君に向かう心
波の国で、不覚にも自分は大きな怪我を負った。
チャクラ不足で倒れたこともあるし、生徒に“弱い”というイメージを植え付けてしまったかもしれない。
少々面白くないが、生徒が無事だったのは良かったと思う。「先生、痛くない?」
包帯を取り替える手伝いをしてくれていたサクラが、おずおずと声を出した。
まだ生々しく痕の残る傷口に、彼女の方が痛そうな顔をしている。
「平気だよ」
全く痛くない、ということはないけれど、もっと重症を経験したこともある。
自分にとっては軽症のうちだ。治療するサクラの手が止まり、俺は何事かとサクラに顔を向ける。
「先生、ごめんなさい」
何のことか分からず首を傾ける自分に、サクラは言葉を続けた。
「サスケくんもナルトも頑張ったのに、私一人何もできなかった」サクラは俺の怪我を自分のせいだと思っているらしい。
肩を落として俯いているサクラの頭を撫でる。
「そんなに気にするなよ。そのうち、俺の方がサクラに助けてもらうことがあるかもしれないし」
俺の言葉に、サクラは少しだけ頬を緩めた。
だけれど、その表情にいつもの元気はない。「先生、怖くないの」
「何が」
「死ぬのが」
唐突な質問に、俺は首をすくめる。
「全然。俺みたいにエリート上忍になると怖いものなんてなくなるんだよ」
「えー、嘘」
「本当」
サクラはまるで信じていないようで、くすくすと笑った。
でも、本当のことだ。
それに、自分には死ぬことより、生きることの方がずっと怖いことのように思える。そう言おうと思って、やめた。
サクラ達の年齢の子供には、まだ分からないことだ。
また、サクラには分からないままでいて欲しいと思った。
波の国から帰ってくると、サクラは急に俺に接近してきた。
仕事がオフの日を見計らって、サクラは自分をいろんな場所に連れまわす。
映画館だったり、遊園地だったり、公園だったり。
それまで休みの日は休むべきものだと、ぐうたらな生活を送っていたとは思えない快活な日々だ。サクラの我が侭に嫌な顔をせずに付き合っているのは、本当に嫌じゃなかったから。
純粋に楽しかった。
いつの間にか、サクラの来訪を心待ちにしている。
サクラの意図はよく分からないけれど、こうした休日もいいかもしれない。
今までの自分の生活にはなかったことだから。
その日サクラが案内した場所は、里の外れにある、ひまわり畑。
観光用に植えられた十数万本のひまわりが、一斉に咲き誇っている。
小高い丘から見下ろす、黄色の絨毯。
圧巻だった。
目にしたことのない風景に、俺は声も出ない。
「凄いでしょ!!毎年家族で来てるんだけど、今年は去年より花が大きいみたい」
サクラは驚いている俺の顔を見て、嬉しそうに笑った。
丘を駆け下りたサクラのあとを追って、花のすぐ間近までやってくる。2m近い長さの茎の上に、大きな花が力強く咲いている。
午前中の早い時間に家を出発したおかげで、まだ他の客は来ていないようだ。
「私達の貸切ね」
サクラは楽しげに茎の周りを飛び跳ねている。
ひまわりの丈はちょうど自分の身長と同じか、それ以上。
ひまわりは、向日葵と書く。
その名のとおり、太陽に向かう花。
眩しすぎる光を愛する花。もし太陽がなくなったら。
この花たちはどうなるのだろう。
そんなことを考えていると、ふいに、サクラ声が聞こえなくなっていることに気付いた。
「・・・サクラ?」
首をめぐらして呼びかける。
だけれど、耳に届くのは、風が通り抜ける音だけ。
気配までなくなっている。「サクラ」
今度は少し大きな声を出してみる。
それでも、何の反応もない。
夏の日差しがじりじりと肌を焼く。
そろそろ時刻が正午に近づいているのかもしれない。何だか、嫌な感じがする。
10万本のひまわり。
急に、その圧倒的な力が、自分一人に圧し掛かってきたような錯覚に陥る。
息苦しさに、思わず首に手をやった。
「サクラ!」
気持ちが逸る。
何だ、これは。不安。
焦り。
そして。
恐怖。サクラが、いない。
「カカシ先生」
小さな呼びかけに振り向くと、ひまわりの影からのぞく桜色の髪。
そして悪戯な笑みで自分を見詰めているサクラ。
「驚いた?上忍の先生相手に上手く気配消せるかな、って思ったんだけ・・・・ど」
サクラの言葉が続かない。
何かに驚いているのか、眼と口を大きく開けている。何だ。
奇妙な違和感。
頬に手を置くと、そこには冷たい雫が伝っていた。
雨かと思ったけれど、空は快晴だ。
それは自分の瞳から流れ落ちていた。
泣いているのだと気付くのに、だいぶ時間がかかってしまった。どうしよう。
いつの間にこんなに自分は弱くなったんだろう。
サクラが存在しないと思っただけで、涙が出るなんて。
自分の心を占めているサクラの存在の大きさ。
それを再確認してしまった。
怖いものなんてなかったはずなのに。
駆け寄ったサクラが、困った顔で自分を見上げている。
「先生、どうしたの。どっか痛いの」
痛み。
確かにずっと痛かった。
自分は重症を抱えていた。暗部をやめて以来、続く穏やかな毎日。
安息の日々を得たことで、募っていく罪悪感。
自分にはそのような生活をする価値はないのに。
今までは任務に忙殺され、そのようなことを考える余裕はなかった。殺した人間の断末魔は今でも耳に焼き付いている。
常にまとわりつく暗い記憶。
心が、痛い。でも、そうした痛みはサクラといる間は不思議と消えた。
孤独という傷口に、消毒液を塗られたみたいだ。
サクラという名の、少しもしみない、傷薬を。
止まらない涙に困惑している自分に、サクラが優しく語りかけてくる。
「私ね、カカシ先生が波の国で怖いものがないって言ったとき、怖いと思ったの。先生が今にも消えちゃいそうで」
言葉を区切ると、サクラはにこっと笑った。
「でも、楽しいことを一杯経験すれば、未練ばっかりで絶対にいなくならないと思ったんだ」心のどこかで、死を望んでいる自分に、気付いていたサクラ。
それが、サクラが自分を頻繁に外に連れ出した理由。
視線を向けると、大きな未練が、俺を見上げて微笑んでいた。怖いという感情は、人間が生きていくうえで必要なもの。
死にたくないと思う、最もな原因。
それを持っていなかった自分は、今まで半分死んだような生活を送っていた。
でも、サクラがいたから、取り戻せた。きっと、自分はサクラを通してこの世界での生をまっとうできる。
そんな気がした。
あとがき??
何故か今年はひまわりを見に行く機会が2度もありまして、その行き帰りにバス又は車の中で考えた話。
カカシ先生の孤独の闇は、サクラという太陽に照らされて消えてしまったようです。
良かったね。