浮橋
木ノ葉姫に捧げ物をすると、死者と一度だけ対面することを許されるらしい。
眉唾ものの噂かもしれないが、藁にもすがる思いだった。
とりあえず、自分の持ち物で高価そうなものを選んで賽銭箱の前に置いたサクラは、木ノ葉姫の住むという神社で拍手を打つ。
どんな手段を使っても、サクラは彼に会わなければならないのだ。
「・・・・随分とちんけな物ばかりだねぇ」
呆れたような声が耳に届き、両手を合わせて必死に祈っていたサクラは目を見開く。
いつからそこにいたのか、縁に立つ和装の女性は悠然とサクラを見下ろしていた。
威圧感のある眼差しとその出で立ちは大名家の姫君を連想させるが、神社に姫君というのも不思議な取り合わせだ。
暫しの間ぼんやりと彼女を見つめていたサクラは、彼女の正体に気づくと、慌てて頭を下げる。
会ったことはなかったが、この風格と尋常でない美貌、彼女が木ノ葉姫に間違いなかった。「で、でも、私の宝物ばかりなんですよ。現金は駄目だっていうから、初代若乃花の手形付サインとか、アイドルグループ蛍源氏の生写真とか、他にも・・・」
「あー、もういいわ」
額を抑えてため息をつくと、木ノ葉姫は改めてサクラに向き直った。
「で、はるばるこんなところまで来て、あんたは誰に会いたいの?」
「・・・・私の担任で、はたけカカシ先生です」
面を伏せたサクラは、軽く掌を握ってその名前を告げた。
目を瞑ると、自分をかばって重傷を負い、苦しげな呼吸をするカカシの姿がまざまざと浮かんでくる。
サクラの犯した任務中の些細なミスが、今回の死傷事件へと繋がってしまったのだ。
自分を恨んでいることが分かっていても、サクラはどうしてもカカシに会って直接謝りたかった。「・・・その人、格好いい?」
「は?」
唐突な質問に、素っ頓狂な声で答えたサクラを、木ノ葉姫は目を細めて見据える。
「近頃いい男にとんと縁がなくてねぇ。どうなんだい」
「あ、えっと、性格はルーズですけど、そんなに悪い顔はしていないかと・・・」
「そうかい。じゃあ、協力してやってもいいよ」
とたんににこにこと微笑んだ木ノ葉姫に、サクラは苦笑を漏らす。
どうも初めて会った気がしないのは、木ノ葉姫の雰囲気が師匠である綱手に少し似ているせいだろうか。
興味の対象は、それぞれ「賭け事」と「男」という違いはあるようだったが・・・。
「まあ、あんたがどんなに会いたいと思っていても、向こうが望まなければ道は開かれないんだけどね」
踵を返した木ノ葉姫は、ぶつぶつと呟きながら、ご神体を収めている社殿の戸を開いていく。
「幸い、あんたの待ち人は来てくれたみたいだ」
言い終えないうちに、強い風がサクラに向かって吹き付け、彼女はとっさに顔をかばって目を閉じた。
それはほんの一瞬のことだったはずだ。
だが、サクラが次に我に返ったときには、どこかの川の上にかけられた橋の中腹に佇んでいた。
霧が深く、視界が悪い。
つい先ほどまで神社の敷地内にいたはずだが、おそらく木ノ葉姫が「道を開く」と言った結果なのだろう。
だとしたら、この川は現世と霊界の境にあるという三途の川、橋は二つの世界を繋ぐ架け橋だ。
橋の手すりに手を置いて思案していたサクラは、近づいてくる気配にハッとして振り返る。「カカシ先生・・・」
サクラの望みの通りに、いつもの忍び服を着たカカシが、怪訝そうな顔で周囲を見回していた。
霧が晴れてその姿がはっきりと確認できるようになると、サクラは堪えきれずに瞳を潤ませる。
少しの間会わなかっただけのはずが、何故だかひどく懐かしい。
「サクラ」
サクラの声に反応して横を向いたカカシは、信じられないというように目元を擦った。
だが、これは夢ではない。
橋の欄干に触る感覚も、川を流れる水音も本物で、カカシに歩み寄るサクラは涙目で微笑んでいる。「何・・・・どこ、これ」
「三途の川ですよ。木ノ葉姫のお力で、一度だけ、死者の国と木ノ葉隠れの里を繋げてもらったんです。でも、長い時間はもちません」
「・・・そうか」
頭はまだ混乱していたが、この世とあの世を自由に行き来できるという木ノ葉姫の話は、カカシも聞いたことがあった。
そして、時間がないというなら、ここで取り乱している場合ではない。
目の前にいるサクラが本物で、彼女が自分に会いに来たというだけで十分だ。
「あの、私、先生に謝りたくてこうやって・・・・キャッ!!」
突然カカシに腕を掴まれたサクラは、その握力の強さに思わず悲鳴を上げた。
「せ、先生?」
「俺の代わりにサクラが向こう岸まで行くんだ。一人くらい入れ替わっても、人数が合っていれば大丈夫なはずだ」
カカシが指差した方角には、木ノ葉姫に呼び寄せられた彼の辿って来た道がある。
橋に立つ二人には見通せない、暗い闇の広がる場所へと続いていた。
その意味を悟ると、サクラは首を激しく横に振ってカカシの手から逃れようとする。
「い、いやです。そんなことしたら」
「この機会を逃せば、もう生き返れない。罪を償いたいんだったらそれぐらいしてくれ!」
乱暴な口調で怒鳴られたサクラは、体を萎縮させて何も言うことが出来なくなった。
カカシの瞳は怖いほど真剣だ。
再会を果たしたときとは違う意味で涙の出てきたサクラは、片方の手で目を擦り、嗚咽を漏らし始めた。「勝手なことしないで欲しいねぇ・・・」
鈴を転がすような笑い声と共に、場違いなほど明るいその声が響くと、カカシはサクラを背中に庇って振り向く。
着物姿の子供二人を従えて立つ木ノ葉姫は、面白そうに頬を緩めてカカシの顔を見つめていた。
一度しかない人生、誰でも死ぬことは怖い。
死にたくないと泣いてすがる人間は何人も見てきたが、運命を交換してまで誰かを救おうとした者は初めてだ。
「あんた、自分の命がおしくないのかい」
カカシは今まで数え切れないほど仲間達の死に目に立ち会ってきた。
もう、大切な人を守れずに後悔するのは沢山だ。
自分の腕の中で、段々と冷たくなっていくサクラのことを思い出すだけで、今でも胸が潰れそうに痛い。
散々手を血で汚してきた自分が生き延びて、虫一匹殺すことも出来ないような善良なサクラが死ぬなど、間違っている。「何でもします。だから、サクラを助けてください」
「カカシ先生!?」
その場で膝を突き、頭を下げたカカシに、サクラは驚きの声をあげた。
「何でも?それじゃあ、私があんたを地獄流しにして未来永劫苦しむようにしたり、魂自体を消して二度と生まれ変われなくしても、いいっての?」
「サクラを、助けてくれるのなら」
心の底を見通すかのような木ノ葉姫の眼差しを正面から受け止め、はっきりと返答したカカシに、彼女は口端を緩めて楽しげに笑った。
「了解した」
「カカシ先生!!!」
サクラが叫び声をあげたときにはすでに遅く、木ノ葉姫が手を振りかざすと、カカシの姿が霧に包まれて跡形もなく消えた。
呆然とカカシの立っていた場所を見つめていたサクラは、拳を握り締めて木ノ葉姫を睨みつける。「ひどい!!私はそんなこと望んでここに来たわけじゃないのに」
「あんたのいるところはここじゃないよ。早くお帰り」
婀娜な笑顔を浮かべると、木ノ葉姫は同じように手を振ってサクラを追い払った。
所詮、魂だけの存在がこの場を統べている木ノ葉姫に反抗出来るはずがない。
あとには木ノ葉姫とそのお付の子供二人だけが残り、そのうちの一人が彼女の袖を引いて話しかける。
「いいんですか、姫様?勝手なことして、閻魔の親父様にまだ叱られますよ」
「だってあの先生、あんまり好みのタイプじゃなかったんだもの。早くどこかに行って欲しくて」
「嘘ばっかり。全く、色男には甘いんだから」
鋭い一言に、扇で口元を隠した木ノ葉姫はくすくすと笑い声をもらす。
子供の一人が手鏡を差し出すと、その中には鏡を見つめる木ノ葉姫ではなく、下界の様子が映っていた。
様々な医療器具の揃った病室で、何日も意識不明のまま眠り込んでいたサクラが目を覚ましている。
暫く入院しなければならなかったが、命の危険は去ったようだ。
医師から連絡を受けて駆けつけた家族や知人に混じって、頭や腕に包帯を巻いたカカシも心からの笑顔を浮かべている。
今の二人には、木ノ葉姫に会ったときの記憶は綺麗さっぱり抜け落ちているはずだ。
カカシを自分の従者にして傅かせることも少し考えたが、木ノ葉姫の隣りではああした笑顔は絶対に見せなかったことだろう。
着物の袂から、サクラのガラクタの宝物の一部を取り出した木ノ葉姫は、小さくため息をついてその写真を眺める。
「私は、蛍源氏の生写真で我慢しておきますか・・・・」
あとがき??
河村恵利先生の漫画が元ネタ。確か、『夢の浮橋』とか、そんなタイトル・・・・。
もっとあっさりした話だったのに、書くの時間かかりました。おかしいな。