Capriccio



 外界と完全に隔絶された空間を、独特な外套を纏った人影が小さく足音を立てながら進んでいく。
 天井に一定間隔で明かりの吊るされた長い廊下の端まで来ると、壁に手をあて、小さく呟いた。
「開け」
 押し当てた手を中心として、一瞬紅い紋がはしり、壁が消失する。
 その奥に出現したさらに地下へと続く階段へ、人影は躊躇無く足を進めた。



 無機質な長い階段を下りきり、数歩あるいて立ち止まる。
 目の前の闇色に塗られたドアを己の真紅の目に映し、その先を視るように、僅かに目を細めた。
 このドアの先には、闇しか広がっていないと言いたげなその色。そこの立ち入ろうとする者を拒もうとしている様にも見えるドアに、手を滑らせる。

     ――ならば、闇に生きる者にはどうだと言うのだろうか。
        闇へ還るという事は、元の場所に戻るだけではないのか。

「――少なくとも、俺にとっては…」
 この中にいる少女にとっては、そうではないのだろうが。

 そう思いながら、イタチは闇色で塗りつぶされたドアを押し開けた。








 床一面が様々な種類の書物で埋めつくされ雑然とした部屋の一角に、唯一書物に埋もれていない家具があった。その簡素なベッドの上に、胎児のように身体を丸めている小さな人影を見つけ、読み散らかされた書物の上を歩いて傍らへと移動する。

 黒い衣を纏った身体を丸め、目を閉じている華奢な身体。
 こちらに気付いてないはずはないというのに、頑なに反応を見せない彼女に向かって少し笑い、すぐ側に腰かける。
 その重みに耐えかねて、ベッドがギシリと音を立てて軋んだ。

 薄紅の柔らかな髪を梳きながら、小さな背中に問いかける。
「サクラ、前の本はどうしたんだ、もう読んだのか?」
 言ってから、足元に散乱していた書物の中に、つい一昨日あげたとおぼしき物を見つけ、口元に小さく笑みを浮かべた。

     ――素晴らしい

「悪いが、今日は持ってきてないんだ。次に来る時には何冊か持ってこよう、約束する」
 ――だから、こちらを向いて。

 そう思ったのが通じたのかどうか、彼女は壁に向けていた身体をごろりと反転させ、イタチの顔を下から覗き込むような形で見上げた。


 彼女から視線を合わせてくる事など、滅多にある事ではない。


 何処までも透き通った緑の瞳を見下ろし、少し広めの額に刻まれた紅い紋様に触れながら、彼は少しだけ頬を緩めた。
 抵抗しても体力の無駄とばかりに、サクラは目を閉じて、額の紋様をなぞる手を払いもしない。
 最初の頃とは大違いだ。





 彼がサクラの額に刻んだ紋様は、彼女を拘束するためのもの。
 自分の側に置いておくための【鎖】。
 それがある限り、彼女はここから逃げるどころか、この部屋を出る事すら、一人ではままならない。

 そんなサクラの唯一の楽しみが、読書。
 彼女は、乾ききった大地が水を吸収するように、読み得た知識をすぐに己の物として使いこなした。
 難解な書物をすんなりと読破し、暗号を見せれば、すぐに読み解いてしまう。
 その頭脳は、彼の仲間の誰もが認めるところだ。
 そして、もう一つ――





「サクラ、あれは使いこなせるようになったのか?」
 瞼が小さく震え、緑の瞳が覗いたかと思うと、すっと身を起こして彼女は小さく首をかしげた。
「たぶん…使えるように、なったと思う」
「じゃあ、試してみよう」
「……え?」

 サクラが尋ねるより早く、イタチはホルダーから抜いたクナイで己の左手を貫いた。
 おびただしい量の鮮血があふれ出し、見る見るうちに腕を赤く染める。

「な…何してるの!」

 慌てて止血しようとするサクラとは対照的に、イタチは冷静に少女に左手を差し出した。
「医療術、使えるようになったんだろう? これで試せばいい」
「小さい怪我にしか使った事無いんだから、失敗したら――」
 まるで自分が怪我をしたかのように顔を曇らせるサクラに向かって、ハッキリと言い切る。

「できるさ」
「でも…!」
「俺は、君を信じてる……大丈夫さ」
 少女はそう言い切るイタチの顔と、鮮血を滴らせる手とを交互に見やり、やがて口元を引き締めた。


「わかりました」








 胸の前で間に少し空間をあけて手を構え、手の間の虚空を凝視する。
 チャクラがかなりの濃度でそこに凝縮されていくのがよく見えた。

 一定の強さから外れないよう、慎重にチャクラの強さを調整するのは、相当疲弊するもの。それをこなしながらチャクラを凝縮していくのは、さらに疲弊の度合いが増し、非常に困難だ。
 医療術を使いこなせる者が少ないのは、医療術という分野が完成してまだ間もない事もあるが、扱いが非常に難しいからでもある。
 【暁】でも、かなり高度に使いこなせているのは、元メンバーだった大蛇丸の腹心のカブトという者くらい。各々が怪我自体を滅多に負わない為、需要が少なかった事もある。

     ――だが、この少女は

 彼女に眼をやれば、白い鼻梁を汗が伝い、鼻先から服へと滑り落ちて小さなしみを作っていた。
 この少女が滅多に見せる事の無い、その真剣な表情に、惹かれる。
 不意に少女が顔を上げ、じっと凝視していた事に気付いたのかと、内心少し焦った。

「いきますよ」
 言葉と共に、イタチの左手を挟み込むようにして手で包み込む。
 医療術独特のチャクラの白い光で、左手がどうなっているのかは分からなかったが、温かいと感じた。
 ただ、優しいだけの温かさ。その温もりは、自分が長らく忘れていた物のように思う。

     ――また、思い出す事になるとはな…

 その温もりを享受していた時の事を思い出し、次いで、この少女を攫った時に見た弟の顔を思い出す。
 あいつも、この少女の中に温もりを見出していたのだろうか。





 サクラの眉が苦しげに寄せられ、額から滲み出た汗が、こめかみを伝って細い首へと流れ落ちる。
 一瞬、左手を包んでいた光が弱まり、左手の治癒の様子が垣間見えた。
 もうほとんど治りきっているのではないだろうか。イタチの眼には、そう見える。

 不意に、微妙に離れていたはずの少女の手が触れ、それを合図にしたように白い光が徐々に治まっていった。
 白い小さな手が、傷のあった位置を覆っているため、傷の様子は分からない。
 だが――痛みはない。

 治せたか自信が無いのか、じっと、彼の手を覆っている自分の手を凝視しているサクラに、イタチは掌に重なっていた手を軽く握った。
 はっとしたようにサクラが彼の顔を見上げるのに眼をとめ、イタチはあいている右手で、汗で額に張り付いていた薄紅色の髪をかき上げてやる。そこで、まっすぐに自分を見つめている緑の双眸と出合い、その瞳がまだどこか不安げに揺れているのを見つけ、彼は少女の手を握ったまま手を持ち上げて見せた。


「大丈夫だ、痛くない。――成功だよ、サクラ」


 イタチの言葉にほっと息をつき、次の瞬間、ふらりとサクラの身体が揺れた。
 素早く右手を背中に回し、抱きとめる。
 どうしたのかと顔を覗き込み、間隔の長い小さな呼吸に微かに目を見張った。

「寝てる……」
 まさか、自分の腕の中で寝入ってしまうとは。
 自分は、こんな生活を余儀なくさせた張本人だというのに。

     ――それほどまで必死になって、治そうとしてくれたのか

 そう思い当たると、何故だか自然と頬が緩んだ。自然と笑んだ事なんて、一体いつ振りだろうか。
 そう考えながら、左手から起こさぬよう慎重に、少女の手を外していく。
 目の高さに持ち上げて、彼女に癒された手を眺めた。軽く手を握り、異常がない事を確認する。皮が突っ張るような気がするのは、癒されたばかりだから仕方ないだろう。一時間もしないうちに消えるとは思うが。



 サクラの身体を、脚の上に横抱きになるように座らせ、身体を自分へもたれさせる。
 落ちないように軽く腰を支え、汗でしっとりと湿った髪を梳いた。
 こんなに穏やかな気持ちになったのは、里を出てから初めてではないだろうか。

     ――彼女が目を覚ますまで、こうしていようか

 ふと頭に浮かんだ考えに、口元だけで小さく笑い、頷く。


 感謝と謝罪の意を込めて、イタチはそっとサクラの額に口づけた。





■アトガキ■
ついにイタサク書いてしまったよ。
いやー、最近イタチ兄さんにすごく萌えててさぁ。すっごい絵の上手なサイトがあって、即ハマリ(笑)
イタチの喋り方が、よく分からんのです。目上の方には敬語、それ以外はサスケに似てるよな、くらいしか。

裏設定では、サクラはイタチに才能を見込まれて、攫われたのです。
んで今は、【暁】本部みたいな所の地下に、囚われている…かな。
イタチ兄さんは、サクラに優しいです。術とかを教えてあげてるのも彼。写輪眼あるから術なんて怖くないだろうし、押さえ込める自信があるので。

DLフリー期間→2003年4月20〜5月11日まで



DLフリーということで、頂いちゃいました!!!
セツナさん、ふとっぱらです!!
私の願望がそのまま文章になったような作品で、ため息が出ちゃいます。

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