太陽の光がさんさんと降り注ぎ、爽やかな空気が里を包み込む、そんな昼下がり。
天気とは相反して、どっぷりと沈み込んだ陰気な表情で、サクラはトボトボと歩いていた。
目的の建物に辿り着いても彼女の表情は晴れない。いつもなら楽しいはずなのに、今日だけはできるなら引き返したい気分だった。
「はぁ」
大きな溜め息をついて、諦めたように建物へ入るドアを押し開く。
一歩一歩、足を前に動かす度に気分が滅入る。
階段を駆け上がる元気さえ残されてはいない。
「帰ろうかな」
呟いてみると、何だかそれが一番いい方法だと思えてきた。
しばらく階段を上る足を止めてたたずんでいたが、思いを振り払うように頭を激しく左右に振った。
「久しぶりにゆっくり会えるんだし、ここは気分を切り換えて、やっぱり行こう!」
顔を精一杯上げて、サクラは階段を上り始めた。
こんなことぐらいでおじけついてちゃあの人の恋人は勤まらないんだから、と勇気を振り絞って一つのドアの前に立った。
さっきまでの決意はどこへやら。
ドアを開こうした途端に萎んでいき、ドアを開けることにためらいを感じてしまった。
彼のことだから、自分の気落ちの理由を知っているかもしれない。
でも彼が理由を知り得る状況はどこにもないし、気丈に振る舞えば気付かれないかもしれない。しかし、かの人にそういったまやかしは通用しないのも事実である。
そうして事実を知られて嫌われたらどうしよう、という不安が襲って来て、急に恐くなった。
ノブを掴もうとしては引っ込めて、また掴もうとして引っ込める。
何度もそうしているうちに、唐突に内側からドアが開いた。
驚いて固まっているサクラを見下ろしているのは、部屋の住人で、自分の教師であり恋人でもあるはたけカカシその人だ。きっといつまでも入ってこないサクラに耐え切れなくなったに違いない。
彼の姿を見た瞬間、サクラは慌てて身振り手振りを付けて言い訳を始めた。
「あのね、別に会いたくないとかそんなんじゃないのよ。でも今日は会いたくないかなぁなんて思ったりね。あっ違うの。先生が嫌いになったとかじゃなくて……先生?」
必死に言い訳しているサクラを尻目に、カカシは部屋の中へと踵を返した。ベッドの縁に腰を下ろして深く息を吐き出す。
普段ならサクラの姿を見た途端に抱きついてくるというのに、今日は何やら様子がおかしい。
サクラは自分のことなど忘れて、落ち込んでいる様子のカカシに駆け寄り、床に膝を付いて彼の顔を覗き込んだ。すると、泣き出しそうな瞳がゆっくりと移動して彼女を捉えた。
「先生、どうしたの?」
尋ねるとカカシは額に手を当て、軽く首を横に振る。
「俺、ずっと自信あったんだ。成長期過ぎてからもずっと維持し続けてた。そんな俺をみんなは羨望の眼差しで見てたんだ。なのに今日はみんなして笑うんだ」
言って自分の膝に突っぷす彼の姿に、サクラは首を傾げた。
何が言いたいのかさっぱりわからない。
とはいえ、泣いているカカシを放っておくわけにもいかず、優しく背なんかさすってやる。
「いったい、何を笑われたのよ」
「……が……た」
くぐもった声で答えが返ってくる。
「え? 聞こえないわ」
「体重が増えた」
カカシの言葉にサクラは唖然とした。
まさかカカシに限って、体重が増えたくらいで落ち込むとは思わなかったのだ。
「体重だけじゃないんだぞ! 体脂肪率だって上がっちまって、医療班のやつに中年太りなんて言われて、俺はまだ中年じゃないのに! ひどいと思わない?」
必死で訴えるカカシに、サクラは思わず吹き出した。
「サクラ〜?」
「ごめんごめん。だって先生がそんなこと気にするなんて思わなかったんだもん」
「そんなこととはなんだ! 忍にとっちゃ体重が増えるってことは、生死にかかわる重大事なんだぞ!」
「そんな大げさな」
「大げさじゃない!」
急に真剣な表情になって叫ぶカカシに、サクラは驚いて思わず身をすくめた。
「いいか。身体が重くなると移動速度が遅くなったり、技の切れが悪くなったりするんだ。でも感覚は増える前のものだから、誤差が生じる。忍の戦いでは一瞬の遅れや鈍さが命とりになるんだよ。俺はそうして死んだ奴を何人も知ってる」
得意げに頷くカカシに、サクラの体温が一気に下がった。顔色は血の気が引いて青くなり、油汗がにじみ出してくる。
そんなサクラの様子を知ってか知らずかはわからないが、カカシは頭に指を当てて何かを思い出す仕草をした。
「そういえば、女の子も今日健康診断だったよね。サクラはいつもダイエットしてるから大丈夫だったろ?」
カカシはニッコリと微笑む。
そこまで言われて、サクラが沈まないわけはない。さっきまでのカカシよりも顔色は悪く、肩を落とし、目は死んでいる。醸し出す雰囲気は地獄の底を見てきたように暗かった。
「あれー? もしかしてサクラも太ったの?」
今までの暗い声はどこへやら。恋人はからかいを含んだ口調でサクラに顔を近づけた。
きっと先ほど笑ったことへの仕返しのつもりなのだろう。
ニヤニヤと笑うカカシに何だか腹が立ってきて、サクラは勢い良く顔を上げた。
カカシをにらみつけて、おもめろに彼の腹の肉を摘む。
「うわっ、すごい肉。現役上忍とは思えないわね。コピー忍者のカカシの異名も今日までね。これからはピッグ忍者とでも名乗ればあ?」
半眼で嘲り混じりの笑みを向けると、カカシは悔しそうに歯ぎしりした。
サクラは勝ちを確信して高らかに声を出して笑う。その時、ふと胸に大きな手の感触がして俯くと、カカシがサクラの双丘をさすっている。
「なななななっ」
突然の行動に顔が急激に赤く染まる。
わなわなと震えるサクラなど無視して、カカシはとぼけた声でまたまた言ったのだ。
「おかしいなぁ。俺があんなに揉んでやってるのに、ちっとも大きくなってないねえ。ここに肉がついたらよかったのにね。それにしても太った分はどこについたんだろ、お・に・くv」
カカシが言い終わると同時にサクラの右手が頬に命中した。
「セクハラよ〜!」
しかしカカシも負けてはいない。頬をさすりながら立ち直り、サクラに向かって叫び返す。
「最初にセクハラしたのはサクラだろ! 珍しく真面目に落ちこんでんのになぐさめの言葉一つ出てこないわけ?」
「私だって落ちこんでんのに、人のことなんて構ってらんないわよ」
「人のこと? それって人事って意味? サクラにとって俺は真っ赤な他人なんだな?!」
「屁理屈言わないでよ! 誰もそんなこと言ってないでしょう! 先生の馬鹿!」
「どうせ俺は馬鹿ですよ。そんな馬鹿好きになったのサクラだろ」
「私が好きになった先生は笑顔の優しい、頼もしい人よ。だだこねる先生じゃないわ!」
「だったら来なきゃいいだろ。今日の俺はずっとこんなだ。サクラのこと優しくなんてしてやれないからな」
フイッと背を向けてしまったカカシを、サクラは呆然と見つめた。
こんなこと言いに来たんじゃない。
別にずっと優しくなんてしてくれなくてもいい。
ただの売り言葉に買い言葉。
だけど、カカシの言葉がなぜが胸に突き刺さった矢のように痛かった。
向けられた背が、自分を拒絶されたように思えて悲しくなる。
「……先生の馬鹿」
大きな背を拳でポテンと叩く。
涙がポロポロと流れ落ちた。
「……先生の甘えん坊」
ポテポテと背を叩き続ける。
力の入っていない拳に、自分の想いをいろいろと乗せて叩き続けた。
「……来なきゃいいなんて……言わないでよ…………」
「サクラ…?」
やっと振り向く気配に、涙に濡れてぐちゃぐちゃな顔のまま、カカシを見上げた。
「先生に会いたいもん……ケンカしても会いたいもん……」
「……うん、俺も」
さっきまでのカカシとは打って変わって、優しくサクラを抱き寄せてくれる。
背に回された腕の力の強さに安堵感がわき上がってきた。
「一分一秒でも一緒にいたいんだもん」
「うん、俺も」
目に映ったカカシの笑顔は、とても穏やかで暖かいものだった。
だだをこねるカカシも、甘えてくるカカシも、サクラは嫌いなわけではない。そんなことをしてくるのは自分にだけだろうし優越感もある。
しかし、やはりカカシの穏やかな笑顔を一番好きなのだ。
「太っても先生大好きv」
「……絶対気にすると思うけど」
「う〜ん、ちょっと気になるけど……でも頑張ってくれるんでしょ?」
「何を?」
「ダイエットv」
泣いた烏がもう笑ってると、カカシは口を歪ませた。
「ま、修行でも増やして脂肪を筋肉に変えようかな」
あきらめ半分で呟くカカシに、サクラは幸せを感じてしまう。
結局、彼はいつもサクラのために動いてくれるのだ。しぶしぶであろうと積極的であろうと、重い腰を上げてくれる。
ところが、カカシの表情が何かを思い付いたように輝いた。その瞬間に幸せな気持ちが一気に地獄に落とされたように暗くなった。
こういう顔をする時は、からなずサクラに災いが降りかかるのだ。
「サクラもダイエットしなきゃなんないよね?」
「うっ、うん」
眉を潜めて頷くと、急に身体がふわりと浮き上がった。
「わっ、先生!」
抱き上げられて咄嗟にしがみつくと、もうベッドに押さえつけられていた。
「一緒に運動しようv」
「は? この体勢で?」
「そう。気持ちよく運動できる方法があるから」
「……何?」
「セクササイズvv 前戯にエクササイズを取り入れるんだってさ。結構快感なんだって。試そうよ」
カカシの目が期待にきらりと光った。
反対にサクラの瞳は怯えて、涙まで浮かんでいる。
「いやーーーーーーーーーーーっ!!!!」
「そんなこと言わないでv 優しくするからv」
まだまだか弱いサクラがカカシから逃れられるはずもない。
おかげでカカシの体重&体脂肪は見る見るうちに減っていき、肌までつややかになったそうだ。
痩せられない連中からダイエット法を聞かれて、解説した後にカカシはこう言ったそうである。
「だってサクラが可愛いから、何回でもできるんだもんv あっ、もちろんサクラも痩せて来たよ。でも、何だか顔色悪いんだよね〜。ちゃんと食べてんのかな。無理なダイエットしないように注意しとかなきゃ」
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