忍草 参


今は少し改善されたものの、サクラは幼少時から行方をくらますのが得意な子供だった。
近習が何人も付き従っていても、少し目を離した隙にあっという間に姿を消す。
そうなると姫付きの侍女達が丸一日サクラを探すために費やすことになる。
大抵、サクラは屋根裏や厨の片隅など、思いも寄らぬ場所で発見される。
本人に悪気はないらしく、その癖はいくら言い聞かせても直らなかった。
一国の城主の娘がこれでは、以後何かと不都合が生じるかもしれない。

そこで護衛という建前で忍びの里から呼び寄せられたのがカカシだった。
仕事とはいえ、カカシはサクラがどこに隠れていようと、彼女の姿をすぐに発見することができた。
カカシの存在が侍女達に歓迎されたことは言うまでもない。

 

「サクラーー」
カカシの呼びかけに、年の頃、6、7歳のサクラが振り返る。
髪に花を飾ったサクラは、カカシの姿を認めると、嬉しそうに微笑んだ。
カカシに駆け寄り、サクラは手に摘んだ花を見せる。
「カカシ先生、見て、綺麗でしょ」
「ああ」
「私、お花が沢山咲くから春って大好きよ。部屋に閉じこもっていたら、そんなことに全然気付かなかったと思うわ」

サクラ達の眼前には色とりどりの花が咲き乱れている。
城の中にあるこの庭園は、病弱だったサクラの生母のために作られた庭だった。
花が好きだった彼女のために、数十種類の花がこの場所に植えられている。
だが、サクラの母はアヤメを生んですぐ亡くなってしまったために、これらの花をめでる者はいなくなって久しかった。
庭に入るための扉には錠前がかけられ、入れる者は花の手入れをする職人だけ。
だけれど、サクラ達のおかげで、今年は花も無駄咲きをせずにすんだようだ。
サクラは妹のアヤメへのお土産にせっせと花を摘んでいる。

「そろそろ戻った方がいい。俺がお前の脱走の手伝いをしてることがばれたらやばいからな」
「やだ。もっとここにいたいよ」
ぷいと顔を背けたサクラに、カカシは困り顔だ。
「お前、他の勉学には熱心なくせに、花嫁修業の授業となるととたんにさぼるからな。じいやさんの白髪がまた増えるぞ」
「・・・・だって、私お嫁になんていかないもん」
サクラは口を尖らせながら呟く。

「そんなこと言ってると、本当に嫁にいきそびれるぞ。ただでさえ我が侭で生意気なんだから」
カカシが高らかに笑いながら言うと、顔を真っ赤にしたサクラは声を張り上げた。
「いいもん。そうしたら、私、カカシ先生のお嫁さんになるから!」
カカシの笑い声がぴたりと止まる。
そして、サクラの顔をまじまじと見詰めた。
サクラは真剣な表情でカカシを見上げている。
「私、絶対にカカシ先生のお嫁さんになる」
もう一度繰り返すサクラに、カカシは苦笑しながらその頭をなでる。
「貰い手がいなかったらな」
条件付だったが、カカシの返答にサクラは心底嬉しそうに笑った。

 

サクラはきっと覚えていないだろうな。

目を覚ましたカカシはそんなことを考えながら寝床から起き上がった。
たわいない約束。
それは果たされることはなかった。
当たり前のことなのに。
無性にくちおしいと思う。

寝起きの悪いカカシが目を覚ましたのはすでに昼近い刻限だった。
だが、カカシはすでにサクラの護衛の任を解かれた身だ。
たいした仕事があるわけでもなく、日々のらくらと過ごしている。
それなら早く里に帰ればいいのだが、あまりに城での生活が長かったせいか、元いた場所に帰るというのに他所へやられるような気持ちになる。
そうした生活も、もう終わりだ。
今日は隣りの領へ向かったサクラが現地に到着する日。
無事たどり着いたという知らせを聞いたあと、カカシは里に帰ることを決めていた。
たぶん、この城を再び訪れることはないだろう。
カカシは自分にあてがわれた、滅多にいることのなかった部屋を見回す。
すでに身辺整理は済み、見事にがらんどうだ。

「そろそろかな連絡が入るころかなぁ」
欠伸をしながら言うと、唐突に部屋の扉が開かれた。
カカシはサクラのことを知らせるように頼んでおいた使いの者がやってきたのかと思ったが、そこにいた人物はカカシが思っていた者ではなかった。
カカシは大きく目を見開く。
「お姫さん、お前何でこんなところにいるんだよ」
アヤメはカカシの様子を気にせず部屋にあがりこむ。
そしてカカシを睨むようにして見ていたかと思うと、堰を切ったかのように大粒の涙を流し始めた。
「え、おい、どうしたんだ」
突然のことにうろたえ気味のカカシに、アヤメがしゃくりをあげながら告げた。
「姉上が、亡くなったわ」

 

数刻前。

花嫁行列の輿は他の領の間者に襲われた。
多勢に無勢。
十分警備の者をつけたはずだったが、相手はさらなる人数で待ち構えていた。
親しい近習が次々に死にゆくのを、サクラは見ていることしかできなかった。
尽きることなく涙があふれ出る。
供の者が最後の一人まで、命をとして自分を救おうとしてくれたことに、心が裂けるほど痛かった。
やがて一人残されたサクラは自分の命を奪うべく煌く刃を、目をそらすことなく見詰めた。
怖くなかったわけではない。
だが、城主の娘としてのプライドが彼女にそうした態度を取らせた。
輿入れ途中の籠を襲うような卑劣な曲者に対して、取り乱した姿を絶対に見せたくはない。

不思議に「痛い」と思う感覚はなく、刃を受けたサクラはそのまま倒れこんだ。
ただ血が止まらない。
うつぶせに倒れたサクラの眼には、数人の足がぼんやりと見える。
曲者が自分の生死を確かめているのが分かった。
間もなく自分の息が止まることを伝えている。
命の消える直前、走馬灯のように浮かんだサクラの記憶は、大半はカカシと過ごした時間のものだった。

自分は幸せだったのだとサクラは思った。
短い生涯に出会った人達は皆、心の優しい人達だった。
いつだったか、カカシにどうして忍者になりたいのかと訊かれたことがある。
サクラはあの時、適当に答えてしまったが、真実は違った。
忍者なら、政略結婚の道具として扱われることはない。
そして好きな人とずっと一緒にいることができるかもしれない。

サクラの脳裏をよぎる、遠い日の約束。

本当はもっと、もっと側にいたかった。
伝えられなかった大切な想い。
大人になったら言えると思っていたのに、よけいに口にできなくなってしまった。
姫という立場からか、自然に我慢することを覚えた。
素直に心情を吐露することのできた唯一の人。

あの人に、もし、もう一度会えたなら。
何があっても離れないと誓うのに。

 

事切れたサクラの眼からは一滴の涙が落ち、地表の土が雫を吸い込む頃には、その瞳は輝きを失っていた。


あとがき??
サクラの死は必須条件の一つなので外せなかったのですが、やはり辛いですね。(泣)
次で最後です。


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