あなたの知らない世界・・・


「いくら上忍だからって、こなせる仕事の量は限度があるんですよ。最近ろくに眠っていないし、顔色、悪いでしょう。何だか人前に出るのが恥ずかしくて・・・・」
「はぁ、そうですね」
一応相槌を打ったものの、カカシの顔を見るイルカはその変化がちっとも分からなかった。
もともと、カカシの顔面の大半は額当てやマスクで覆われている。
顔色に気付けという方が無理だ。

カカシは任務報告の帰りにわざわざ職員室に寄り、イルカを相手に愚痴を吐き出している最中だった。
イルカはテストの採点中で机から動くに動けない。
ここで強引に席を立てないところが、人の良いイルカらしいところだ。
夜の職員室には彼ら二人しかおらず、救済を求めるイルカの心の声が聞こえたのか、部屋の扉が唐突に開かれる。

 

「あ、見付けた!こんなところでさぼって!!」
カカシの行方を捜していたと思われる紅の登場に、イルカは心から安堵の吐息をもらした。
だが、カカシの方は嫌な奴が来たと言わんばかりに顔をしかめている。
「何だよ、ちょっと一休みしていただけだってー」
果たして二時間は「ちょっと一休み」に入るのだろうかと考えながらも、イルカは来訪者を歓迎した。
「こんばんはー、紅さんもこんな遅くまで残業ですか」
「ええ。この馬鹿を連れ戻したら、今日は帰れるのよ」
微笑んでみせる紅だったが、カカシが火影の元に行くと言うまで仕事は終わらず必死だ。

「その後ろの箱は何ですか?」
見ると、紅は台車に大きな箱を乗せて職員室に運び込んでいる。
「ああ、カカシが渋るようだったら、これを使って動かせって、火影様が・・・」
「だから、労働基準法に違反しているんだってば。俺、有給があと半年分余っているんだからね。明日から休んでやる」
「まぁ、そう言わずに見てみなさいよ。あんたが好きな兎ちゃんよ」
「兎―?何、それ」
自分のすぐ目の前に箱を運ばれ、カカシはまだ不機嫌な顔つきだ。
「疲れているみたいだから。火影様がペットでも家に飼って癒しを得たらどうかって。火影様、随分と頼み込んでやっと譲ってもらったのよ」
「知らないよー、そんなの。犬ならともかく、兎なんて別に好きじゃないって・・・・・」
ぶつぶつと不満げに呟きながら、カカシは仕方なく箱の上部を開く。

 

 

けして見てはいけないものが、入っていた。

 

 

「可愛い兎だね!!」
一秒もしないで箱を閉じたカカシは、先程までの険悪な雰囲気はどこへやら、満面の笑みを浮かべて紅と握手をする。
「火影様に「有難う」って伝えておいて、仕事何でもするから」
「あら、有給はいいの?」
「こんな素敵なプレゼントをしてもらったら、働かないと罰が当たるさー、ハハハッ」
「そう、良かったわー。ウフフフ」
「あああああ、あの、あの、ちょっといいですか?」
すっかり動揺しきったイルカは、声をどもらせながら二人のにこやかな会話を遮る。
「い、今、中にサクラがいたような気がしたんですけど・・・・気絶している感じで」
「気のせいです」
「中身は兎です」
息のあった様子で返事をすると、カカシと紅は「突然何を言い出すのか」という表情でイルカを見やる。

「でも、でも、手足が縛られて口には猿ぐつわが・・・・」
「イルカ先生、疲れているんですよ。可哀相に、幻影まで見て」
「テストの採点は明日にして、今日はもう帰った方がいいんじゃないですか?」
気遣わしそうに言うと、二人は揃ってイルカの肩に手を置いた。
「・・・そうですかね。そういえば、最近ちょっと帰るのが遅くて、睡眠時間もあまり取れなかったような」
「やっぱり」
「イルカ先生、途中まで帰り道が一緒ですし、送っていきますよ。行きましょう」
そして、イルカは採点中の答案用紙を放り、半ば強引に紅に引きずられていく。
職員室の施錠を任されたカカシは笑顔のまま手を振って彼らを見送ったのだった。

 

 

 

 

それから数日、イルカはカカシと顔を合わせる機会もなく、平穏な毎日を送っていた。
だが、あのときに見た幻影は頭の隅にいつまでも残っている。
ここまで気になるのなら、何故もう一度中身を改めなかったのかとイルカは深く後悔していた。
そして、イルカがスーパーマーケットから出てきたサクラを見かけたのは、不可解な事件から三日ほど経過したある日のことだった。

「サクラ」
買い物袋を持って歩いていたサクラは、聞き覚えのある声に立ち止まる。
そして駆け寄るイルカの顔を見ると、口元に笑みを浮かべた。
「イルカ先生、こんばんは」
「ああ。サクラ、あの、何か身の回りで変わったこととかないか?」
「何ですか、突然」
必死な様子のイルカに、サクラは首を傾げる。
「昨日は何をしていた?」
「任務のあとは家に帰って、パパやママとご飯を食べたり、
TVを見たり、いつもと一緒ですよ」
「そ、そうか。ごめんな、変なこと訊いて」
胸の支えが取れたイルカは思わず笑顔になったが、次の瞬間、サクラは何故か暗い顔で俯く。
「・・・イルカ先生って、幸せな人ですよね」
ぼそりと呟いた声は、十代の少女のものとは思えない低い音程だった。

 

「え?」
「いいえ、何でも」
にっこりと笑ったサクラは、イルカに頭を下げて帰路に就く。
そしてイルカも鼻歌を歌いながら踵を返したが、その足は少しも行かないうちに止まった。
「・・・サクラの家の方角って、反対じゃなかったっけ?」
記憶違いでなければ、サクラが歩く道の先には上忍専用の宿舎がある。
確か、カカシもそこに暮らしていたはずだ。
「ま、まさかな。何かあっちの方に用事があるだけだよ、ハハッ・・・」
サクラの後ろ姿を見つめ、額の汗を袖で拭ったイルカは頭を振って自分の考えを打ち消した。

イルカの乾いた笑いに応える者はおらず、商店街は夕闇に包まれていく。
木ノ葉隠れの里は今日も平和だった。


あとがき??
イルカ先生は純なままでいてください・・・・。
サクラは兎というより、「ドナドナ」の子牛。


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