眠れない夜
目が覚めると、サクラがいなかった。
傍らの寝床には、ナルトとサスケが揃って高鼾をかいている。
カカシは暫らく半身を起こしていたが、いつまで待ってもサクラが戻ってくる気配は無い。
任務のため、里を遠く離れ異国の地。
治安のいいこの町で滅多な事は無いと思うが、宿の客にがらの悪い連中がいないとも限らない。
カカシは布団から這い出ると、ナルト達を起こさないように襖を開けた。
バシャンッ
ふいに、耳についた水音。
注意深く廊下を歩いていたカカシは、その物音に眉をひそめる。
音は宿の外から聞こえてきたようだ。
カカシが廊下の格子越しに外の様子を窺うと、つるべを以って井戸水を汲む一人の少女が見える。
桃色の髪の娘は間違いなく、白い単を身に付けたサクラ。
うつむきかげんのその顔は、月が雲に隠れると、薄ぼんやりとしたものに変わる。喉が渇いたから水を汲みに来た、というわけではなさそうだ。
部屋には水差しが用意してあるのだから。
訝しげな顔つきになると、カカシは勝手口の扉に向い歩き始めた。
井戸端にやってきたカカシの気配に気付いたようで、サクラはすぐに振り返る。
そしてカカシと目が合うなり、気まずそうに面を伏せた。
カカシの目線は、サクラの顔からその足元へと移る。
サクラは宿の桶を拝借し、片足を水に浸していた。
サクラが何かを言う前に、カカシはその意味を察する。「・・・怪我をしていたのか」
「・・・・」サクラは唇を噛み締めたまま声を出さない。
木々に囲まれた宿の庭先、虫の声と近所の犬の遠吠えだけが、闇の中に響いている。
重い沈黙が、サクラの気持ちを一層萎縮させた。サクラは任務の最中に足を捻ってしまったことを皆に隠していた。
ただでさえ最近サスケやナルトの活躍が目立っているのに、足手まといになりたくないと思ってのことだ。
しかし、夜になり腫れの酷くなった足に我慢が出来なくなり、こうして井戸水で冷やしていたのだ。
腕を取られたと思うと、サクラは驚く間もなくカカシの肩に担ぎ上げられた。
「せ、先生!?」
「黙って」
カカシの制止に、サクラは今が深夜だったことを思い出して口を閉ざす。
サクラの身体は緊張に震えていた。
怪我を黙っていたことを、怒られると思った。カカシは勝手口を入ってすぐにある椅子にサクラを座らせると、手ぬぐいでその足を拭った。
「いっ・・・」
患部に触れたカカシに、サクラは思わず声をあげる。
「ここも痛い?」
「ん」
カカシは丁寧にサクラの怪我を見分する。
腫れてはいるが、骨には異常はないようだ。
部屋に帰ったカカシは、膏薬を手にすぐに戻ってきた。
「明日は宿に残っていなさい。一日おけば、大分腫れがひくだろうから」
カカシは少しもサクラを咎めることを言わず、ただ怪我について淡々と話す。
「それと・・・」
「先生」
サクラはたまらずにカカシの言葉を遮った。「怒ってないの?」
「何で俺が怒るのさ」
逆に問い返すカカシに、サクラは言いよどむ。
「・・・私が、怪我のこと黙ってたから」
「そんなことは怒ることじゃないよ」
カカシは目線を下げるとサクラの足の包帯を巻き始める。
くるくると器用に包帯を巻く手をサクラはじっと見詰めた。「むしろ自分に腹がたってる。サクラが無理してるのに気付かなかったなんて・・・担任失格だ」
ぽつりともらしたカカシに、サクラは目を見開く。
顔を下げているカカシの表情はサクラからは見えない。
だが、カカシが自分を責めているのだということは、その声音からはっきりと分かる。
カカシらしくなく、頼りなげな声。
「はい、終わり」
治療が終わるなり、カカシはおもむろに立ち上がる。
しょんぼりと肩を落とすサクラに、カカシはにっこりと笑いかけた。
「部屋まで歩けるか?」
柔らかく微笑むカカシに、暫し逡巡したサクラは両手を大きく広げた。
その動作が何を意味するか分からず首を傾げるカカシに、サクラは一言。
「おんぶ」大げさに驚くカカシに、サクラは少々照れくさくなる。
だけれど、カカシはサクラの言葉に素直に応じた。「珍しいね。サクラが俺に甘えてくるなんて」
カカシは面白そうに笑って言った。
何かあるとすぐにカカシに飛びついてくるナルトと違い、サクラは怪我をしても、疲れていても、カカシの手を借りようとはしない。
実際、今夜も怪我のことを口に出さず一人で処理しようとしていた。
てっきり今度も自分で歩くという返答をすると思っていたカカシに、サクラの行動は意外だった。「・・・だって、先生が優しいんだもの」
カシの首に腕を回し、サクラは呟く。
サクラが背にのったことを確認すると、カカシは苦笑いをして立ち上がった。
「サクラは女の子だからね。ナルトかサスケだったら、ちょっとくらいの怪我じゃ放っておくさ」
「ふぅん・・・」
応えながらも、サクラはそれを嘘だと感じた。
サクラの目には、カカシはこれ以上ないくらい生徒思いの教師だ。
自分では、照れくさいから認めようとしないだろうけれど。
「私、女の子で良かったなぁ」
サクラはカカシの背にそっと頬を当てる。
大きくて、広い背中。
暖かいその場所は、他の誰と入るときよりも安心する。「・・・カカシ先生」
「んー、何だ?」
「私ね、将来、カカシ先生の・・・・」
それから、サクラの言葉には妙な間が空いた。
カカシがいくら待っても、続く言葉は聞こえない。「サクラ?」
カカシが振り向くと、サクラの気持ちの良さそうな寝息が聞こえてきた。
怪我の痛みが和らいだことと、昼間の疲れが合わさり、話の途中で眠ってしまったらしい。
カカシは頬を緩めて、前方へと視線を戻す。
7班が揃って寝泊りしている部屋はもう目と鼻の先だ。目覚めてサクラがいなかったことに、どうしてあれほど不安な気持ちになったのか。
カカシには分からない。
ただ、廊下の短い距離を名残惜しく感じているのは確かだ。
私ね、将来、カカシ先生の・・・
「・・・何だよ」
布団に横たえたサクラの寝顔に聞いてみる。
無防備な顔で眠るサクラは、何も答えてくれなかった。
「あれ、先生寝不足―?目の下にクマが出来てるけど」
「ちょっとな・・・」
翌朝の食事の席、ナルトの問い掛けにカカシは曖昧に答える。
あれから、サクラの言葉の続きが気になってよく眠れなかったとは言えない。「カカシ先生」
食事が済むなり、サクラはカカシに駆け寄って袖を引いた。
その眼差しは昨夜の弱々しいものと違い、はつらつとした明るさがある。
「昨日はごめんなさい。有難うね」
「・・・いや。怪我の具合はどうだ」
「ん。先生の薬のおかげか、腫れもだいぶひいたわ」
サクラはにこにこ顔でカカシを見上げた。
その笑顔が眩しく見えるのは寝不足のせいだと、カカシは一人納得する。「あー、サクラ。昨日は最期に、何が言いたかったんだ」
「何のこと?」
きょとんとした顔つきのサクラを、カカシは困惑気味に見詰める。
「ほら、将来がどーのって・・・」
「・・・ああ、あれ」
何故か必死な様子のカカシに、サクラは思い出したのか小さく頷く。
「あれはねー・・・」答えを待つカカシに、サクラはぴたりと言葉を止めた。
カカシと目が合うと、サクラはふふっと楽しげに微笑む。
「内緒!!」
意表を付く答えに、カカシは呆気に取られた表情で固まった。
「任務、頑張ってね。明日は合流するから」
カカシの動揺をよそに、サクラはナルト達のいる方へと歩き出す。
サクラは宿の戸口で、任務に向かうカカシ達を見送った。
怪我の大事を取って、彼女は今日は留守番だ。
手を振るサクラを見詰め、カカシはどうにも釈然としないものを感じる。
一番疑問なのは、サクラの一言にここまで惑わされている自分自身だった。
あとがき??
続く言葉は「お嫁さんになりたいな」だったんですけど。
カカシ先生、サクラの天然お色気の術にはまってます。
まんまと翻弄されるエリート上忍・・・。