走る


「先生って、走らないね」

 

頬杖をついたサクラは、ちらりとカカシの顔を窺いながら言う。
「任務で緊急のときは別だけど、先生が走っているのって見たことないわ」
「そうだっけ?」
「そうよ。どんなに遅刻しても、悠々と歩いてくるの。あれって凄くむかつくんだから」
「悪い、悪い」
つんと目線をそらしたサクラに、カカシは苦笑気味に謝罪する。

「・・・先生が、何かに必死になることって、あるのかしらね」
俯いたサクラはどこか遠い目をして呟いた。
視線の先にあるのはカカシが用意した来客用のティーカップだが、サクラはそれを通り越して、何か、もっと深いものを見つめている気がする。
そのときカカシが思い出したのは、同じ椅子に座り、同じようなことを言った昔の恋人のことだった。

 

 

 

「親に見合いを勧められてるの」

切り出された話に、カカシは少しだけ目を見開く。
「どうしたらいいと思う?」
彼女は、じっとカカシの様子を見詰めて訊ねた。
彼女がどんな言葉を期待しているかは、分かっている。

だけれど、カカシはそれをためらった。
おおよそ、自分らしくない行動だったから。

 

「君の好きなようにしたら、いいんじゃないの」

そう言うと、彼女は笑った。
一見朗らかな、笑み。
だけれど、彼女のそんな寂しい顔を、今まで見たことは無かった。

「あなたが、何かに必死になることって、あるのかしらね」

 

カカシの言ったとおり、好きにした彼女は、その見合い相手と結婚した。
確かに好きだと思って付き合っていたはずなのに、その顔を思い出しても、今では何とも思わない。
あのとき、取り乱して見せたら、彼女が自分の前から去ることは無かっただろうか。
違う、日常があったのだろうか。

 

 

 

「先生」
サクラの呼び声が、カカシを現実へと引き戻す。
顔を上げると、サクラは穏やかに微笑んだ。

「お父さんの仕事の都合でね、今度彩の国に引っ越すことになったの。たぶん、行ったらもう帰って来れないと思う。両親は私が望むなら、里に残って一人暮らしをしてもいいって言ってるんだけど」
一呼吸置いて、サクラは少し首を傾ける。
「先生、どう思う?」

目の前のサクラに、過去の情景を再現しているような錯覚に陥る。
見合いと引越し。
理由は違えど、大切なものがカカシの手をすり抜けて消えようとしている。

とっさに何かを言おうとして、カカシは声を詰まらせた。
思い出したばかりの、過去の自分と同じように。

 

「サクラの好きにしたら、いいんじゃないの」

口から出たのは、自分でも驚くほど感情のこもらない声。
サクラは、苦笑いと共にカカシを見上げる。

「先生らしいね」

 

 

 

去るものは追わず、が信条。
だって、何かに必死な姿は格好悪い。
忍者は他人に感情を悟られてはならないのだから。

幼い頃から、忍びの世界に身を置いていたせいだろうか。
自分の素直な気持ちを伝えられず、ひどく不器用になってしまった。
春野家の荷物はとっくに引越し先へと渡り、あとは本人達が彩の国に渡るだけ、という段になっても、カカシはまだ家でぐずぐずしている。

 

ソファーに座り、何気なく顔を横へと向けると、壁に貼られた5月のカレンダーが目に入った。
そこには、見覚えのない、赤い印がしてある。
怪訝に思い、近くで見ると、8の数字のある日に全部丸印がしてあった。
8日、18日、28日。

誰の仕業かは、すぐに分かる。
この家に自由に出入りできるのは、カカシと、その生徒である薄紅色の髪の少女だけだ。

次の月のカレンダーをめくると、そこにも8の数字に丸印がしてある。
その翌月も、翌々月も。
気にはなるが、もう聞きようがなかった。
サクラは、もうこの里には帰ってこない。
二度と会えない。

 

カレンダーをめくった手をそのままに、カカシはようやく、サクラがいなくなるということを呑み込んだ。

 

いつかは分からないが、カレンダーに印をつけていたサクラは、カカシとの生活がずっと続くものと信じて疑っていなかった。
12月の、最後まで付いている、8の数字の赤い丸。
来年のカレンダーがあれば、そこにもついていたかもしれない。

当然だったサクラとの生活。
でも数年すれば、きっと忘れられる。
過去の恋人と同じように。
サクラを思い出しても、何も思わなくなる時が来る。

 

 

 

 

「サクラ、もう行くわよ」

空っぽの住居を見上げ、立ち尽くす娘に母親が声をかける。
里を出て、彩の国までの道のりは、3日ほど。
旅行用の荷物を背負ったサクラは、その一歩を、なかなか踏み出せずにいた。

木ノ葉の額当てはすでに返却し、知り合いにも別れを告げてきた。
それなのに、サクラの足は木の根っこが生えたように、地面にくっついている。
大きな心残りが、サクラに歯止めをかけている。

「何、ぐずぐずしてるの」
痺れを切らした母親が手を引こうとしたとき、サクラの体が後方へ引っ張られた。
体に馴染む体温とその気配。
振り向かずとも、サクラは自分の肩に手を置く人物が誰だか分かる。

 

「また遅刻だね」
「・・・・悪い」
弾んだ息で答えるカカシに、サクラは目を丸くして後ろを見る。
「先生、走ってきたんだ」
心底意外そうな声で言うサクラに、カカシは少し笑った。

「格好悪いだろ」
「格好いいよ」
嬉しそうに顔を綻ばせると、サクラはカカシの腕の中に飛び込んだ。

 

「先生。見送りに、来てくれたんですか?」
「いいえ」
不思議そうな顔で自分達を見るサクラの両親に、カカシは首を振る。
サクラを腕に抱いたまま、カカシはサクラの両親に頭を下げた。

「サクラを連れて行かないで下さい。お願いします」

 

 

 

どんなに想像しようとしても、できなかった。
サクラのいない、未来が。
二人、別々の道を歩むということに、恐怖すら覚えた。
サクラの記憶から、自分が消えてしまう日を思うと、たまらない気持ちになる。

あとは、自然とサクラに向かって体が動いていた。
体裁など、考えている余裕はない。
ただ、サクラの顔が見たくて、駆け出す。

それは、今まで感じたことの無い衝動だった。

 

 

 

「あの8の数字は、何だったの?」

家にやってきたサクラに、カレンダーを指差して訊ねる。
何のことだか分からない、という顔をしたサクラは、暫くカレンダーを眺めたあとに、ぽんと手を叩く。

「『廃品回収の日』よ。今まで十日だったのに八日に変わったみたいだから、先生に分かるように印つけておいたの・・・・先生?」
途中、笑い出したカカシに、サクラは怪訝な表情をする。
だけれど、カカシの笑いはなかなか収まらない。

自分を走らせたものが、『廃品回収の日』に端を発していたなんて、なんだか凄く可笑しかったのだ。


あとがき??
久々にカカサクらしいカカサクを書いたら、楽しかったです。(^_^)
やはり、カカサクは良いですね。心のオアシスvv


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