痴人の愛 U


「一つだけ訊きたいんですけど」
「何ですか」
差し向かいに座るサクラに対して、ハヤテは静かに訊ねた。

「憎しみでしょうか、愛情でしょうか」

ハヤテの手は、片方が薬瓶を、そしてもう片方は瓶に向かって伸ばされたサクラの手を握っている。
サクラは困り顔で眉をひそめた。
「答えなければ、それを貰えませんか」
返答の代わりに、ハヤテは無言でサクラを見詰めた。
場所は昼下がりのカフェ。
店内の他の客から見れば、二人は甘い愛の言葉を囁いているように見えるかもしれない。
サクラはため息と共に目線を下げる。

「ええ、質問されて当然だと思います。本来なら先生にこんなことを頼める筋合いはないですし」
自分の手に重ねられたハヤテの手をあえて払うことはせず、サクラは少しだけ首を傾ける。
「後者であればいいと思いますが、私にもよく分かりません」
「分からない?」
「はい」
回答とは裏腹に、サクラは晴れやかな笑みを浮かべる。
「だって、その二つはよく似ているじゃありませんか」

くすくすと笑いながら言うサクラに、ハヤテは強く握っていた手の力を緩めた。
「・・・それは、とてもよく分かりますよ」
「あら、ハヤテ先生にもそんなお相手がいらっしゃるんですか」
サクラは興味深げに目を輝かせる。

また酷なことを言うものだと、ハヤテは苦笑まじりにサクラを見た。
その視線の意味に、サクラは気付いたのか、そうでないのか。
憎しみと愛情は等価値だと言うサクラ。
それは、全く当たっている。
現に、ハヤテは自分の気持ちを全く無視して楽しげに笑うサクラを、いとおしいと思う気持ちの分だけ、憎らしいと感じた。

 

 

発端は、一ヶ月ほど前。

「薬を作ってもらえないでしょうか」

唐突にハヤテの自宅を訪れたサクラの第一声が、それだった。
ハヤテは玄関口で佇むサクラを穴が開くほど見詰める。
「・・・うちは薬局じゃないんですけど。身体の具合が悪いのなら、病院に行った方がいいと思いますよ」
困惑した表情で、ハヤテはためらいがちに声を出す。
サクラは首を振って答えた。
「違うんです。私が欲しいのは・・・」
そこで、サクラはハッとしたような顔で口をつぐむ。
周囲に視線を走らせたあと、サクラはハヤテを家の中に押し込むようにして身体を押した。
「え、ちょっと・・・」

ハヤテはわけが分からず頭を混乱させる。
サクラのことはもちろん見知っていた。
上忍はたけカカシの恋人で、元彼の教え子。
ハヤテの中のサクラについての情報といえばそれぐらいで、このように強引に部屋に押しかけられるような覚えはない。
サクラは首尾よくハヤテを部屋の中へ押し込むと、後ろ手に玄関の鍵を閉めた。

何だか、危険な状況みたいだな。
ハヤテはのんきに考える。
下忍だった彼女の腕では到底自分に適わないことを知っての余裕の態度だ。
サクラも重々承知しているのか、下手に申し開きをする。

「強引なことをして済みません。誰の目があるか分からなかったので」
「・・・それで?用件は何ですか」
ハヤテは反省の色の見えない、サクラのお仕着せな謝罪に、諦めきった様子で訊ねた。
サクラは熱のこもった瞳でハヤテを見詰める。
「毒薬を作って欲しいんです」

サクラの口から出た意外な言葉に、ハヤテは目を見開く。
数秒が経過したあと、ハヤテは可笑しそうに笑った。
「・・・・何のことだか、分からないですね」
口の端を緩め、小馬鹿にしたような声。
だがサクラはくじけず、ハヤテに詰め寄った。
「確かな情報です。どうしても殺さなければならない人がいるんです!」

 

サクラがどこでそのことを耳にしたのかは分からないが、事実、ハヤテは時たま人の依頼で毒薬を作ることがあった。
巨額の金と引き換えに。
そうして行われる殺人は、大っぴらにはできない事情があってのことだ。
もちろん、後々解剖で分かってしまうような素人的な材料は薬に使わない。

「殺さないといけないんです」
思いつめた表情でサクラは繰り返す。
その切羽詰った声音に、ハヤテはつい、問い掛けた。
「誰をですか」
「私の・・・・・大事な人です」

後半は、消え入りそうな小さな呟き。
ハヤテの目はサクラに釘付けになった。
「大事な人」、と口に出したときの、サクラの暗い眼差しとすさんだ声。
愛情あふれる家庭に育った、無知で世間知らずのお嬢様といった風の彼女に、全く相応しくない。
そのコントラストに、いやに興味を引かれる。

「お金なら私の持っているものを全部用意して・・・」
「いりませんよ」
瞬間、サクラは弾かれたように顔を上げる。
「いりません」
ハヤテはにっこりと微笑んでサクラを見た。
「・・・じゃあ」
「ええ、引き受けますよ」
歓喜に震えるサクラは、思わずハヤテに飛びついた。
「有難うございます!」

 

あとは、ハヤテが普段依頼されて薬を作るときと一緒だった。
二人は相手の死亡時期、状況を想定し、綿密に計画を練る。
薬の量が1g違っただけで、死に方が変化してしまうからだ。

そして、親しく付き合うことで知った、サクラの魅力。
理知的な発言をする才女かと思えば、ハヤテに飛びついたりと子供じみた行動を取る。
加えて、常に明るく、前向きな性格。
彼女が他人の死を強く望んでいる人間だとは思えない。
ただの善良な若い女性である部分と、ふとしたときに垣間見せる陰のある表情。
そのギャップに、ハヤテは強く惹かれる。
彼はいつしかサクラの思い人の死を待ちわびるようになっていた。

そうして、里に伝わったはたけカカシ死亡の訃報。
毒薬によるものではなく、任務中の事故死。
そして、訃報を聞くなり昏倒したサクラ。
すっかり取り乱した様子のサクラは、やがて彼女を心配した両親の元に身を寄せた。

 

「大事な人」ということしか聞いていないが、ハヤテはサクラの薬のターゲットを、ずっとカカシだと思い込んでいた。
またその考えは微塵も変わっていない。
理由は分からないが、サクラは確実にカカシの死を願っていた。
だのに、望みの適った今、何故彼女はここまで悲しみにくれているのか。

ハヤテは面やつれしたサクラの青白い顔に思いをはせる。
心労から病人のように痩せ細ったサクラは、自宅に隣接する庭先で長いすに腰掛けていた。
サクラの視線の先は、花壇に咲き乱れる花々。
そのうち、サクラの見舞いに訪れたナルトがやってくるのが視界に入り、ハヤテは踵を返した。

ハヤテは毎日のように訪れては、サクラを遠巻きに眺める。
声をかけることはしない。
もともと、ハヤテとサクラは、接点がないはずの関係だ。
サクラが彼の元を訪れさえしなければ、一切関わることはなかった。
親しげに見舞いに行き、詮議の対象になるのはごめんだ。
ハヤテは歩きながらも、答えのでない疑問を模索する。

 

サクラの胸の内は、他の誰にも分からない。


あとがき??
場面がTより遡っています。Vはもっと遡るかもしれない。
Uがこの話の一番の中心。だって、冒頭の部分がただ書きたかったんですもの。(笑)
ハヤテは先生という設定。ただの脇役の予定だったのですが、出張ってますね。あれ。
次はサクラが中心の話、かな。

「あっと驚くラストが待っている!」とかいう話じゃないです。
ただ、淡々と、淡々と。
・・・・あの人に騙されてはいけません。


暗い部屋に戻る