エンジェル・ブルー V


「サクラ、最近明るくなったよね」
「そう?」
ペンを片手に机に向かっていたサクラは、顔を上げていのを見る。
「今までは言いたいこと隠してすぐ黙っちゃってたじゃない。最初に私に話し掛けてきたときはビックリしたわよ」
「へ、変かな?」
「ううん。今のがずっといいよー」
首を振って笑ういのにサクラも顔を綻ばせる。
「有難う」

数分後に、チャイムの音が昼休みの始まりを知らせた。

腕時計で時刻を確認すると、サクラはおもむろに立ち上がる。
屋上に行くために。
昼休みに屋上で弁当を食べることは、友達が出来たあともサクラの日課になっていた。

 

 

冬の気配を感じる気候に、冷たい風の吹く屋上にはいよいよ人気がなくなる。
屋上へと続く扉を開けると、サクラは外の空気を胸いっぱい吸い込んだ。

太陽の光に数回瞬きしたあと、サクラはきゃろきょろと付近を窺って歩く。
そして、白衣を着たカカシの姿が目に入るなり、サクラはゆっくりと微笑んだ。
「カカシ先生」
駆け寄るサクラに、カカシは眩しそうに目を細める。

「はい、先生のお弁当」
包みを渡され、カカシは困ったような顔をした。
「サクラ。いつも言ってるけど・・・」
「はいはい。天使は食物を食べて栄養を取る必要はないんでしょ。分かってるわよ」
サクラはカカシに無理に弁当を押し付ける。
「でも、食べれないわけじゃないんだから、別にいいじゃない」

 

サクラと肩を並べて弁当を食べながら、カカシは終始浮かない表情だった。
サクラといると、カカシは時々忘れそうになる。
自分が、何者で、何のためにここに来たのか。

弁当のみならず、サクラは熱いお茶と手作り菓子を差し入れする。
サクラが、カカシを人間と同等に扱っている証拠。
今までカカシが接触した人間達は、天使に対してそれなりの畏怖の念を持っていた。
それが、サクラには感じられない。
だけれど、不思議なことにそれはカカシにとって全く不快ではないのだ。

近頃、カカシは頻繁にハヤテのことを思い出した。
ハヤテの二の舞はごめんだと強く思うのに、反面、彼がひどく羨ましくなったりする。
その理由を、カカシは十分に理解していた。
けして、口に出すわけにいかないけれど。

 

休み時間が終わると、サクラは空の弁当箱を二つ抱えて踵を返した。

「またね、カカシ先生」
「うん」
手を振るサクラに、カカシは笑顔で応える。
「さよなら」

 

 

それから、カカシはサクラの前に現れることは無くなった。

学園から。
そして、天上界からも。
カカシは姿を消した。

 

 

 

 

 

「見つけた!」
カカシの姿を見た瞬間に、アスマは声をあげていた。
街の雑踏の中、気配を消したカカシを探すのは天使といえど一苦労だった。

「お前、どうして上にあがって来ないんだよ。毎日の報告書提出は義務だろう」
「・・・ああ」
逃げないようにするためか、肩を掴んでいるアスマにカカシはだるそうに答える。
遠目では分からなかったが顔色が悪く、具合が悪そうだった。
瞬時に状況を悟り、アスマは愕然とする。
「もしかして、あがらないんじゃなくて、あがれないのか?」
「・・・・体が重くなって、力も前みたいに使えなくなってる。これは、たぶん」
近づいている。
カカシの存在が消えるときが。

「あの子の恋が成就すればいいんだろ。俺も協力するから・・・」
「駄目だよ」
焦るアスマに、カカシは首を振る。
「他の天使の仕事に口出しするのは禁止されてるだろ。それに」
言葉を切ると、カカシは辛そうに顔を歪ませる。
「サクラの願いが叶うことを、俺が望んでいない。見たくないんだ」
「・・・・お前」

 

カカシの顔を見据えていたアスマは、やがて深々と嘆息した。
「その様子じゃ、知らないだろう。お前がいなくなったあと、あの子がどうなったか」
「・・・サクラ?」
意外な言葉に、カカシの表情はにわかに曇る。
「サスケの奴とうまくいってるんだろ」

カカシの目から見て、サスケがサクラのことを悪く思っていないのははっきりとしていた。
サクラがよほどのへまをしないかぎり、時間はかかっても、二人は上手くいくはずだ。
そう思って、カカシはサクラの前から去ろうと決意したのだ。
それが、アスマの口調だと何か問題があったように聞こえる。

「消えるのはお前の勝手だが、ちゃんと後始末していけよ」

一つ忠告をすると、アスマはそのまま天に帰っていった。
カカシの問いに、最後まで答えることなく。

 

 

 

 

「馬鹿な子だねぇ。どうして捜すのさ。俺のことなんか」

とぼとぼと暗い夜道を歩いていたサクラは、背後から聞こえた声に目を見開いて振り返る。
サクラの家から僅かに離れた場所。
街灯の下に、カカシが佇んでいた。
白衣は着ていなかったけれど、サクラを見詰める暖かな眼差しは学園にいるときと変わらない。

「カカシ先生!」
言葉と同時に、サクラは駆け出していた。
胸に飛び込むと、しっかりと抱きしめられる。
懐かしい匂いに、サクラの目からは熱い涙がこぼれた。

「何で、何で・・・・」
いなくなった理由を訊こうとしたサクラだったが、言葉が続かなかった。
ただ、嗚咽と共にカカシにしがみつく。
手を離すと、またいなくなってしまう気がして。

カカシが消息を絶って以降、サクラは放課後になるとカカシを捜して歩いていた。
部活動を休んで。
食が細くなり、両親や友達が心配しても町を歩くことをやめなかった。
そして、屋上へやってくるたびに涙した。

何か、少しでもカカシの痕跡がないかと。
そればかりを考えていた。

 

「私、カカシ先生が背中を押してくれたから、先生が見守ってくれてるから頑張れた。変われたの。だから、先生がいなくなったら・・・・」
どもりながらも喋り続けたサクラは、ついには声が出なくなる。
しゃくりをあげるサクラの頭を、カカシは優しく撫で付けた。

「サクラ、前に言ってた、俺のお願い聞いてもらえる?」
「な、何」
「サスケなんかじゃなくて、俺のこと見てよ」
サクラのすすり泣きが、ぴたりと止まった。
瞳に涙をためたまま、サクラは戸惑ったような表情でカカシを見上げる。
「・・・何で?」
「サクラのことが好きなんだ」

その言葉は、驚くほどあっさりと口に出た。
迷っていたのが、嘘のように。
サクラの泣き顔を見ていたら、カカシは何もかもがどうでもよくなってしまった。
ただ、サクラに自分の気持ちを知って欲しいと思った。

驚いたサクラの顔は、みるみるうちに喜びに満ちたものに変化していく。

「私も。先生が好き」

 

かすんでいく視界でカカシが最後に見たのは、涙で目元と鼻を赤くしたサクラの、とびきりの笑顔だった。


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