僕らの広大なさみしさ
「寂しがりやなのね」
布団の中でまどろむ朝の空気が好きだった。
起きてすぐ、熟睡するサクラの寝顔が隣りにあると、自然と温かな感情が心に流れ込んでくる。
堪えきれずに額にキスをすると、サクラはゆっくりと瞼を持ち上げ、綺麗な緑色の瞳を見せてくれた。
「おはよう・・・ございます」
「おはよー」言葉とは裏腹に、起きる気配のないサクラは窓から日差しが入らない方へと寝返りを打つ。
そのサクラの背中に体をくっつけて、胴回りに手を置いたときに言われたのだ。
寂しがりやだと。
自覚はないし、誰かに言われたこともない。
そう思った瞬間、ある違和感に苛まれて、サクラと同じように目を閉じてみた。誰かの体温が近くあると、気持ちが悪い。
触るのはまだ良いけれど、触られるのは嫌いだ。
だから、今までの恋人達には、事が終わると夜のうちに帰ってもらっていた。
どうしてサクラが相手だとそうした気にならないのか。
自分でも不思議だった。
7班が解散してから、家を空けて遠方に向かう任務が多くなった。
サクラは時折主人のいない家にやってきては、片づけや洗濯をして帰っていく。
うちに散乱しているものといえば、穴の空いたグラスに割れたメガネ、何年も前の新聞、etc.。
普通ならば捨ててしまうものを、サクラはきちんと整理して取って置いてくれる。
どれも自分にとっては思い入れのある品だった。
自分は馬鹿だから、人も、物も、大事だったことにいつも失ってから気付くのだ。
だから、今頃になって無駄に増えていく物を捨てることが出来ない。
そうした気持ちをくみ取ってくれるから、今までの恋人達とは違って、サクラに安心して留守を任せることが出来た。「寂しがりやなのね」
時々サクラの口から漏れるその言葉は、今はもう会えない人々との思い出の品に固執する自分を見ていたからかもしれない。
笑顔で手を振って別れた翌日に、友人が死んでしまうことは、この世界ではざらだ。
おかげで何か特別な日でなくとも写真を残すようになった。
窓際に飾ってある写真は年々増えている。
その中で、この世にいる友人、知人は半分だけ。サクラと、ただの教師と生徒の間柄ではなくなったのは、彼女からの告白があったからだった。
「ずっと好きだったの」
そう言ったサクラに、自分は苦笑したような気がする。
会ってからまだ数年、「ずっと」と言われても短い時間だ。
それでも真剣な眼差しで自分を見るサクラが可愛く思えたから、キスで応えたのを覚えていた。
それまで仲良くやっていたサクラと別れようと思ったのは、別にたいした理由があったわけではない。
ただ、大きな任務が入って、気持ちに区切りを付けたかったから。
さよならを告げると、サクラは動揺したようだった。
悪いところがあるなら直すと言われたけれど、問題はそのようなことではないのだ。
「何で」と泣いて訊ねるサクラに、「はじめから好きじゃなかった」と答える。
自分でも嫌になるほど冷静な声音だった。「別れるなんて、絶対に嫌。ずっと・・・ずっと好きだったんだから」
キッチンの包丁を取り出したサクラを鼻で笑う。
そのような物を持ち出しても、サクラが自分にかなうはずがない。
そして、聡いサクラがそれに気付かないわけがなかった。
刃を向けたのは、己の首筋。
止めようとしたときには遅かった。
意識がないまま、集中治療室で眠り続けるサクラ。
あやふやな気持ちのまま、仕事は順調に進んでいく。
そして家に帰ると、当然なことに、出ていったときと同様の散らかった部屋が出迎えてくれた。
何だろうか、この妙に冷めた感情は。躓いたことで開いた箱の中を見ると、がらくたとしか呼べないような物が詰まっている。
一番に目に付いたのは、見覚えのないピンクのハンカチ。
それを広げて見たとき、サクラの忘れ物だと思った。
刺繍をしてある名前は、確かに『SAKURA』と書かれているのだから。
でも、違った。随分と年季の入った、色褪せたハンカチ。
知らないと思ったのは、間違いだ。
段々と思い出されていく記憶。
これは、何年か前に自分でこの箱にしまい込んだものだった。
「寂しがりやなのね」
舌足らずの少女の声が耳に甦る。
親友が死んだ直後のことだった。
10年前、公園で知り合った幼い子供に言われたのだ。
暗い表情でベンチに座り込んでいた自分に、親切なその子供は声をかけてきた。
「友人が遠くに行ってしまって悲しい」と答えた自分に、少女はハンカチを差し出す。
涙は出ていないのに、彼女には自分が泣いて見えたという。「元気だしてね」
にっこりと笑った桃色の髪の少女は、緑の綺麗な瞳をしていた。
サクラを見るたびに、懐かしいと感じた翡翠の色。
街を歩いていたとき、公園を横切ったとき、日常生活のふとしたとき、どこからか視線を感じた。
それは気のせいではない。
「ずっと」という言葉は、あのときから始まっていた。
こぼれた涙がピンクのハンカチに染みこんでいく。
なくすのは決まって大事なもの。
大事なものだったと気づくのは、いつもいつもなくしたあとだった。
寂しいというのは、弱いという意味ではない。
時間を共有すべき大切な半身を捜しているということだ。
もうとっくに見つかっていたのに、自分には分からなかった。今度は自分が、サクラを待つ番だ。
寂しいのだと、いつでも胸にある、この不確かな感情に名前を付けてくれた彼女のために。
自分を見守っていてくれた、その瞳を開けてくれる日を祈って。
あとがき??
藤原薫先生の同タイトルの漫画が元ネタなはずなんですが、80%くらい別物になっている気が・・・・。
おかしいな。
最近、いろいろな事情で駄文書く気力が無くなりつつあり、元ネタがあれば書けるだろうかと始めたら、10分で書きあがってしまった短文でした。
自分でもよく分からないので、たぶんそういう話なのでしょう。