すと、サクラはたまらなく切なくなる。
約束を違えた自分を、彼が許すはずがなかった。
「暑いのに。わざわざ悪いな」
「お世話になっている先生ですから、当然です」
玄関先までイルカについてきたサクラは微笑みながら応える。
一度扉を潜ったイルカは、振り返ってサクラを見やった。
「サクラ、今度、俺と一緒に一緒に外へ行かないか」
「え」
「前に話しただろ。俺が受け持っている他の生徒のこと。ナルトやいのが、お前に会ってみたいって言ってるんだ」
「でも・・・」
「きっと楽しいよ。家にいるばかりじゃ、つまらないだろ」
困ったように俯くサクラにイルカは語調を僅かに強める。
何か言いかけたサクラは、イルカの背後に立つ人物を見て、再び口をつぐんだ。「イルカ先生―、うちのサクラをナンパしないでくださいよ」
「か、カカシさん」
外から帰ってきたカカシに肩を叩かれたイルカは、飛び上がらんばかりに驚く。
「ナンパだなんて、そんな・・・」
慌てふためくイルカを見たカカシは、くすりと笑った。
「冗談ですよ。サクラにちょっかいだすような教師なら、こちらも雇いません」
「は、はぁ。お仕事はもう、終わったんですか?」
「ええ。先方の都合が急に悪くなって寄り合いが中止になったんです。だから、サクラの代わりに俺とデートしませんか」
「ええ!!?」目を丸くしているイルカの腕を強引に引っ張ると、カカシはサクラに向かって小さく手を振る。
「じゃ、いってくるね」
「いってらっしゃい」
手を振り返したサクラは、笑顔で二人を見送った。
「へー、もうそんないろんな教科を学んでいるんだ」
「凄いですよ、彼女。どの本も一度読むと全部覚えちゃうんです。もうカカシさんより博識かもしれません」
「ハハハ・・・」
熱く語るイルカに、カカシは乾いたら笑いで応える。
こう見えて、昔は神童と言われたカカシだ。
少なからずプライドが傷ついたカカシだったが、全く悪気のないイルカが相手だと怒る気もしない。
それよりも、今日わざわざイルカを誘って外に出たのは、聞きたいことがあったからだった。茶店の団子を一つ頬張ると、カカシは湯飲みに手をやりながら傍らを見る。
「サクラ、時々沈んだ表情になると思いません?」
「あ、カカシさんも気づいてましたか」
「一番近くにいますからね」
茶をすすったカカシは、往来を歩く人々へと目を向ける。
「父親はいないし、母親も病死。召使いとしてこき使われていたし、元いた場所に未練なんてないはずなのに・・・。何か、理由とか分からないかな。イルカ先生、沢山の子供を受け持っていて扱いには慣れているんでしょ」
「理由・・・・」
腕組みをしながらイルカは考え込む。
確かに、多くの子供に接している分、子供の心情はカカシよりは理解できるはずだ。
「誰か・・・・、会いたい人がいるんじゃないですか。母親や店の人以外に友達とか、もしかして、恋人とか」
イルカの思いがけない一言に、カカシは飲みかけの茶をこぼしそうになった。
「まだ12歳だよ」
「今の子は早熟ですからね。身分の高い人達の間では13、4で結婚なんてざらですし」
「・・・・」
あっさりとした返答に、カカシは無言になる。
考えてみれば、サクラの身の回りのことなど詳しく調べないうちに、攫うように屋敷に連れ込んでしまった。
恋人でないにしろ、親しい友人の一人や二人、いたかもしれない。「・・・サクラは、寂しいのかな」
「カカシさんは保護者としてよくやっていると思いますよ。物とか買い与えすぎだとは思いますけど、サクラはカカシさんを慕っていますし」
イルカはカカシを励ますように肩を叩く。
「でも、どんなに頑張っても、人は誰かの代わりにはなれませんからね」
俯くカカシに対し、イルカはしみじみと呟いた。
「ところで、何でサクラの名字は春野なんですか。カカシさんが養女にしたなら、はたけの姓でしょう」
「あ、春野は養子に行った伯父さんの名字なの。たてまえ上、サクラは伯父さんの子だから俺の従妹なのね」
「どうしてそんな遠回しことを」
「戸籍上、一度でも親子になると血が繋がってなくても結婚できないんだよ。それじゃ、後々困るでしょう!」
「は、はぁ・・・・」
拳を握り締めて熱弁するカカシに、イルカは目を瞬かせて返事をする。
サクラの保護者としての適性に暗雲が立ちこめた気がしたが、雇い主のカカシに向かって強いことは言えない。「あ、そうだ。魚を食べたいみたいですよ、サクラ」
「魚?」
「はい。魚売りの声にずっと耳を澄ましていましたから」
あとがき??
あんまり楽しくない・・・・。
3のための布石だからか?いや、カカサクでラブラブしていないからか??
頑張ろう。
この話、河村恵利先生の作品が元ネタだったのです。どれか分かった人がいたら天才です。
禁断恋愛マニアの称号を差し上げます。
『忍びのオンナ』で大体やりたかったこと書いてしまったので、以前考えていたネタと全然違う話な気がする。そういえば、これ、時代劇だったんだ。
カカシさんは貿易商を営んでいて裕福なんですが、そんなの作中には出てこないですね。
オランダを経由して、ヨーロッパのギヤマンを手に入れたりとか、代官と癒着していたりとか。
・・・悪代官!?越後屋?