下町の長屋に挟まれた場所にあるその井戸は、いつでも住人達の輪が出来ていた。
水くみや洗濯の女性達が集まり、世間話に花を咲かせる。
着流し姿の若者がそこを通りかかったのは、道中喉の渇きを感じたからだったが、井戸端会議をする彼女達の中には入って行きにくい。
どうしたものかと考えているときに、彼の真横を一人の子供が通り過ぎた。

「ちょっと、君」
呼びかけると、水桶を持った少女はすぐに振り返る。
「はい?」
「あのさ、水一杯でいいから汲んできてくれない?喉がからからなんだ」
「いいわよ」

井戸へと駆け出した少女は、椀に入れた水を両手で持ち、若者の元へと急いでとって返す。
椀受け取った若者はさも美味しそうにその水を飲み、満面の笑みを浮かべた。

「美味かったー!有難う」
「ただの水なのに」
「いやいや。君みたいに可愛い子が俺のために汲んでくれた水だから、普通の水より倍美味しいよ」
軽口を叩く若者に、少女はくすくすと可笑しそうに笑う。

 

若者の言葉は、あながち嘘ではなかった。
淡い紅の色をした彼女の髪はさらりと背に流れ、つり目がちな緑の瞳は知性の光を持っている。
このような下町にいるのが不思議なほど、魅力に溢れる少女だ。
「お母さんのお手伝い?」
足下に置かれた水桶に目を向けながら訊ねると、少女は微かに微笑んだ。

「じゃあね」
若者に手を振り、少女は水桶を片手に再び井戸へ向かって歩き出す。
若者はその後ろ姿を暫くの間見ていたが、彼女が振り返ることはなかった。

 

 

「あのような娘と親しくしない方が良いですよ、カカシさん」
「へ?」
再びぶらぶらと歩き出した若者に、声をかけるものが一人。
振り返った先にいたのは、知己である寺子屋の教師だ。

「あのような娘って?」
「あなたが先ほど話していた紅色の髪の子供ですよ。妓楼の者と付き合っていると、噂が立ちます」
「え!!?」
素っ頓狂な声と共に、若者は目を見開く。
「あの子、女郎屋の娘だったの!!」

 

ゆっくりと頷く彼を、若者は目を丸くしたまま見つめる。
まだ瞼に残る、全くすれた感じのしない、はつらつとした少女の顔。
それは、彼女が身を置いている店とは印象がまるで異なる。

だが、確かにあの界隈ではそういった店が数多く軒を連ねていた。

「そんな感じじゃなかった、けどなぁ・・・・」
「あの娘もいずれ客を取るようになるんです。御大身のあなたが、関わりを持つのにふさわしくないですよ」
忠告をすると、寺子屋の教師はそのまま踵を返した。

残された若者は、まだ首を傾げている。
思い出すのは、最後に見た彼女の寂しげな笑み。
交わした言葉など僅かだというのに、それは若者の心に小さな棘となって引っかかっている気がした。

 

 

 

 

次に若者がその少女を見掛けたのは、寺子屋の裏手の路地。
店の使いの途中なのか、荷物を背負い、中で行われている授業を熱心な様子で聞いている。
背伸びをして教室を覗く後ろ姿が可愛くて、若者は忍び笑いをもらした。

「やぁ」
後ろから肩を叩くと、少女はびくりと肩を震わせて飛び退いた。
自分を仰ぎ見る彼女の強張った表情に、声をかけた若者の方が驚く。
何か、若者が彼女に対して悪事を働いたかのような顔だ。

「え、何・・・」
「女将さんには内緒にしておいて、お願い!!」
必死に頭を下げる少女に、若者は戸惑いを隠せない。
「何を、内緒にしておけばいいの」
「私がここにいたこと。お使いの途中で寄り道をしてたのがばれたら、三日間ご飯抜きなの」
両手を合わせ、少女は若者に懇願する。

 

「・・・興味、あるの?」
「うん」
教室を親指で指して訊ねる若者に、少女はすぐに頷く。
「でも、言ってること、分かるの?字も読めないだろうし」
「分かるわ!毎日来てるんだから・・・」
途中、少女は「しまった」という顔で口元に手を当てた。

これで、内緒にしておいて欲しい話がさらに増えてしまった。
だけれど、若者には少女をちゃかすような雰囲気はなく、逆に悲しげな顔つきをしている。

「勉強したいんだね」
「・・・うん」
「女将さんに言ったことはあるの」
「あるわ。でも、女に学は必要ないって怒鳴られて、終わりよ」

 

 

黙り込んだ若者は、その場でしゃがみ込んだ。
小さな少女と目線を合わせると、若者は彼女の手を包み込むようにして握る。
あかぎれだらけの両手を見ただけで、彼女が普段どのような生活をしているか、窺い知れた。

「辛い?」
「平気よ。御店で働けるようになれば、もっと、いい暮らしが出来るもの」
「でも、何させられるか、分かってる」
「・・・・」

上目遣いに訊ねる若者に、少女は唇を噛みしめる。
おそらく、彼女がどのような場所にいるか知っていて訊ねる彼は、とても意地悪だと思った。

「お母さんはあの宿で私を産んで死んだの。私みたいの子は、生まれた瞬間に人生が決まっちゃうのよ」

少女は年齢に合わず、大人びた表情で呟く。
口端に微かな笑みを浮かべて。
先の見えている自分の人生に絶望し、何もかも諦めきっている。
そんな感情が、見え隠れした顔だった。

 

「大金持ちに引き取られて、幸せになる人生とかは?」

若者の言葉に目と口を大きく開けた少女は、次の瞬間、弾けるような笑い声をあげる。
「そんな夢みたいな話、考えたこともないわよ」
「じゃあ、実現させよう」
「・・・・え」

強引に腕を掴まれたか思うと、少女は若者の肩に荷物のように担がれた。
少女は顔を進路と逆方向へ向けた不安定な体勢になる。
何が起きたのか分からず呆然としていた少女は、往来で人々の注目を浴びているのを感じるなり、叫び声をあげた。

「や、止めて!!下ろして、離してよ!!!」
「君をこのまま連れて帰る。女将さんにはあとで話を付けるよ」
肩越しに振り向いた若者の顔は、笑顔だ。
足をばたつかせて抗議していた少女は、彼が自分に危害を加える気はないのだと知り、取り敢えず大人しくなる。
人一人を荷物ごと抱え、しかも暴れたというのに、道行く若者の足取りはしっかりとしたものだった。
いい加減な遊び人風の見掛けだが、それなりに腕は立つのかもしれないと少女は思う。

 

 

「・・・お兄さん、お金持ちなの?」
「長屋住まいの人達よりはね」
「私を囲う気?」
真顔で訊ねる少女に、若者は苦笑いをする。

「いや。伯父さんの養女になってもらってから、俺が引き取る気」
「随分と親切なのね。でも、私みたいな身よりのない子供を助けてたら、きりがないわよ」
「うん」
それは、少女の言うとおりだ。
軽い性格の若者だが、境遇に同情したからという理由だけで、こう思い切った行動は取らない。

「俺は君だから引き取りたいんだ」


あとがき??
ショックーー!遊郭カカサクをやりたいと思ったのに、店の描写は全く書けなかったわー。
時代は、明治と江戸が両方入った感じ。何か清らかなので、エロ禁止。がっかり!
寺子屋の教師はエビス先生なのですが、名前出てこなかったですね。サクラも。
続きがあるんですが、というか続きを書かないとタイトルの意味が分からないのですが、いろいろな意味で力つきたのでここまで。
気力が出てきたら、いつか続きを書く、かもしれない。
たぶんカカサクでべったべったです。(←ラブラブ)サスケもちょい役で登場します。


戻る