悪魔という名の天使 U


現場に到着したカカシとナルトの目に飛び込んできたのは、頭から血を流したサクラが担架で運ばれていく姿だった。
二人はは声も無くその様子を見つめている。
「へりに宙ずりになった子供を助けようとしたんですってよ」
「可哀想に」
「あれはもう駄目ね」

事故現場の周りを取り囲む主婦達の会話がやけに遠くから聞こえてくるような気がする。
いや、これが現実の光景であるということを頭が拒否している。

「なんでいないんだ」
カカシは付近を見回して訝しげに言う。
「カカシ先生?」
「おかしいな」
ナルトはカカシの服の袖口を引っ張ったが、カカシはナルトを振り返らずまだ周囲に目を配っている。
「カカシ先生、サクラちゃんならあそこにいるだろ」
ナルトは担架の上のサクラを指差すが、カカシはナルトの言葉には全く反応しなかった。
まるでサクラの姿を視界から外すようにして、しきりに「いない」という言葉を繰り返している。
そんなカカシにナルトは哀れみのこもった視線を向けたが、もうカカシに語りかけようとはしなかった。

 

カカシが必死に捜していたのは悪魔だった。
悪魔の姿がないということは、もう仕事をすませたということ。
サクラの魂が持ち去られたことを意味する。
しかし、そのようなことがあるはずがない。
カカシには生徒達が自分より先に死ぬということがどうしても信じられなかった。
とりわけサクラは死という言葉から最も縁遠い存在だ。

期せずして7班には暗いバックボーンの人間が集まっている。
九尾の妖狐をその身に封印され疎まれて育ったナルト、滅ぼされた一族の唯一の生き残りサスケ、そして暗部出身のカカシ。
その中でまるっきり普通の家庭で育ったサクラは明らかに浮いていた。
何も知らないサクラが羨ましい、煩わしい、妬ましいとそれぞれ千差万別な思いを抱きながら、素直で純真な心を持っているサクラにそのまま変わらず幸せでいて欲しいという気持ちは7班の人間の共通の願いだった。
それなのに。
7班の誰よりも先にサクラが死んでしまう。

カカシは笑い出したい気持ちを必死にらえていた。
世の中とはなんて理不尽なものなのか。
人殺しの自分がのうのうと生き長らえて、なんの罪もないサクラがあっさりといなくなってしまうとは。
カカシはこれは間接的に自分に与えられた罰なのだと思った。
自分の人生がこれからどんなに長いものだと教えられても、サクラが存在しないのなら、それらはカカシにとって全く意味のないものだった。
逆にそれは辛いだけの事実だ。
失ってから気付いても、全ては遅いというのに。

 

「サクラちゃん!!」
駆け寄ったナルトがサクラの乗った担架にすがりつくようにして叫んでいる。
涙で顔はぐしゃぐしゃだ。
「ちょっと、君、離れて、離れて」
救急隊員の声もナルトの耳には届かない。
「サクラちゃん、サクラちゃん」
サクラの体を強く揺さぶる。
死んでいるなんて信じられない。
まだこんなに暖かいのに。

「・・・痛い」
小さな呟きが聴こえたような気がして、ナルトが、あれっと思うのと同時に、起き上がったサクラの口から怒声が響いた。
「痛いって言ってるのよ、この馬鹿ナルトー!!気安く触らないでよーー!!」
ナルトの顔にパンチを入れたサクラが、顔をゆがめた。
「いたた。腕の骨、折っちゃったかしら」
ナルトは殴られた鼻の頭を押さえながらも、未だに信じられないという顔をしている。
「さ、さ、サクラちゃん。死んだんじゃ」
「死人が喋ると思ってるの!」
サクラは呆れた顔をしてナルトを見る。

「で、でも血が」
「ああ、これ」
サクラは額についた血のりを手にとると、ナルトの口に運んだ。
「・・・トマト」
血だと思ったのはトマトケチャップだった。
サクラが落ちたと思われる現場をよく見ると、確かに買い物袋が散らばっていて、ケチャップの袋も混じっている。
「買い物袋の上に落ちて、中身全部潰しちゃったみたい。あーあ」
真っ白のサクラのセーターに赤いシミがべったりとついていた。
「そうそう。ケチャップのシミってなかなか取れないのよねぇ」
近くにいた主婦達もサクラの言葉に相槌をうった。
ナルトは脱力して、その場に座り込んでいる。
「なんだよおばさん、さっきの「もう駄目」ってのはセーターのことだったのかよ。紛らわしい」

「だいたい、ナルトが大げさなのよ」
「ごめんってば」
ナルトはしきりに頭をかいてサクラに謝っている。
サクラはナルトの言ったとおり、8階建ての建物から落ちたが、8階から落ちたわけではなく、2階の踊り場部分から転落したのだ。

カカシが眠りについた後、サクラは必死の試みでなんとかカカシの手を引き剥がすことに成功していた。
そして、カカシが好きだと言ったスパゲティーの材料を買いに外にでた帰り道、子供が宙ずりになるという現場に居合わせたのだ。
子供を助けた後誤って2階から落ちたわけだが、その様子をカカシの見舞いに来たナルトが偶然向かいの建物の廊下から見ていた。
はっきりいって2階から落ちて死ぬほどの怪我をすることはめったにない、ましてサクラは忍者なのだ。
だが、気の動転したナルトは、カカシの家に駆け込んで、事件をカカシに知らせた。
軽い脳震盪を起こしていたサクラは、ナルトの声と怪我をした場所にナルトが手をかけた痛みで目が覚めたというのが真相だった。

「自分で歩けますから、大丈夫です」
腕以外たいした怪我のなかったサクラは、救急隊員に感謝の言葉をいって担架から降りた。
そしてようやく人垣の中に自分の担任がいることに気づく。
「カカシ先生、顔恐いよ」
まるで幽鬼のような顔のカカシがサクラを見つめていた。
「あれ、そういえばなんで先生こんなとこにいるのよ。パジャマ姿でうろついてるようじゃ病気治らな」
と、サクラが言葉を言い終えないうちに、カカシはサクラの腕を引っ張り込んで抱きしめた。
「うきゃああぁぁーーー!!先生、腕、腕痛いのよ、腕!痛い痛い痛いー!!」
サクラが生きている、その事実だけでカカシにはサクラの悲鳴すら耳に心地よく響いた。
サクラにはとても迷惑な話だったが。
カカシがサクラから手を離したのは、サクラが失神した後のことだった。

 

事件から一ヶ月ほど経過したある日、カカシは再び悪魔の姿を目撃した。

「なに、今度は俺の魂取りに来たの」
「違いますよ〜。そろそろ別の場所に移動するんで、お別れを言いに来たんです〜」
「サクラの魂は諦めたのか?」
カカシの言葉に、悪魔は曖昧な笑みを浮かべる。
何も言う様子のない悪魔に、カカシは別の質問をした。
「ところでさ、サクラの事故を細工したの、お前の仕業だろ」
「分かっちゃいました〜?」

サクラが8階から落ちたことは紛れもない真実だった。
いくらナルトが慌て者でも、サクラが2階から落ちたくらいで大騒ぎするわけはない。
「彼女は確かに一度死にました〜。それで、彼女の魂とちょっと話してみたんですよね〜」
「話?」
悪魔は頷いて人差し指を突き出した。
「彼女に、何か思い残すことはないかと訊いたんです〜。さて、彼女なんて言ったと思います〜?」
「さぁ」
「普通は、まだ死にたくないとか、どうして自分がとか言うものなんですけど〜」
悪魔は少しばかりカカシに顔を近づけて、悪戯な笑みを浮かべた。
「彼女は子供は無事なのかって言ったんです〜」
最後の最後まで人のいいサクラの言葉に、カカシはつい「馬鹿だな」と呟いて苦笑いをした。
だが、その馬鹿なところがサクラの愛すべき美点なのだ。

「それで、子供は助かったって言ったら、彼女すごーく綺麗に笑ったんですよね〜。本当に可愛い人です〜。で、ちょっと彼女に興味がわいてきまして、事故現場の人々の記憶を操作しちゃいました〜」
「興味―?」
悪魔は頷きながら答える。
「はっきりいって、もっと醜いドロドロした感情を持った人間の魂じゃないと、悪魔の国であまり値打ちがでないんですよ〜。だから彼女が大人になってその心根が変化したらまた来ようかなぁ〜って」
「あー、それ、たぶん無理」
カカシは手を振りながら言う。
「サクラは絶対に変わらないよ」
「どうしてですか〜。生きていれば辛いことって結構あるものですよね〜。そうしたら誰だって変わると思いますけど〜」
「俺が守るから」
きっぱりと言うカカシに悪魔はあっけにとられた表情をした。
「この先どんな困難な出来事があってもサクラを傷つけさせたりしない」
カカシの言葉は、それを確かに真実のものにできると思わせる、力強いものだった。

「それは彼女があなたの生徒だからですか〜」
悪魔は以前のカカシの言葉を思い出して言った。
「いや。一番大切な人だから」
「あれ〜。自覚しちゃったんですね〜。つまらない〜」
最初から全てお見通しだったように、悪魔は含み笑いをもらした。

「まぁ、僕も忙しいんで、一度戻した魂を再び取るなんて野暮なことしませんけど、これ本当は重大な規則違反なんですからね〜。二度はありませんよ〜。彼女が大事なら本当に守ってあげてくださいね〜」
「ああ」
答えてから、カカシは不思議そうな顔で訊ねた。
「お前、なんだかんだ言って親切だよな。なんで俺に良くしてくれるんだ」
思ってもいなかった問いかけに悪魔は暫し考えこんだ。
自分でも理由を図りかねている様子だ。
そして、彼が導き出した解答は、しごく単純なものだった。

「ハーブティーが美味しかったから、かな〜」

自分のためだけに入れられた一杯のお茶。
姿を見ることのできる人間が少ない中、初めて飲んだそれは彼にとってこの上なく甘露なものに感じられたのだ。
もちろん、悪魔の自分に臆することなく会話をする珍しい人間、カカシへの好意も理由の一つだ。

 

「最後に良いこと教えてあげます〜。今回のことで彼女だけでなく、あなたの未来もちょっとだけ変わりました〜。将来彼女はあなたの」
「カカシ先生―」
そこに、カカシを呼ぶサクラの元気な声が聴こえてきた。
か細い声でのんびりと話す悪魔の言葉は、サクラの声にあっさりとかき消される。
「え、なんだって?」
カカシは訊き返したが、悪魔はうっすらと微笑んだだけだった。

「先生ってば!呼んでるの聴こえてるんだから返事してよ」
「サクラ」
腕にしがみついてきたサクラに顔を向ける。
嬉しそうに微笑むサクラを見て、自然にカカシも顔をほころばせた。
そして、目を離したのはほんの一瞬だったはずなのに、悪魔の姿はどこにも見えなくなっている。
カカシは、用がなくなったから帰ったのか、と安心しがらも、もう当分会うことがないのかと思うと心なしか寂しい気分になった。

「カカシ先生、今日も先生の家に行っていい?」
「いいよ」
カカシはサクラの頭をなでながら答えた。
あれ以来サクラは頻繁にカカシの家に遊びに来るようになった。
スパゲティといえばミートソースしか作れなかったサクラも、研究したのか、パスタ料理のレパートリーが大分増えた。

ところであいつ最後になんて言ったんだろう、と首をかしげるカカシの耳に、悪魔の笑い声が微かに届いたような気がした。


あとがき??
長かった・・・・。メチャメチャ時間かかりました。少しづつ、少しづつで、一ヶ月くらい?
書きたかったのは冒頭と結びのところだけど、書いてて楽しかったのは、「好きなものは?」「サクラ」「・・・」の二人の会話。(笑)
新潟から帰る電車の中で考えた話。
カカシ先生とサクラにとって、悪魔どころか、彼は恋のキューピット(天使)だったわけですな。
良かった良かった。
終わりよければ全てよし。
ご都合な展開には目を瞑りましょう。(笑)
私、どんなにご都合でB級作品になりさがろうとも、ラストで誰も死なない作品が好きです。(映画も小説も)
ちなみに、スパゲティが好きなのは私。
一週間ピザやスパゲティの夕食で耐えられます。

下記はネタ帳に書かれたこの話のプロットの一部。

『今書いてるカカサク、めっちゃベタなオチにしていいかなぁ。
サクラが死んだ。大量に出た血。嘆き悲しむカカシとナルト。
オチ。「これトマトケチャップだってば」(サクラ)。
いきなりギャグに!!(笑)』

・・・こんなのプロットじゃない!!

それにしてもカカシ先生の例の台詞のあたりってまるっきりオーフェンだわ。
『我が心求めよ悪魔』の。(表紙が一番好きvv)
済みません、済みません。
サクラちゃんが死んだと思ったとき、カカシ先生がどうするかってのは実はものすごく悩みました。
だって、あんまり取り乱すところとか想像できないし、かといって無反応は寂しいし。
実際、どうなんでしょうねぇ。冷静な顔して頭の中大混乱してそうかな。


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