こねこのめ


昔から、動物の類からは徹底的に嫌われた。
人懐っこいと評判の犬にも、まだ小さい仔猫にも。
僅かに触れるだけで、威嚇するように唸り声をあげるか、噛み付かれるか。
たぶん、それは怯えの心の裏返し。

彼らは本能で感じ取っていた。
自分の中にいる、獣の存在を。

そういえば、人間も動物だった。

 

「・・・・やな夢」

昔の夢を見た日はろくなことがない。
朝、目覚めるなり俺は布団の中で腕を擦る。
夢の中で、犬に噛まれた場所を。

そして嫌なジンクスは、今日も正確に果たされた。
サクラちゃんがいなくなったのは、その日の薬草摘みの任務中だった。

 

 

 

小雪が舞う中、俺たちはぶつぶつと文句を言いながら森に入った。
雪が降ろうとも、この日程は前から決められたもので、替えられない。
入るのに特殊な許可がいる森で、申請が必要な場所だからだ。
ここでしか根付かない、特殊な薬草でもあるのだろうか。

半日過ぎても集合時間になっても姿を見せないサクラちゃんに、カカシ先生は顔色を変えた。
俺とサスケも手分けして捜したけれど、サクラちゃんは見つからなかった。
完全な失踪だ。
だけれど、俺たちがこの森にいられる時間は、一日だけ。
夜になっても帰ってこなかったサクラちゃんの捜索は、一週間後。
捜索隊を出すにも、申請が必要らしい。

 

馬鹿馬鹿しい。
サクラちゃんが、死にかけてるかもしれないのに、一週間も待てって?
俺はそんなものを無視して明日から森に入ろうと決めたのだけれど、先んじてカカシ先生に釘をさされた。

「規則違反をすると、死ぬぞ」

反論を許さない、厳しい声だった。
分かってる。
サクラちゃんを心配しているのは自分だけじゃない。
先生も同じだ。
黙って言葉を呑み込むことしかできない自分が、不甲斐なかった。

 

 

夜、森を歩き回った疲れか、足を引きずりながら帰路を歩いていると、人だかりを見つけた。
何事かと人の輪をかき分けて進むと、そこにいたのは、赤毛の仔猫だった。
木から落ちでもしたのか、腕に怪我をしている。
仔猫は近づく人間を、片っ端から爪で攻撃しているようだった。
よほど人嫌いの猫なのか。

「殺しちまえ」
そんな冷たい野次まで飛び交う始末だ。
確かに、親切心で近づいて、引っかかれたら溜まったものではない。
かといって、見過ごすことも出来なかった。

「ちょ、ちょっと待ってよ!俺にまかせてよ」
俺は攻撃されるのを覚悟で、猫に歩み寄った。
周りの人達は、馬鹿な奴、というように自分を見ている。
たぶん、彼らは俺が仔猫にやられる場面しか想像していなかっただろう。
俺自身がそうなのだ。

だけれど、俺が一歩踏み出すなり、信じられない出来事が起こった。

 

目を吊り上げるようにして周囲を睨んでいた仔猫。
その猫が、俺の顔を見るなり、飛びついてきた。
俺は仔猫が体当たり攻撃をしてきたと思って、尻餅をつく。
でも、違った。
仔猫は嬉しそうな鳴き声をあげると、俺の顔をしきりに舐めてくる。
予想外のことに、俺もその場にいた人間も全員目を丸くした。

『スズ』と名札をつけた仔猫。
「ようやくご主人を見つけた」という顔で見つめてくる仔猫に、俺はどうしたらいいのか分からなかった。

 

 

 

 

すっかり俺から離れなくなった仔猫。

スズは奇妙な猫だった。
俺の隣りが自分の指摘席、というように、どこにでも付いてくる。
名札を頼りに、俺は必死に飼い主を捜そうとしたけれど、見覚えのある人は近所にいなかった。
ただ、スズを見たカカシ先生が一瞬奇妙な顔をして、「あの猫のはずがないよなぁ」と訳の分からないことを呟いていた。
同じ名前のよく似た猫を知っているけど、それは十年以上前に死んだそうだ。
スズはエサもきちんと食べるし幽霊には見えない。
全く、論外な話。

 

「お前の飼い主はどこにいるんだよ」

暖房器具の横で寝そべっているスズに訊ねてみる。
もちろん返事が返ってくるはずがないけれど、スズはしっかりと目を開けてこっちを見た。
混じり気のない、澄んだ緑の瞳。
顔はこっちを向いていたけれど、自分以外の何かを見つめているように感じた。

まどろんでいたスズは俺が話し掛けたことで目が覚めてしまったのか、とことこと歩き始めた。
その先にあったのは、7班のみんなで撮った写真。
「俺の仲間だよ」
ニャーと鳴いたスズに、笑いながら説明する。

「このピンクの髪の子がね、俺の大事な人なんだけど、どっかに消えちゃったんだ。彼女が見つかるまで、任務はお休みで、こうして家にいるの」
俺はスズの頭を優しくなでる。
「無事だと、いいんだけど・・・・」

 

本当は、不安で不安でしょうがない。
サクラちゃんに、もしものことがあったら・・・。
俺が、こうして冷静に話していられるのも、スズのおかげだ。
一人だったら、最悪な結果ばかり頭に浮かんで、夜も眠れない。

「サクラちゃん、元気でいると思うか?」
スズは俺を見上げると、ニャーと一声鳴いた。
大丈夫、というように。
他人に言ったら、馬鹿馬鹿しいと一笑されてしまうだろうけど。
俺の手に擦り寄ってきたスズは、確かにそう言っていた。

 

 

 

スズはいなくなったのは、それからすぐだった。

しかも、最後に目撃した者が言うのには、森へと向かう道を歩いていたということなのだから、目も当てられない。
入ることを許されない森。
猫ならともかく、俺ではどうしょうもない。
サクラちゃんに次いで、再び俺はあの森で無くしものをしてしまった。

森の入り口の柵の手前でずっと立っていたのは、スズが戻ってくるんじゃないかと思ったから。
随分と時間が経った気がする。
吐く息がいつもより白いと思っていたら、空から、何か落ちてきた。
肌に触れると、すぐに消えてしまうような粉雪。

「そういえば、朝も降っていたんだよな・・・・」

窓枠に残っていた雪の塊を思い出しながら、呟く。
スズがいなくなった朝も、サクラちゃんがいなくなった朝も、同じように雪が降っていた。
そう考えると、雪が嫌いになりそうだ。

雪が本格的に降り始める前にと、俺は踵を返す。

 

 

「ナルト」

ふいに、耳についた女の子の声。
聞き間違えるはずがない、大好きな人の。

「サクラちゃん!!?」
振り向いた俺の目に飛び込んできたのは、予想通り、サクラちゃんだ。
「何してるのよ、あんた。こんなところで」
言いながら、サクラちゃんは鍵の掛かった柵を乗り越えて俺の前までやってくる。
見たところ怪我もなく、最後に見たときのままの服装だ。
安堵の溜息が出たすぐ後に、俺はとっさに訊ねていた。

「猫、見なかった!?赤毛の仔猫で、首には「スズ」って名札を付けてるんだ」

その瞬間、サクラちゃんは目を見開いて俺を見た。
まずい質問だった、気がする。
サクラちゃんの怪我の有無を訊ねるほうが先だったかと思ったとき、サクラちゃんは突然泣き出した。

「さ、サクラちゃん、大丈夫?どこか、体の具合でも悪いの」
ポケットを探ったけれど、ハンカチなんて気の利いたものは入っていない。
ただおろおろとする俺に、サクラちゃんは叱るような口調で言った。

「同じこと言わないでよ。馬鹿!」

 

  

 

スズと入れ替わるようにして戻ってきたサクラちゃん。
サクラちゃんは、スズのことを知っているようで、仔猫はちゃんと飼い主のもとへと帰れたと教えてくれた。
そして、飼い主と共に、遠い場所へ行ってしまったとのこと。
もう会えないと思うと寂しくなったけれど、元気ならばそれでいいと思うことにした。

サクラちゃんといえば、失踪事件以降、不思議と俺の家に頻繁にやってくるようになった。
それ自体は、とても嬉しい。
でも、気になることが、一つ。

 

「俺さ、庭の花に水遣りに行くんだけど、行く?」
「うん」
今日もうちに来ていたサクラちゃんに声をかける。
振り返ったサクラちゃんは、微笑んだあとに、少しだけ目を細めた。
懐かしそうに、俺を見る。
俺を通して、何か別のものを見ているような瞳。

サクラちゃんの緑の瞳は、スズとまるで一緒だった。


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