機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲


カカシは引越し魔だ。
同じ住居に3ヶ月と居たためしがない。
今までにカカシが住んだ家は、一戸建て、マンション、木質系、鉄骨系、和式、洋式、と引っ越すたびに様式が違う。
全く統一性がない。
だが、くるくるとよく住まいを変えるのは、とくに理由があってのことではないのだ。
最初に部屋を見たときはどれも良い感じだと思うのだが、住んでみると、どうも違う。
何かが足りない気がする。
そして、その何か、が何なのかはカカシ自身にも分かりはしない。
そこで再び引越しを考える。
おかげで、上忍としての給金は殆ど引越し代で消えているという状況だ。
カカシの周りにいる友人は皆これを悪癖だと言うが、やめることは何故かできない。
その癖はカカシが下忍担当の教師となっても変わることなく続いていた。

引越し先の部屋に備品がついていたり、前の住人の置いていった家具が放置されていることはざらだ。
今回、新たな家に入居したカカシの前にあったものは、ピアノだった。
広いリビングの中心にぽつんと置かれている。

かなり立派なグランドピアノ。
年代ものらしく、一目で値がはるものだと分かる。
どういった経緯でこれを置いていったのかは分からないが、高価なものだと思うと何だか手離すのが惜しくなった。
家具類はもともと少ないし、インテリアとして置いておいても趣があるかもしれない。
そういった考えから、カカシはそのピアノを捨てることも、売ることもしなかった。
もちろん、そのピアノを弾くなんてことは微塵も考えない。

 

休日、街をぶらつくカカシが本屋に入ろうとすると、その隣りにある楽器屋の飾り棚に、サクラは張り付いているのが見えた。
サクラはガラス越しに何かを熱心に見詰めている。
カカシがサクラのいる方に向かって歩き出すと、その気配に気付いた彼女が即座に振り向いた。
だが、カカシの姿を認めると、サクラの視線はすぐに元の場所に戻っていく。

カカシがその冷たい態度に嘆息しながら近づくと、サクラが見ていたのは店内に置かれたグランドピアノ。
カカシにはピアノの詳しい型は分からなかったが、家にあるものとよく似ている。
小さく表示された値札を見ると、目玉が飛び出るような金額だった。
サクラは背後に立つカカシに全く注意を向けずに、まだグランドピアノを見ている。

「欲しいの、それ」
カカシが訊ねると、サクラはようやく反応を示した。
「買えるものならね」
素気無い返事。
だがその声は強い思いを含んだものだった。
確かに、サクラがこのグランドピアノを購入できるほどの大金を持っているとは思えない。

「買ってあげようか」
カカシの声音はごく軽いもので、もちろん冗談。
だが、カカシを仰ぎ見たサクラの目は限りなく真剣だった。
「本当!?」
キラキラと輝くその瞳に、カカシは一瞬圧倒された。
その期待のこもった眼差しに、退くに退けなくなったカカシは、脂汗を流しながら妥協案を探し出す。
本当に買うことができない以上、残された手段は一つしかない。
「う、うち、来る?」

 

カカシの家を訪れたサクラは、そのピアノを見るなり驚きに目を見張った。
「凄い!!!これスタインウェイよ!しかもD型!!」
「そうなんだ」
感激に打ち震えているサクラとは対照的に、カカシは気の無い返事をかえす。
「あ、お茶飲む」
流しでカップを手にしながら訊ねるカカシに、リビングにいるサクラは頭を抱えた。
「先生、これどうしたのよー」
「ああ、なんか前住んでた人が置いていったみたい。捨てようかどうしようかと思ったんだけど」
「捨てるーー!!」
サクラは絨毯の上にばったりと倒れこむ。

お茶のお盆を手にカカシがリビングに行くと、サクラは床に倒れこんだまましくしくと泣いていた。
「・・・何してんの」
「先生の馬鹿」
博物館行きになっていてもおかしくない名器を前に、「捨てる」という言葉を使ったカカシが、サクラは無性に悲しかった。
無知は罪悪だということを、サクラははっきりと感じていた。

 

何はともあれ、サクラは毎日ピアノを弾くためにカカシの家に通うようになった。
カカシは「よければあげる」と言ったのだが、サクラはとんでもない事だとすぐに断った。

「こんな高価なものが家にあったら心配でしょうがないし、いつもピアノが側にあったらきっと」
と、サクラはそこで言葉を切った。
そのままカカシから視線を逸らして俯く。
「きっと?」
「・・・・何でもないよ」
サクラは微笑みを浮かべると、ピアノのある部屋へと歩き出した。

 

サクラのピアノの腕はそれは見事だった。
心に響くものがあり、技術的なことが分からないカカシの素人目にも、素晴らしい演奏だということは分かる。
カカシが訊くと、サクラは教室に通ったのはほんの2年程度だという。
しかも、今現在、家にピアノがないので、ピアノを弾くのは久々なのだそうだ。
そのことに、カカシは驚きを隠せなかった。
サクラは忍びなどより、ピアニストの方がずっと天職だ。
それに、あれほど熱を入れて楽器店のピアノを眺めていたのだから、サクラがピアノを弾くことが好きなのは確かだ。

 

 

不思議に思ったカカシはピアノ用の椅子に座り、譜面を眺めているサクラに問い掛けた。
「何でピアノ弾くのやめたの」
「忍びの世界に入ったから。ピアノと両立は無理でしょ」
忍びの仕事と芸術分野のピアニストでは全く接点がない。
サクラの意見は妥当なものだ。

「でも、後悔はしてないの。任務は大変だけど、楽しいこともあるし。それに」
サクラはピアノのサイドに立つカカシを見て嬉しそうに笑った。
「カカシ先生に会えたから」
カカシが目を向けると、サクラの澄んだ瞳には自分が映っている。
「私、カカシ先生が7班の担任で本当に良かったと思ってるのよ」

 

何の思惑もない、明瞭なサクラの言葉。
その笑顔につられて笑みを浮かべた時、カカシはなんとなく理解した。
足りないと感じていたものの正体を。

サクラだ。
必要だったのは、サクラのいる空間。
自分の存在を許容してくれて、喜んでくれる人。
それがずっと欲しかった。

カカシは暗部を辞めた今でも毎晩のように夢を見る。
この手で殺めた人間の出てくる夢を。
死んでいった多くの仲間達の夢を。
その度に、自分の存在意義を見失いそうになる。
果たして自分は生きていていいのだろうか。

何かを強く望むということがなく、ただ生きているだけの自分。
任務をこなすためだけの毎日。
彼らが生きていれば自分よりもっと有意義な人生を送っていただろうに。

 

笑っていたかと思うと、急に掌を覆って顔を伏せたカカシに、サクラは心配そうに声をかけた。
「カカシ先生、大丈夫?」
その手に触れて呼びかける。
「カカシ先生」
「・・・・もう一度言って」
カカシの口から出たとは思えない、涙声。
手の隙間からもれたくぐもった声に、サクラは何のことだか分からず困惑した。
暫しの沈黙のあと、サクラはようやく先ほど自分が言った言葉のことなのだと気付く。

サクラはカカシを促して椅子に座らせた。
これで立ち上がったサクラとカカシの目線は丁度同じ高さになる。

「本当はね、ピアノはもう二度と弾かないって決めてたから家にピアノを置かなかったの。決心が鈍ってしまいそうだったし、忍びの世界で生きていくことを決めたからには中途半端なことをしたくなかった。でも、カカシ先生には私のピアノ聴いてもらいたいと思ってたんだ。どうしてか分かる」
カカシの髪を優しくなでると、サクラは繰り返して言った。
「カカシ先生のこと大好きだから。先生に会えて良かったよ」

 

カカシの引越し癖はぱったりと鳴りを潜めた。
カカシの友人達はその理由を口々に噂したが、カカシの家から時偶漏れ聴こえているピアノが原因だと思う者は、一人もいなかった。


あとがき??
タイトルを使いたかっただけです。それだけ。
ニキータ・ミハルコフ監督の映画とは全く関係ありません。
あと、ピアノのことは私よく分かりません。
ホロヴィッツが絶賛したピアノらしいです。D型は一台しか現存していないとか。

大好きな岡沼さんへ捧げます。
「あなたに会えて良かった」
来世であなたに再会できることを祈って。


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