昔話 壱


子供の泣き声がする。
煩い。
どうして子供ってやつはああ大きな声で泣けるんだ。
物凄い肺活量だ。
大体、こんな人気のない森の中で泣いてたって誰も来てくれないぞ。
どっか、他の場所に行って泣け。

 

30分が経過し、俺の願いも虚しく、まだ子供のすすり泣きが続いている。
流石に声の音量は小さくなったものの、耳障りなことには変わりはない。
今日は厄日か。
仕事がオフの日だってのに、のんびり昼寝もできやしない。
せっかく寝るのに丁度いい木の枝があり、うららかな気候も昼寝にピッタリだというのに、その木の下でわんわんと声をたてられたらどうしようもない。
普段人が全く訪れないこの場所に他人がいること事態がすでに不機嫌の種だ。

いつまで経っても止むことのないその声にいい加減うんざりした俺は、枝を蹴ってその元凶の元へと降り立った。
その子供は突然現れた人物に驚き、目を丸くしている。
子供が泣き止んだことに安堵する間もなく、その子は再び大きな声で泣き始めた。
降りてくるんじゃなかった、とちょっと後悔。
今さらそんなことを言ってもしょうがないので、鞄から取り出した菓子を子供に差し出す。
「これやるから泣きやめ」

子供なら甘いものの方が良いということは分かっているが、あいにく俺は辛党だった。
手にしたものは、非常食も兼ねている煎餅。
『鬼あられ』と品名の書かれたこの煎餅は、俺がわざわざ遠くの店から取り寄せている逸品だ。
ようやく静かになった子供は俺の手元を見つめながら、ゆっくりと手を伸ばす。

「よしよし。この煎餅は特別美味いんだぞ。俺の大好物だ」
これ以上怯えられないよう、無理して笑顔をつくる。
「・・・有難う。おじさん」
おじさん。
子供の口からでた衝撃的な言葉につくり笑顔も凍る。
二十代前半も前半の俺は、もちろん「おじさん」呼ばわりされたのは初めてだ。

「おじさんじゃなくて、お兄さんだ!」
俺は思わず語尾を強調しながらマスクと額当てを取る。
子供は驚いた表情のままじっと俺の顔を眺めた。
「ごめんなさい」
素直に謝罪する子供に頷いた俺は、あることに気付いて子供を見返した。
緑のシャツに短パン、擦り傷だらけの手足、ぼさぼさの髪で、てっきり坊主だと思っていた。
だけれど、口調や仕草を見る限りどうやら女の子だったらしい。

「お前、それじゃ前髪目に入るだろ」
俺は屈むと、子供の桜色の髪をおもむろにかきあげた。
そして真っ直ぐに見つめ返してくる子供の視線に、動きが止まる。
一対の宝石のような色合いの瞳。
澄んだ翡翠に思いがけず見入られた。

言葉のない俺に、何を思ったのか子供はあわてて身を離した。
何故か必死に額を隠そうとしている。
「お兄ちゃんも私のおでこが広いと思う?」
子供の声は涙混じりだ。
何を気にしているのか知らないが、俺が見ていたのは額ではなく、その瞳だ。
「いや、別に」
前髪で隠れてよく分からないけれど、額の広さは気にするほどではないと思う。
むしろ子供ならば逆に可愛らしいという評価に繋がるのではないだろうか。

速答すると、子供は初めて笑顔を見せた。
なんだ、笑うこともできたんだな。
笑った方が全然可愛らしい顔つきになって、はっきりと女の子だと分かる。
「お前、名前は」
何となく子供に興味が出てきて俺は問い掛けた。
とたん、顔から笑顔が消えて子供はそのまま俯く。

「・・・知らない人に名前言っちゃ駄目ってお母さんが言ってた」
俺は暫しあっけにとられる。
知らない人から菓子はもらっても、名前は言えないっていうのか。
ちょっとむかついたが、子供は俺のあげた煎餅の袋を大事そうに抱えていたから、そんなことは言えなかった。
俺は大きく溜め息をつく。
「じゃあ、俺の名前も言わなくていいってことだよな」
「知ってるよ」
その言葉に、少々動揺する。
まさかうちの近所に住んでるガキだったのかと顔をもう一度しっかりと見たが、全く見覚えが無い。

「どむどむでしょ」
「・・・・は?」
俺は口を開けたままの間抜けな表情を子供に向けた。
なんだよ「どむどむ」って。
だけれど、子供はそんな俺を全く気にせず言葉を続ける。
「森にどむどむっていう鬼が住んでるってお母さんが言ってたもの。子供を捕まえて食べちゃうから、森に一人で入っちゃ駄目だって」

多分、「どむどむ」というのは子供が森で迷子にならないようにするための架空の鬼。
俺は純粋にその話を信じている子供に、苦笑した。
「お兄ちゃん、鬼なんでしょ」
子供は俺の服の裾を掴むと、真剣そのものの表情で訊ねる。

別に子供の夢を壊したくないとか、そんな良心が働いたわけではないけれど、俺は子供の話にあわせてみようかと悪戯心が出てきた。
それに、俺が鬼とは、言い得て妙じゃないか。
暗部に所属している俺は、ターゲットからしてみれば鬼そのものだろう。
「そうだよ」
笑いながら答えると、自分から言い出したことなのに子供はちょっとだけ怯えの混じった表情をした。
ひょっとしてこのまま逃げてしまうかな。

 

だが予想に反し、子供は俺から逃げることはなかった。
逆に、毎日毎日、この場所で俺のことを待っているようになった。
俺も別に約束をしているわけでもないのに、暇を見つけてはその場所に向かう。
決った場所でぽつんと座り込んでいる子供は、俺の姿を見つけると、いつも嬉しそうに駆けて来る。
そして、そのことに俺自身もホッとしていた。
誰かが自分が来るのを心待ちにしていてくれる。
なんて新鮮なことだろう。

二人でいても、別に何をするという目的があるわけではない。
俺はただ子供の話を聞いてやっているだけだ。
俺からの話といえばくだらない任務のことしかないし、子供は俺が鬼だと思っているのだからそんな話をしたらまずいだろう。
それに黙っていても、子供が日々のことを矢継ぎ早に話すので、俺はそれに相槌を打っているだけでいい。

子供の話はどこの家の猫が仔猫を産んだだとか、森で綺麗な花を見つけたとか、くだらないことばかり。
でも、そのくだらないと思える話を熱心に話す子供を見ているのはどうしてか楽しかった。
任務地と自宅の往復のみの生活を送っている自分には、異世界の話を聞いているような錯覚にさえ陥る。
まるで、この子供が自分と外界とを結ぶ唯一の接点のような。
本当に森に住む鬼になった気持ちだ。

 

任務が意外にも早く終了したある日、いつもの場所に向かおうとすると、森の入口付近で複数の子供の声が聴こえてきた。
木々の隙間から覗いてみる。
三人の子供に囲まれていたのは、あの桜色の髪の子供だった。
だが、どう見ても和気藹々としているという微笑ましい光景ではない。
これは苛めの風景だ。
俺が見ている僅かな間にも、あの子は他の子供に叩かれて屈みこんだ。

最初会った時にひどく泣いていたことや、傷だらけだった身体にようやく合点がいく。
そう思った瞬間、俺の胸を例えようもない怒りの感情が渦巻いた。
飛び出していきたい気持ちをなんとか堪える。
このままだとあの苛めっ子達の命の補償はない。
大きく深呼吸して高ぶった気持ちを落ち着かせると、俺は忍犬達をけしかけた。
これが最低限の妥協案だ。
殺してしまうよりは、犬に噛まれての怪我の一つや二つ、我慢してもらおう。

犬に追いかけられ、ちりぢりになった苛めっこ達の後姿を、子供が呆然とした顔で見ている。
「大丈夫か」
後ろから声をかけると、座り込んだままの子供が驚いて俺を仰ぎ見た。
「お兄ちゃん」
そして安心したように微笑んだかと思うと、突然、子供はふらりと倒れこんだ。
仰天した俺は慌てて駆け寄る。
「おい!」
小さな身体をゆすってみても反応はない。
呼びかけても子供は目を覚まさない。

その名を呼べないことが、歯がゆくて、とても辛いと感じた。


あとがき??
「どむどむ」は私が昔持っていた絵本に出てきた鬼の名前。
よって、私にとって鬼の名前はどむどむです。
『鬼あられ』も私の大好物です。遠くの店まで買いに行ってるのも本当。
一人称なため、私の性格そのまま出てきてます。ヤバイ。
詳しい話は弐の方で。
変なところで区切って申し訳ない。ここで切ったのはあまり意味ないです。
後半、何だか痛い。


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