鬼魔 1


12年前、里を襲った九尾の妖狐の話はサクラも聞いていた。
多大な犠牲を払い、四代目火影が命をかけてその化け物を封印したことも。
しかしサクラにとっては遠い昔の話のように感じられる。
サクラが物心付いたときには、すでに目の前には平和な木ノ葉隠れの里があった。
近隣諸国とは同盟が結ばれ、諍いが起こる気配は微塵もない。
そうした穏やかな生活が一人の少年の犠牲の上に成り立っていることなど、里に住む多くの人間は忘れきっていた。

 

 

 

 

「簡単な仕事だから、すぐに済む」
下忍として働くサクラは、自分を呼び出した中忍にそう伝えられた。
どうしたわけか、近頃新人のくノ一が次々と退職し、サクラに彼女達のしていた仕事が回ってきたらしい。
サクラの上司であるカカシは現在里を留守にしており、その間に彼の指示を仰ぐことなく動いていいものかと迷ったが、頼まれれば断り切れない。
聞けば仕事というのは、里の地下に作られた牢獄に住まうものに、食べるものを届けることだという。
それが何なのか、聞いても答えはなかった。
盆にのせられた食事は固いパンに野菜の欠片が浮いたスープに水と、生きるのに必要な最低限な食料といったところだ。
罪を犯した者を収容する牢獄は里の外れにあるのだが、個別に繋がれて常に見張られているということは、よほどの重要人物なのだろう。

「その階段を真っ直ぐに下りていくんだ。俺はここで待っている」
「・・・はい」
扉に付けられたいくつもの錠前を外した中忍は暗闇を指さして促した。
嫌な、感じがする。
僅かな明かりを頼りに階段を下りていくと、地獄の底へと引きずり込まれるように感じられた。
じめじめとした石の壁にはカビが生えており、空気も何十年の前の物のようによどんでいる。
下にいるものがなんなのか分からないが、光が一つも差し込まない、このような地下に自分ならば一日も過ごせないとサクラは思う。
おそらく、新人のくノ一が辞めたのは、この場所に来たくなかったからではないか。
サクラ自身、一刻も早く地上に出るため足早になったが、滑って転んだら大変だ。
恐怖心と戦うサクラは怖じ気づく自分の心を叱咤しながら、暗い地下通路を進んでいった。

 

「・・・・ここ??」
突き当たりの鉄格子を見たサクラは、その手前で立ち止まり、小さく呟く。
明かりをかざすと、中で何かが動いているようだが、牢の隅にいるために確認できない。
一度盆を下に置き、ポケットから鍵を出したサクラは重い音のする扉を開いていく。
そして、食事を言いつけ通りに置いて戻れば、仕事は終了だった。

「何か、いるの」
近づく気配を察したサクラは、角灯をその方角へと向けて誰何する。
最初に確認出来たのは、闇の中に光る二つの目。
そこに、獣がいた。
「ひっ・・・」
声を詰まらせて立ちすくんだサクラを、金色の髪の獣は威嚇するように唸り声をあげている。
獣が一声吠えると、尻餅をついたサクラは全く動けなくなった。
恐怖のあまり泣きそうになるが、獣が彼女の手から落ちた角灯の下に立ったおかげで、その正体がはっきりとする。
伸びきった金髪に薄汚れた着物を羽織った、四つん這いで歩く少年。
異様な風体だが、それは確かに人だった。

サクラが目を見開いたままじっとしていると、彼女から注意がそれたのか、彼は鼻を鳴らして盆に近づく。
サクラを警戒するよりも食欲が勝ったのだろう。
盆には箸も用意されていたが、彼はそんなものは無視して皿に直接顔を近づいてスープを啜っている。
唖然としてその様子を眺めていたサクラは、ふと、気づいた。
少年の片足は通常ではあり得ない方向に曲がっている。
事故で折ったのか、生まれつきなのかは分からないが、二足歩行が出来るはずがない。
そして、よく見れば腕にも大きな傷を負っており、治療せずに放置してあるため化膿して痛々しく血が滲んだままだった。

 

「あの・・・・」
サクラがおずおずと声をかけると、少年は餌を取られると思ったのか、再び唸り声を発する。
ぴりぴりとした空気が伝わり、猫のように毛が逆立っていた。
「ああ、食べないから。ちょっと、いいかな」
ゆっくりと少年に歩み寄るが、サクラの言葉を理解していないのか、彼は突然飛びかかってきた。
サクラが普通の少女ならば、彼の爪と歯で怪我をし、這々の体で逃げ出していたはずだ。
だが、彼が獣ではなく、少年だと分かってサクラは少しばかり冷静に考えることが出来るようになっていた。

「縛」
素早く印を組んだサクラ声が、牢内に凛と響く。
敵の体を捕縛するための簡単な幻術だ。
少年は術にかかりやすい体質だったのか、サクラに襲いかかろうとした体勢のまま石のように固まっていた。
「ごめんね。すぐ済むから」
拘束された少年は敵意もあらわにサクラを睨んでいたが、こうしないとじっとしていそうにないのだから、仕方がない。
「えーと、簡単な薬しか持ってないけど、応急処置にはなるよね・・・・」
独り言を呟くサクラはまず水筒の水で彼の傷口を洗い、ポーチから出した薬を塗っていく。
丁寧に包帯を巻いたあとに曲がった足の様子も確かめたが、随分前からその状態なのか、添え木をしても手遅れなようだ。

 

「医療班なら何とか出来るかもしれないけど・・・困ったわね」
考えながら顔をあげると、困惑した瞳の彼と目があった。
サクラが、自分に危害を加える存在ではないことを察したのだろう。
今なら大丈夫なように思えて、サクラの口から「解」の言葉が滑り出す。
「暫くあなたの食事係になったから。よろしくね」
術が解けて座り込んだ少年に、サクラは優しく笑いかけた。

サクラの予想通り、少年はもうサクラを襲う気はないようで、ひたすら戸惑っている。
怖いと思っていたときは獰猛な獣そのものだったが、落ち着いて見るとただの萎縮した子供だ。
手を伸ばしたサクラに少年はびくりと肩を震わせたが、彼女は構わず掌をその頭にのせる。
「大丈夫、大丈夫よ」
ゆっくり頭を撫でながら繰り返すと、彼の表情が少しだけ和らいだような気がした。

 

 

 

「戻ってきたのか」
空になった皿を盆にのせて入り口まで戻ると、随分と驚かれた。
「遅いから、てっきり・・・・」
その後、何らかの言葉が続くのかと思ったサクラだが、中忍はもごもごと口を動かしただけで聞き取れない。
首を傾げたサクラは怪訝な表情で中忍を見上げる。
「あの、あの子は何なんですか?怪我をしていたみたいなんですけど」
「ああ、放っておけ。必要以上にあれに関わるな」
「・・・・はい」
言下に答えられ、まさか治療して仲良くなったとは言えなくなる。
そのまま踵を返した中忍を、サクラは慌てて引き留めた。
「すみません、あの子の名前、何ていうんですか?」
「そんなものはない。それに、あれは人じゃなくて化け物だ。むやみに近寄ると食い殺されるぞ」


あとがき??
タイトルは「鬼魔」と書いて「おにこごめ」と読みます。元ネタ、そのまんま楠桂先生の漫画です。
続きを書けるかどうか分かりませんが、あまりに救いのない話なので、ある部分に少し希望の光を残しておきました。
こうしたナルトもいたかもしれないという話。
設定を逆にした『狐の怪』っぽい。


暗い部屋に戻る