忍草 弐


「父上のお話って何だったの」
サクラの一つ年下の妹姫、アヤメは興味津々に訊いてくる。
父に呼び出されたサクラが自室に戻ってくるなり、アヤメは侍女を引き連れ彼女の部屋に押しかけたのだ。
仲の良い姉妹は普段から頻繁にお互いの部屋を行き来している。
「情報が早いわね」
「分かるわよ、周りがばたばたしてるし。それに父上と対面できるのなんて、年に数えるほどじゃない。ねぇねぇ、何のお話だったのよ」
興奮気味のアヤメに、サクラはくすくすと笑って言った。
「私と隣りの領の若君との縁談よ」

サクラの言葉に、アヤメは息をのむ。
目を見開いたアヤメは、暫らく声を出すことができなかった。
彼女がかすれた声を絞り出したのは、数秒が経過した後だ。
「こ、断ってきたんでしょ。姉上」
うろたえるアヤメとは対照的に、サクラは冷静な声で答える。
「どうしてよ。いい話じゃない。これで暫らくは戦もなくなるわ」
サクラは朗らかな笑みをアヤメに向けた。

それはサクラがいつも見せている明るい笑顔。
他の者が見たら、サクラは父に告げられたこの縁談話を快く承知したのだと思うだろう。
だが、アヤメは顔を苦しげに歪ませるとサクラから視線をそらした。
彼女は。
彼女だけは知っていた。
それがサクラの本心ではないことを。
だから辛くて、サクラの顔を直視することができなかった。

アヤメの瞳に涙がにじむと、サクラは気遣うようにして彼女の頭をなでる。
「大丈夫よ。お嫁に行っても隣りの領なんだし、もう会えないってわけじゃないんだから」
「・・・うん」
アヤメはそんな理由から涙を流しているわけではなかったが、素直に頷いた。
言葉にしてしまったら、きっとよけいに姉が不憫に思えてしまう。
それに人目があり、とても本音を口にできる状態ではない。
側にいる侍女達は、泣き続けるアヤメを睦まじい姉妹だったからと納得顔をして見ている。

すすり泣くアヤメをサクラは優しく抱きしめた。
温かいそのぬくもりに、よけいに涙が止まらなくなる。
この時、アヤメは自分はきっと代わりに泣いているのだと思った。
泣くことのできない可哀相な姉姫。
そして、この会話をどこかで聞いているであろう、哀れな草の者のために。

 

縁談は向こうの領から持ちかけられた話だった。
折りしも、隣りの領とは敵同士ともいえる犬猿の仲。
何か思惑があってのことだと家臣の中には反対意見も多くあった。
だが、向こうが本当に友好関係を築こうとしているのなら、願ってもない話だ。
真っ二つに意見の分かれた家臣団に頭を悩ませた城主は、最終的な決断を当事者である娘に決定させることにした。
この日サクラが父に呼び出されたのは、そうしたことからだったのだ。
サクラは詳しい事情を眉一つ動かさずに聞いた。
そして話を全て聞き終えたあと、父と国の重臣達を前に、首をたれてはっきりと明言した。

「この度のお話、謹んでお受けいたします。両国の掛け橋となるべく、死力を尽くして参ります」

凛とした声音に、その場にいた一同が静まりかえる。
12の少女とは思えない決然とした態度に、皆引き込まれていた。
しんとした室内に、やがて喚声があがり始める。
祝いの言葉だ。
国の繁栄を祈る、祝詞。
口では娘に採決をあおぐと言っても、内心はこの話に乗り気だった城主も満足げに目を細めている。
この部屋に、敵国同然の領に嫁ぐ幼い姫君を気遣うものは一人もいない。
彼らの基準は領にとって利益になるか、そうでないかのどちらかだ。
城主の娘、サクラは手駒の一つでしかない。
そのことはかえってサクラにとって幸いだった。
優しい言葉をかけられたら、本当の気持ちを叫んでしまいそうだったから。
白い面のサクラは、その場の賑わいとは関わりなく、にこりともせずその部屋を退室した。

 

しずしずと広間から自室に向かって長い廊下を歩むサクラは周りにいるはずのカカシに話し掛ける。
「先生、知ってたの。父上が何の用件で私を呼び出したのか」
「まさか」
気付くとカカシはサクラの傍らにいた。
だが、それは驚くことではない。
カカシはサクラが呼べばいつでも現れる最も身近な存在なのだ。

今、サクラが人払いをしたおかげで彼女とカカシは二人きりだ。
カカシは普段のように気安い口調で話している。
「城主様には何も聞いていなかったよ。もし知っていたら・・・」
カカシはそこで一旦口をつぐんだ。
続きの言葉を待っているサクラは、もどかしげに先を促す。
「知っていたら、何?」
サクラがカカシを見上げて問いかけた。

カカシは僅かにサクラから視線を外すと自分の気持ちをごまかすように無理に顔を綻ばせた。
サクラの頭をなでながら言い繕う。
「反対してたかもな。お前みたいなじゃじゃ馬が嫁に行けば、和平どころかよけいに戦が激化するだろうよ」
いつもなら「子ども扱いして!」と怒りながらその手を払うサクラも、このときはただ静かにされるがままにしている。
そして俯いたままサクラはゆっくりと声を出した。

「明日、父上にカカシ先生を私の警護の任から外してもらうように言うわ」
日常の会話とさして変わらない、穏やかな口調。
カカシの目線では、サクラがどのような表情をしているのか、全く見えなかった。

 

 

「やっと見つけたわ!あんた、どーーーーして姉上の側にいてあげないのよーー!!!」
部屋に置かれた物が全て震えるような、甲高い怒鳴り声だった。
カカシも耳をふさいだ姿勢のまま静止している。
場所が城に仕える使用人連中の控え室だからまだ良かった。
高価な骨董品の置かれた部屋なら、品物にひび等が入っていないか調べなければならなかっただろう。

「ちょっと、聞こえてるんでしょー、この大うつけが!!」
耳が不自由でないかぎり、この至近距離の叫び声が聞こえない人間はこの世にいないだろう、と思いつつもカカシはにっこりと笑顔で振り返ってアヤメを見た。
「はしたないぞ、お姫さん。誰か人がいたらどうするんだ」
「そんなことはどうでもいいのよ。私の質問に答えなさい!姉上に訊いても答えてくれないし、何があったのよ!!」
アヤメはカカシの服を掴んで握り締めている。
これで背丈がカカシと同じくらいあれば、胸倉をつかんでいそうな勢いだ。

「サクラの警護を外されたんだ。俺はたぶん里に帰るよ」
カカシの答えにアヤメは目をむく。
思ってもいない言葉だった。
「う、嘘。あんた姉上が小さいときからずーーっと側にいたじゃない。隣りの領にも一緒に行くんじゃなかったの」
「嘘なもんか。当のサクラに解雇されたんだよ」
カカシは頭をかきながら言った。
その言葉に急に消沈したアヤメはがっくりと肩を落とす。
姉の気持ちが、何となく分かってしまった。

アヤメは今にも泣きそうな声で呟いた。
「何で姉上の気持ちを分かってあげないのよ。あんただって姉上のこと」
「やめてくれっ!」
カカシは声を荒げてアヤメの言葉を遮った。
アヤメが言わんとしていることは、雇われ忍者にとって最大のタブーだ。
アヤメは侍女をつれていないようだが、どこに人目があるか分からない。

「俺にとってサクラはただの雇い主の娘で契約による守るべき相手だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「嘘!!」
「戦をなくすためにと決断したサクラを、俺は誉めてやりたいと思っているよ」
「嘘よ!!」
アヤメはカカシが何を言っても、ヒステリックに繰り返す。
最初は諭すように語りかけていたカカシも、やがてアヤメを睨むようにして見た。
「何なんだよ。さっきから嘘、嘘って。お姫さんに何が分かるっていうんだ」
「分かってるわよ。ずっと姉上とあんたのこと、見てたんだもの」
カカシを睨めるアヤメの瞳から、ついに涙がこぼれ落ちた。

 

アヤメはカカシが嫌いだった。
理由は簡単だ。
カカシはアヤメにとって、大好きな姉を取り合うライバルだった。
それも、どんなに頑張っても勝てない相手だ。
カカシとサクラの間には、サクラの肉親のアヤメですら入っていけない雰囲気というものがある。
見えない絆というものを、はっきりと感じる。
二人は傍らにいるだけで、言葉を交わさずともお互い満ち足りた、幸せそうな表情をしていた。
姉が一番優しい顔をするのは、カカシと話しているときだ。
それが悔しくて、羨ましくて、アヤメは何度歯噛みしたか分からない。
カカシのことを名前で呼ばないのは、アヤメの唯一の抵抗だ。
カカシの方もそれを知ってか知らずか、アヤメを名前で呼ぶことは一度もなかった。

「私は姉上に絶対に幸せになってもらいたいのよ。里で一番の実力を持つ上忍のあんたなら、娘を一人攫って行方をくらますことなんて簡単なことでしょうに」
はらはらと涙を流すアヤメに、カカシは表情を暗くする。
「・・・あいつはそんなこと、望んでいないよ。それに、終始追っ手を気にしてびくつく生活より、城主の妻として生きる方が幸せに決まってる」
「それで身を引くっての」
黙り込むカカシに、アヤメは声を詰まらせながら嘆いた。
「あんたって、本当にうつけね。女心が全く分かってないわ」
もう何を言っても無駄だと思ったのか、アヤメはずかずかと足を踏み鳴らすと、襖をぴしゃりと閉めて部屋から出て行った。

サクラの輿入れの日は一週間後という、すぐ間近まで迫っていた。


あとがき??
お、終わりませんでした。済みません。(泣)
アヤメちゃんは、この作品の良心です。読者、そして私の代弁者。
彼女の目を通してのカカサク話になりそうです。

本当はですね、もっともっとあっさりした話にするはずだったんですよ。あれ。
おかしいなぁ。
四まで続きそう・・・。


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