みおくる夏 2
チリンチリンと、涼しげな音色が響いている。
誰かが、窓際につるした風鈴だ。
「もう夏なのね・・・」
向かいの席にいる紅が表情を和らげながら言う。
上忍控え室にいる全員が好意的な眼差しを風鈴に向け、自分は死刑の執行を待つ受刑者のような気持ちでそれを聞いた。夏が終わるときがサクラの命の尽きる時。
近頃、サクラの具合は目に見えて悪そうだった。
真っ青な顔で平気だと言われても、安心できるはずがない。
風は風鈴をゆらし続けている。
耳にまとわりつくようなその音が不快で、思わず「煩い!」と、大きな声をあげていた。
「夏なんて来なければいいと思っていたのに・・・」
丁寧に、種を取り除いたスイカをサクラは自分の前に置く。
「私、やっぱり夏が好きだわ」
サクラの笑顔は透き通るような清らかさで、ふと目を離すと、そのままいなくなってしまう気がした。
蝉の声を聞きながら、団扇を扇ぐサクラは自分に風を送っている。
冷房装置はこの家にないが、自分とサクラはさして気にすることなく過ごしていた。「サクラ、海に行こうか」
「えっ」
「海。泳がなくてもいいからさ、あの広い青が見たい」
突然の提案だったが、サクラはただ笑顔で頷く。
「うん」
海でなくとも、どこか、遠くに行きたかった。
サクラの病から逃げるように。
何にもならないことは分かっている。
サクラを失いたくないという思いは日に日に募り、何もせずにいると気が狂いそうだった。
「サクラ?」
ふいに陶器が割れる音が聞こえ、振り返る。
返事がないことに不安を感じ、流しへと向かうとサクラが床に仰向けの状態で倒れていた。
繰り返し頭で思い描いた、最悪の事態。
息はあるが、呼びかけには全く応えない。
抱え上げたサクラの体は、まるで空気を抱いているように軽かった。
「サクラの病の名前、教えてあげようか」
火影に呼び出されて執務室に入ると、出し抜けに言われる。
サクラの病名、何度も聞いたが彼女は口を割らなかった。
言いにくい病かと思ったが、伝染病だろうと何だろうとサクラから離れる気はないのだから関係ないのだ。
だが、教えてくれるというのなら、それにこしたことはない。「恋煩い」
「・・・・は?」
「医者でも治せない、恋の病ってやつ。あんたがわざとサクラを避けるようなことをするから、食事も喉を通らなくて大変だったんだよ」
小さくため息を付く火影を、呆然と見つめた。
一体、彼女は何を言っているのだろう。
「だって、サクラはあんなに辛そうで、体だって死にそうに細くて・・・」
「あんたを騙していたからだろ、もうすぐ死ぬなんて嘘をついて。まぁ、もともとは私が提案した狂言だったんだけど、成功したみたいだね」
ちらりと舌を出した彼女を見て、何だか気が抜けてその場に座り込んでしまった。
サクラは、死ぬ病ではない。
そして、あれほど弱っていた原因は自分にあったのだ。
騙されていたことを怒るより、サクラに対して申し訳ない気持ちで一杯になり、胸が潰れそうだった。
「ねぇ、カカシ」
「・・・はい」
「オビトは何であんたに眼を譲ったんだと思う?」
突然の問い掛けに、訳が分からず首を傾げそうになる。
サクラのことで落ち込んでいたのに、いきなりオビトの名前が出てくるとは話が飛びすぎだ。
「それはもちろん、里のために役に立つよう・・・」
「馬鹿!」
直後、彼女の手元にあった扇子が投げられ顔に命中した。
一体何をするのかと扇子を拾うと、燃えるような瞳の彼女と目が合う。「カカシ、お前わざと危険な任務ばかり選んで引き受けていただろ。オビトの死の責任を感じて、里のために殉職しようと思っていた。違う?」
「・・・・」
「オビトはあんたに生き延びて欲しくて、自分の代わりに幸せになってもらいたくて眼を譲ったんだよ。勘違いて死に急ぐんじゃないよ。馬鹿!!」
「馬鹿」を何度も繰り返すと、彼女は声を荒げて続けた。
「あんたが里のために任務に没頭するのは有り難いけど、幸せになることも考えないと、それこそオビトの思いが無駄になる。今回のことで残される者の気持ちはよーく分かっただろ。これからは自分の体のことも大事にして、サクラと一緒に生きていきな」怒鳴りつけられたというのに、彼女の視線は我が子を見守る母親のようにあたたかなもので、戸惑いを隠せない。
弟子のサクラを案じていることもあろうだろう。
だが、この火影は自分のことも大切に思ってくれている。
いや、これは里の人間全てに向けられる愛情なのかもしれなかった。
「そうそう、一つ、朗報」
小さく礼を言って立ち去ろうとすると、呼び止められる。
「あんたもうじきパパになるんだよ。サクラにもっと食べるよう言わないと、あんなに痩せていたら子供なんて産めないよ」
「・・・えっ!!?」
「何よ、身に覚えがない?」
「いえ・・・ありすぎるほどありますけど」
何とか返事はしたものの、頭は混乱の極みだ。
次から次へと衝撃の事実を告げられ、今だったら何を言われても信じてしまいそうだった。
太陽が西から昇ることだってありえる。「近頃体調を崩しているように見えたのはつわりのせいだね。今日倒れたのも貧血だし、滋養のあるものを食べさせてあげな」
「は、はい」
どもりながら答える自分を見て、彼女はにっこりと微笑む。
「サクラを任せたよ」
どんな顔をしてサクラに会えばいいだろう。
必死に考えたが、答えが出ないまま病室の前まで来てしまった。
看護士に訊ねたところ、サクラはすでに意識を取り戻し、帰宅できる状態のようだ。
俊巡しながらノックするとサクラの声が聞こえ、思い切ってその扉を開いた。「・・・・先生」
「えーと、もう起きて大丈夫?」
何とか笑顔を取り繕いながら、そんなことしか言えなかった自分が情けない。
気まずい沈黙のあと、ベッドに腰掛けていたサクラは深々と頭をさげた。
「ごめんなさい。嘘を付いて」
「えっ?」
「綱手師匠のところに行ったって聞いたわ。全部分かっちゃったんでしょう」
「あ、うん」
頬をかく自分を見るサクラは、悲しげに瞳を潤ませている。「私、すぐ先生の家から出ていくから」
「ええ!?」
予想外の一言に思わず取り乱したが、サクラの目は本気だ。
「先生は私なんかといたくなかったのに、我が儘に付き合わせてごめんなさい。もう、大丈夫だから」
そのときになって、ようやく思い出した。
自分は、まだサクラに一度も「好き」と言っていない。
先の短い可哀相な生徒に付き合う、優しい教師。
サクラは自分のことをそう認識しているのだ。
だからこそ、サクラの笑顔にはどこか陰りがあったのだろう。「さようなら」
すれ違う瞬間に聞こえたその声に、例えようのない恐怖を覚える。
サクラが悪い病でないと分かって安心したというのに、今さら別れるなんて冗談じゃない。
サクラは俺のものだ。
自分から離れていくなど、許せるはずがなかった。
「サクラが好きだ!」
ドアノブに手を伸ばしたサクラの肩を掴み、無理矢理振り向かせた。
何か言おうと口を開きかけたサクラを、強引に掻き抱く。
「本当はずっと好きだったんだ。サクラがまだ、サスケを追いかけていた頃からずっと。でも、俺はオビトのために働かないといけないし、サクラの気持ちを受け止める自信もなかったから・・・何とも思っていないふりをしていた。でも、それは間違いだったって、火影様に言われて気付いたんだ」
話しているうちに、自分が何を言っているのか分からなくなる。
サクラに、今まで押し隠していた想いを聞いて欲しい。
その一念だ。「ごめん。サクラ、ごめん」
「カカシ先生・・・・」
腕の力を少しばかり緩めると、サクラは困惑した表情で自分を見ていた。
気遣うように頬に添えられた掌を掴んで、言葉を繋ぐ。
「嘘を付いていたのは、俺の方だったんだ」
期間限定の恋は、当初の予定通り、夏の終わりに終了した。
秋になり、自分の隣りにいるのははたけの姓になったサクラだ。
特性料理を作ってテーブルに並べると、「そんなに食べきれないわよ」と苦笑してみせる。
以前のように明るい笑顔を浮かべるようになったサクラは、徐々に体力を回復していった。
表情が柔らかく見えるのも、おそらく母親になった影響だ。サクラと共に、生きていく。
何度季節が巡っても、風鈴の音色に戦慄した夏のことは、記憶から消えることはないだろう。
あとがき??
何だか知らないうちに完成していました。
私が書くと大抵ハッピーエンドなので、ワンパターンですね。
書きたい部分をつぎはぎして書いたらこんな感じになったという話です。
期間限定の恋というと『東京マリーゴールド』なので、台詞を少し使わせて頂きました。
昨日は全然別の話を書こうと思っていたのに、何で突然こんなもの書いていたんだろう。
あっという間に書き終えていたし、不思議な・・・。