百物語 1


犬が、道端に倒れていた。
薄汚れた野良犬が空腹のために死ぬだけ。
道行く人は見向きもしない。
低所得層、極貧層が多く集まって住んでいる貧民街で、小さな命が消えることを気にする余裕などなかった。
立ち止まったのはただ一人、腕に沢山の荷物を抱える桃色の髪の少女だけだ。

サクラが犬を見つめる中、往来の人々の視線は、犬よりも彼女の方へと向けられる。
彼女の顔の半分が醜く焼けただれ、一度見たら二度と忘れない面相だ。
サクラが振り返ると、皆は慌てて目を逸らす。
そうした行動一つ一つがサクラを傷つけるものだが、前からのことで慣れてしまった。
今となっては、この傷に救われているとさえ思っている。

 

サクラは迷っていた。
今すぐ食べ物を与えなければ、犬は死んでしまう。
幸いサクラは買い物の帰りで、食料を持っていたがそれは店で出すためのもの。
だたの一つでもサクラの自由にはらない。
もし、サクラがそれらを紛失すれば、どんな目にあうか火を見るよりあきらかだ。
だが、それでも、サクラにはどうしても見捨てて行くことは出来なかった。

「ごめんね。これだけしか、あげられないの・・・・」
座り込んだサクラは、買い物袋から犬が食べられそうな食材を選んで口元に運んでいく。
力なく俯く犬は、サクラが体を撫でるとゆっくり顔をあげた。
腹は十分には満たされないだろうが、サクラにはこれで精一杯だ。
自分の瞳をまっすぐに見つめる犬に、サクラは笑いかける。
「生きてね」

 

 

 

当然のように、宿に戻ったサクラは女将に怒鳴り散らされた。
「途中で食べちまっただって!!買い物も満足に出来ないのかい、このごくつぶしが!!!」
頬を叩かれ、土間にあった棍棒で散々に打ち据えられる。
「暫く飯は抜きだよ、反省しな!」
殴打の衝撃で体の感覚がなくなった頃、サクラはようやく女将の折檻から解放された。
飯といっても、どのみち野菜の欠片が少し浮いただけの薄い汁が出るだけだ。
足を引きずるサクラは、井戸の前に座り込み、水で腫れた患部を冷やし始めた。
明日は相当ひどい顔になりそうだが、半分はすでに潰れているのだから、あまり気にすることもない。

耳を澄ますと、虫の声のほかに、にぎやかな宴会の音が伝わってくる。
食材の購入もいつもより大目で、相当上客が泊り込んでいるようだった。
この顔と体の傷がなければ、サクラもそうした客の席に呼ばれていたかもしれない。
今よりはずっと美味しい物を食べられ、良い着物を着て、楽な生活をしていたはずだ。
女郎をしていた母はとうの昔に死に、外に寄る辺もいない。
サクラにはこの場所で一生を過ごす以外の選択など最初からなく、考えたことすらなかった。

 

「サクラちゃん!」
引き戸の向こうから現れ、駆け寄った少年は彼女の顔を見るなり泣きそうな表情になる。
その顔で、サクラは自分がどれほどひどい状態かを察した。
「・・・・ごめん」
「何であんたが謝るのよ」
袖でごしごしと目元を擦るナルトに、サクラは思わず苦笑する。
ナルトはサクラと同じように、ここで働く女が産んだ子供だ。
だが、彼女がまだ健在なおかげで、サクラよりは少しは良い待遇受けている。
ここでサクラのことを唯一案じてくれる存在は、姉弟のように育ったナルトだけだった。

「これ、お客が残していったものだけど」
周りの目を気にしたナルトは、きょろきょろと首を動かしながら懐から出したものをサクラに渡す。
あまった飯をナルトが急いで握ったのか、いびつな形のお結びだった。
だが、サクラにしてみれば白い米など長い間食べていない。
何よりのご馳走だ。
「いいの?あんただって、おなかすいてるでしょう」
「俺は男だもの。我慢出来るよ」

おずおずと訊ねるサクラに、ナルトは明るい笑顔を浮かべてみせる。
大抵、そうした客が残したものはナルト達より年上の使用人達が食べてしまうのだ。
よって、これは滅多にない幸運だったのだが、自分が食べるよりサクラに与えた方がナルトには嬉しい。
「有難う」
切れた口の傷に顔をしかめながら、それでもサクラは笑顔を返す。
サクラにとって、彼は心の支えだ。
サクラの顔に醜い傷が出来たあとも、ナルトだけが態度を全く変えなかった。
傷を見ても、目を逸らすことなく言葉を交わしてくれる。

 

 

「こっちも、まだ痛い?」
握り飯をほおばるサクラは、ナルトが自分を凝視していることに気づく。
その目が昔の傷の方へと向けられていると知ったサクラは、困ったように眉を寄せた。
「馬鹿ね。何年前だと思っているのよ」
「・・・うん。でも俺、サクラちゃんに傷が残ったこと、喜んでる。だから、ごめん」
「ナルト・・・・」
「サクラちゃんが母ちゃんみたいに、毎晩別の男と寝るなんて耐えられない。サクラちゃんには、サクラちゃんだけは、ずっと綺麗なままでいて欲しかった」

悲痛な面持ちで語るナルトを、掌の米粒を口に含んだサクラはじっと見つめる。
ナルトと遊んでいたサクラが、誤って釜のお湯をかぶり、火傷を負ったのは数年前のこと。
生きるか死ぬかというとき、必死に枕元で傷を冷やし続けてくれたのはナルトだった。
だが、それが罪悪感から来るものだとしたら・・・。
竈のそばで、金色の髪を見たのは、サクラの勘違いだとずっと思っていた。
だがナルトならば、彼の姿を探して厨をうろつくサクラを、煮え立った湯のそばへと誘導することも可能だったはずだ。

 

「ナルト」
びくついたナルトの体を、サクラは優しく抱きしめる。
「私はあんたが好きよ。今までも、これからも、ずっと」
ひどい暮らしだと思うが、この身をよくも知らぬ相手に捧げるよりはましだ。
たとえ自分の予想が当たっていたとしても、サクラは彼を責めるつもりは毛頭ない。
腕の中のナルトは、泣いているようだった。


あとがき??
カカシ先生が出てこないーーーーー。先生――――。
『傷』と似た話なんですが、書きたかった場面はまだ出てきてないですね。(涙)
ある意味、『保健室の先生』とも共通した話なんです。
サクラ達は14歳くらい。
しかし、何でこんな暗い話になっているんだ。ナルトも登場しないはずだったのに、この存在感は一体。
ああ、前半のシーンは『魔法の砂糖菓子』のマネです。分かった人、友達になりましょう。


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