チェンジリング 1


「しっかり!」
死の淵へと向かう意識を引き留めるように、力強く呼びかけられる。
散々に殴られたために顔は腫れ上がり、もはやまともに目を開けることも出来ない。
体は痣だらけで、おそらくどこかしら骨にひびが入っているようだ。
決死の覚悟で牢から逃亡したものの、森を抜ける前に力つきた。
どのみち殺されるならば、いっそ早く楽になりたい。

すっかり観念していた彼の体に、ふいに温かな力が流れ込んでくる。
「絶対に死なせない」
先ほどから聞こえてくる声は、若い女のものだ。
残る力を振り絞って顔を動かすと、まず明るい桃色の髪が見える。
そして、治癒の術を使って怪我を治そうと試みる、真剣な眼差し。

 

「どうやっても口を割らないんだ。もう、必要ないだろう。このままにしておけば、じきに死んでくれる」
「・・・・・私は尋問班の人間ではないので」
「敵とはいえ、怪我人を放っておけないというのか」
意地の悪い笑みを浮かべる男は、「お優しいことだ」と小馬鹿にしたように言った。
片方の鼓膜が破れ、とぎれとぎれにしか聞こえないが、不思議と先ほどまでの絶望感は消えている。

上空を見つめる彼の視界に入ったのは、闇の中を羽ばたく烏。
彼はその鳥をよく知っていた。
だから、思わず笑みが浮かんだのだ。

 

 

 

 

懐かしい、夢を見たような気がする。
目が覚めたら忘れてしまったが、夢とはそうしたものだろう。
瞼をこすった少女は、傍らに寝ている夫の姿を確認し、安堵の微笑みを浮かべた。

「先生、起きて。今日はみんなと町まで行くんでしょう」
「んーー・・・」
寝起きの悪い彼は寝返りを打って起床を拒んでいる。
「もー」
ベッドからおりた彼女は掛け布団を無理矢理剥ぎ、カーテンと窓を開けて外の冷たい空気を部屋の中に入れた。
仕方なく、上半身を起こした彼は実に不満げな表情だ。
「おはよう、カイ」
「・・・・おはよう」
銀色の髪の青年に手招きされると、窓辺に立つ少女は大人しく彼に近寄る。
彼女が朝起きてまずやらなければならない仕事は、彼へのキスと決まっていた。

「少し遅くなるけど、留守を頼むよ、アカネ」
「ええ」
柔らかな唇が離れたあとは、優しく抱きしめられる。
全てが、満ち足りた気持ちだ。
カイに愛されていることが伝わり、そしてアカネも彼を心から愛している。
このまま彼と過ごす生活が続くことは、アカネにとって太陽が東から昇ること以上に当然のことだった。

 

 

「いってらっしゃい」
同じ集落の若者達と出かけるカイを、アカネは彼らの姿が小さくなるまで見送る。
愛しい夫がそばにいないことはたまらなく不安だが、仕方がない。
彼らの生活する村は人口が少なく自給自足は難しいため、定期的に町に行かなければならなかった。
村で作った木彫り細工や籠、織物を金に変え、必要なものを買い揃える。
だが、カイだけは他の村人達とは違い、卵の頃から鳥を飼育して人によく慣れたものを品物として売っていた。
アカネは彼の不在時のみ、人の住みかほどの大きさがある鳥小屋に入ることを許されているが、餌をやりにいっても彼らは警戒して近寄っても来ない。

「動物と仲良くするのは、得意なのに・・・」
口をとがらせるアカネは、餌を置くと敵意の眼差しすら感じる鳥小屋から早々に飛び出す。
きっと、鳥達は嫉妬しているのだ。
彼らの主人であるカイは、アカネのことを他の誰よりも愛しているのだから。

 

カイのいない昼間のうちに、洗濯と掃除をすませたアカネははたきをかけるうちにフォトフレームを一つ床に落としてしまう。
それは、まだ12のアカネが当時通っていた分校の教師をしていたカイと撮ったものだ。
数年後、彼と恋人同士になるとは、もちろん考えもしていなかった。
カイにすれば、初めて会ったときから彼女に目を付けていたというのだから、呆れてしまう。

「あっ、いけない」
写真を眺めて物思いにふけっていたアカネは、日が陰ってきたことに気づき、慌てて物干し場へと向かった。
夕方になる前に洗濯物を取り込まなければ、湿気を帯びるのだ。
森に囲まれた村では日が落ちるのも早い。
カイが戻るのは夜遅くになってからだが、彼がいつ帰ってきてもあたたかな物が食べられるよう、料理も作らなければならなかった。

 

 

 

「先生?」
物干場に立つアカネは、背後の物音に気づいて振り向くなり、驚きの声をあげていた。
町に行ったはずのカイが、木陰に立っている。
いや、銀色の髪も、顔もそのままだが、身なりが随分と違う。
片目を隠した人相も怪しげで、アカネは彼がカイとは別人であることを何となしに感じ取った。
後退るアカネは怯えた眼差しで彼を見据えたが、その人は何故か瞳から涙を落とす。

「サクラ」
彼の口から知らない名前が零れ出て、アカネはびくついた。
村にはそのような名前の人物はいない。
尋常ではない彼の様子に身を翻して逃げ出したアカネだったが、少しも行かないうちに掴まってしまう。
背筋が、凍り付いたようだった。
「サクラ・・・」
「い、嫌よ、離して!!誰か、誰か助けて!!!カイーー!」

 

見知らぬ男に後ろから抱きすくめられ、半狂乱になったアカネはとっさに夫の名前を呼ぶ。
不在の彼に代わり駆けつけたのは、隣りの家に住む年輩の夫婦だ。
「アカネちゃん!!だ、誰だ、お前は!」
旦那の方は猟銃を構えて不審人物を威嚇し、その夫人は騒がしく悲鳴をあげて近隣の人々を集めている。
アカネは依然激しく暴れていて、大人しくなる素振りは一向に見られない。
彼女を連れ去ったとしても、これでは易々と森を抜けることは不可能だ。

「・・・迎えに来るから」
一度強く抱きしめたあと、その男は不可解な言葉をアカネの耳元で囁いて姿を消す。
彼の拘束が外れたことで倒れたアカネに仰天し、数人の村人達は男を追うよりもまず彼女に駆け寄った。
「アカネちゃん、大丈夫か!!」
「アカネちゃん!!」
集まってきた村人はその場で座り込むアカネを気遣って声をかけている。
だが、涙を流すアカネは満足に受け答えることも出来ない。

村人全員が知り合いの、平和な村での生活に慣れきっていたのだ。
彼女が誰よりも心を許しているカイの顔を見なければ、体の震えは止まりそうになかった。


あとがき??
ごめんなさい・・・・。ある小説を読んだら、急に書きたく。
ネタバレになるから、タイトルは言えませんが読んだ方ならすぐぴんと来るかと。(^_^;)
しかし、知らない男に拉致されそうになったら、めちゃくちゃ怖いですよ・・・・。

これだけだと、よく分からない話ですね。
2は明日アップしますが、カカシ先生が狂っていたり残酷描写があるので、そうしたものが駄目な方はご注意を。
カイの名前はファミリーシリーズから流用。名前考えるの、苦手なもので。深い意味はない。


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