スキスキス


TVのブラウン管には、見詰め合う若い男女が映っている。
ドラマの一番のクライマックスだ。
サクラは煎餅を持った手を口に運ぶのも忘れて、画面に見入っている。

「僕には君が必要なんです。ウマコさん!」
「ウシオさん、私も本当はずっとあなたのことが好きだったの」
波打ち際でひしと抱き合う二人。
やがて二人の唇が重なり合い、EDのテロップが大写しになる。
挿入歌が流れ出し、ハッピーエンドでドラマは終了した。

だが、新番組の予告が終わり、CMになってもサクラの体勢は変わらない。
煎餅を片手に、じっとTVを見詰めている。
サクラは悩みを抱えていたのだ。
非常に深刻な。

 

キスって、どんなものなんだろう。

一つのことを考え出すと他のものは目に入らなくなるサクラの目下の悩みはそれだ。
ドラマの登場人物は幸せそうだったから、たぶんいいものなのだ。
活字マニアのサクラがよく読む書物の中には、もちろん年頃の少女らしく恋愛小説も混じっている。
そして、ラブシーンでは必ずといっていいほど描写されているキス。
だがいくら小説を読んでも、文字だけではどうも実感がわかない。
とても都合のいいことに、手ごろな相手が床に転がっていることをサクラは思い出した。

「ねぇ、カカシ先生」
「・・・・なんだぁ」
クッションを枕に軽い眠りに入っていたカカシは、少し間をあけてサクラの呼び声に答える。
サクラはそのだるそうな声に不満気だ。
「お客様が来てるってのに、寝ないでよね」
「俺の家なんだから、どこで寝ようと自由だろ。それに、毎日来て勝手にお茶飲んで帰っていくような奴は、もうお客様って言わないの」
膨れるサクラに、カカシは笑いながら言った。
普段なら文句の一つも飛び出すところだが、この時サクラは怒ることなく話題を変える。

「先生、私のこと好き?」
「んー。好き好き大好き、愛してるよ」
カカシは早く眠りにつきたいのか、いい加減な返事と共にごろりと寝返りをうつ。
その瞳を開けてサクラの方を見ることもしない。
だが、サクラは気にせず言葉を続ける。
「じゃあさ、カカシ先生キスしてよ」
「・・・・」
思いがけない言葉に意表を突かれたのか、カカシはようやく半身を起こした。
「誰と」
「私と」
まだ眠そうな眼をしているカカシに、サクラが即答する。
カカシは怪訝な表情でサクラに問い掛けた。
「何で急にそんなこと言うの」
「それは・・・」
カカシの質問に、サクラは言いよどむ。

サクラは不本意ながらナルトもサスケもキスの経験があることを知っている。
ということは、7班で自分だけが未経験ということだ。
キスをしてみたい理由として、単なる好奇心に、更に乙女の意地が要素として加わっていた。

静かに自分の答えを待っているカカシに、サクラはおずおずと声を出す。
愛想笑いと共に両手を合わせておねだりポーズ付きで。
「・・・・どんなものなのかなぁと思って」
「ふーん」
床に座り込んでいるカカシは、椅子の上のサクラを見上げると僅かに目を細めた。
「じゃあ、駄目」
言うが早いか、カカシは再び床に横になった。

 

カカシのその拒絶に、サクラはショックを隠しきれずに目を見開く。
今までカカシはサクラの言うことは大抵聞き届けてくれていた。
任務以外のとき以外では、カカシはサクラに存外に甘いのだ。
それが、今回初めてサクラに反発を示した。
しかもキスのことで。
むしろ喜んでしてくれると思っていただけに、サクラは困惑した。

「どうしてよ!」
怒鳴るようにして言うサクラに、カカシは無視をきめこむ。
たまらず席を立ったサクラは床に寝転ぶカカシを激しく揺さぶった。
「先生―!!」
カカシはそれでも反応を示さず、サクラに背を向けて寝たふりをしている。
わざとらしく高鼾をかくカカシに、サクラの怒りは爆発した。
嫌がらせのために、カカシの腕に服の上から思い切り噛み付く。
「い、いたた、痛い!おい、よせ!!」
布越しといえど、力のかぎり噛み付いているサクラに、カカシは悲鳴をあげた。
飛び起きたカカシはサクラを何とか引き剥がす。
「お前なぁ」
「無視するから悪いのよ。カカシ先生の馬鹿!!」
咎めるように自分を見るカカシに、サクラはがなりたてる。
暫しの睨み合いのあと、カカシは小さくため息をついて頭をかいた。
そして、サクラの知りたがっていた答えを口にする。

「嘘のキスはしたくないから、だよ」

 

家路についたサクラは、カカシに言われた言葉を反芻し、考える。
嘘のキスとはどういう意味なのか。
あれからサクラが何を言っても、カカシは答えてくれなかった。
嘘のキス。
好きでもない相手との偽りのキスの意かもしれない。
つまり。

カカシ先生は私のことを好きじゃない。

そう思った瞬間、サクラは唐突につんのめった。
何も障害のない道で、見事にすっ転ぶ。
周りにいた通行人の視線がサクラに集中していたが、そのようなものは全然気にならなかった。
それほど、サクラは呆然自失としていた。

普段からカカシが適当に口にする「好き」という言葉をサクラはもちろん信じていなかったが、改めて実感すると、こんなにも衝撃を受けていることに、サクラは正直戸惑った。
胸が張り裂けそうに苦しい。
ふいに滲んできた涙を拭い、サクラは嗚咽をこらえるために奥歯を噛み締める。
この痛みが何なのか、サクラには分からない。
今まで全く感じたこととのない感覚だ。

「あの、大丈夫ですか」
転んだまま地べたに座り込んでいるサクラに、親切な女性が声をかけてきた。
サクラは視線を正面に向けたまま、ぽつりと呟く。
「・・・大丈夫じゃないかもしれません」
目をむく女性に、サクラはようやく自分の置かれた状況を思い出す。
慌てて立ち上がったサクラはその女性に頭をさげると小走りにその場から立ち去った。
そしてサクラの向かった先は自宅ではなく、親友とも呼べる好敵手の家だった。

 

「あんた、馬鹿ねー」
「なによ。失礼ね」
憤るサクラに、いのはからからと笑った。
いのの家にたどり着いたサクラはさっそく事情を説明し、いきなり馬鹿呼ばわりされたのだ。
やっぱり相談なんかするんじゃなかったとサクラは早くも後悔している。
だが、いのに悪気はないらしく、にこやかに喋り続ける。

「だって、そうじゃない。先生がキスしてくれなかったのは、きっとあんたが返答を間違えたからよ」
サクラは言われた意味が分からない。
首を傾けるサクラに、いのは面白そうに笑って言った。
「早く気付いてあげないと可哀相よ」
「どういう意味よ」
サクラは訝しげにいのを見た。
いのは分かっている様子なのに、自分が分からないというのが癪だ。
「カカシ先生は好きって言ってくれたんでしょ」
「まあね」
投げやりな感じだったが、サクラが訊いたときにはカカシからはいつも「好き」という返事が返ってきた。
だのにキスをしてくれなかったのは、それは嘘だということなのだ。
だからサクラは落ち込んでいる。

「それなら、あんたは」
「・・・え?」
「サクラは先生に好きって言ってあげたことあったの」

 

言われて、サクラは声を呑みこんだ。
初めて気付く。
カカシからは何十回と言われた「好き」の言葉。
自分からは一度として口にしたことがないことに。
当然だ。
今、このときまでサクラは自身の気持ちが分かっていなかったのだから。
ただ「キスをしてみたい」という理由だけなら、別に相手は誰でも良かった。
サクラは無意識に選んでいた。
自分が一番心を許している相手を。

何も言わないサクラに、カカシはまだ彼女がサスケのことを好きなのだと思っているのかもしれない。
カカシが言った嘘キスの意味を、サクラはようやく理解した。
問題があったのは自分の方なのだと分かると、段々とサクラの瞳に生気が戻ってくる。

「いの、私、行ってくる。有難うね!」
元気に部屋を飛び出したサクラに、いのは「いってらっしゃい」とばかりに手を振って見送った。

 

ピンポンピンポンピンポン

チャイムの連打に、カカシは耳を抑えながら玄関に向かった。
チャイムを鳴らした主は待ちきれないようで扉を叩いている。
「一度鳴らせば分かるんだよ。どこの馬鹿だ」
読書中だったカカシは不機嫌そのものの声を出しながら、乱暴に扉を開く。
そこには、先ほど帰ったはずのサクラが息をきらして立っていた。

「あれ、サクラ。忘れもの?」
不思議そうな顔をするカカシに、サクラはにこっと笑った。
「うん。ずっと言い忘れてたの」
サクラは何のことか分からず首を傾けているカカシを、熱のこもった瞳で見上げた。
そして明朗な声音で自分の想いをはっきりと告げる。

「私もカカシ先生のこと大好き」

直後、カカシの手にあった愛読書がばさりと音を立てて落下した。
突然の告白に、カカシはぽかんとした顔をしている。
「だからキスしよ!」
強い口調に、サクラの気迫が漲っていた。
少しの時間が経過し、パニック状態から脱したカカシは堪えきれずに笑い出す。
情緒も何もあったものではない。
カカシは今まで付き合ったどの女性からも、これほどストレートに気持ちをぶつけられたことはなかった。
思い込んだら一直線なサクラの気持ちがたまらなく嬉しい。

「私は本気なのよ!」
笑い続けるカカシにサクラが怒って詰め寄る。
その様子がまた可愛らしく見えて、カカシの笑いは止まらない。
「うん。合格だよ」
カカシは下忍試験のとき以上の微笑みを浮かべてサクラを抱きしめた。

 

そしてサクラはこの日、キスに対する悩みに一つの結論を出した。
ドラマや小説の登場人物はキスをしたから幸せそうだったのではなく、幸せだったからキスをしたくなったのかもしれないと。


あとがき??
仁科さんからのリクエストは、「キスして欲しいサクラとそれを焦らすカカシ先生」。
ひじょーーーに難しかったです。
「キスして欲しいカカシ先生と焦らす小悪魔サクラちゃん」ならすぐ想像できるんですが。(^_^;)
おかげで妙にストイックなカカシ先生になってしまいました。あれ。
というか、肝心のシーンが!!済みません、済みません!
あとは皆さんの想像力でカバーしてください。(他力本願)
精一杯らぶなカカサクにしたつもりなんですが。らぶらぶに見えるでしょうか??(汗)

10000HIT、仁科りな様、有難うございました。


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