桜守 U


ハルは人々から少し離れたところでナツと話し込んでいるようだった。
サクラは人ごみを走ったことで乱れた息を整え、よそいき用の声を作る。

「あのー・・・」
「何度も同じことを言わせるなよ!俺が決めたことに文句があるってのか!!!」
ナツの怒鳴り声に、サクラは手のひらを彼らに向けたまま動けなくなる。
どうやらまずい場面に居合わせてしまったのだと気付いたのは、声をかけてしまったあとだ。
だが睨み合う二人は興奮状態なのかサクラの存在を気にとめていない。

 

「あの者もわざとあなたの文箱を壊したわけではないのです。今まで長い間この屋敷に勤めてくれていた者ですし、何もすぐに辞めさせることはないでしょう」
「当たり前だ、わざとやられてたまるか!大体、お前が俺に意見するなんて生意気なんだよ、何様のつもりだ!!」
ナツは鼻を鳴らすと、威厳高々に言い放つ。
「どこの馬の骨とも分からない人間の子供のくせに」

瞬間、ハルの表情がサッと強張る。
その顔から血の気が引いていくのがサクラにははっきりと分かった。
彼は酷く傷ついている。
サクラはハルの痛ましい姿を目の当たりにし、苦しげに眉をひそめた。
サクラとは対照的に、ナツは冷笑を浮かべながら言葉を続ける。
「最近使用人達の間で人気だからっていい気になってるんじゃないか。まさか次期当主の座を狙ってるんじゃないだろうな」
高慢な表情で顔を横に背けたナツは、ようやくサクラのいる方へ視線を向ける。
サクラに気付き、ナツはにやりと笑いながら彼女に問い掛けた。

「いいところに来たな、桜。お前はこいつと俺とどっちが当主に相応しいと思う」
言いながら、ナツはさりげなくサクラに目配せをする。
こうした話題は本物の桜姫との間によく出ているのかもしれない。
話を振られたサクラは、ゆっくりとハル、そしてナツに目を走らせる。
俯いたハルはサクラと目を合わせようとしない。

「それは、問われるまでもないですわ。嫡子であるナツ様が家を継ぐべきです」
一息吸い込み、サクラはきっぱりと告げる。
サクラの言葉に、明暗を分けるハルとナツの表情。
だが、それは一瞬後に覆されることになる。

「と、他の方々は言われるのでしょう」
続く言葉にハルが驚いて顔を上げると、サクラは彼に向かって微笑んでいた。
「お家の事情に口をはさむつもりはありませんが、私はハルの方がナツよりも人間的に優れていると思います」

 

暫し呆気に取られていたナツは、我に返ると、いきり立った様子でサクラに詰め寄る。
「気は確かか!こいつは・・・」
言い終えないうちに、ナツの頬を叩く音が周囲に小気味良く響く。
ナツだけでなく、ハルも、そして談笑していた周りの人々も皆目を丸くしてサクラを見詰めた。
その沈黙は、やがて室内全ての人間に伝染していく。
何事かと、好奇心一杯の視線が集中する中、サクラはナツをきつく睨みつける。

「言って良いことと悪いことの区別ができないなんて、人間として最低です。どちらが嫡子として相応しいかにこだわるより、あなたはまず世間の一般常識を学んだ方がよろしいかと思われますよ」
静まり返った部屋にサクラの啖呵は隅々まで響き渡った。
多くの人間の視線を感じ、何が起きたのか理解できず、硬直していたナツの顔がみるみるうちに変化する。
「こ、この・・・」
恥辱に顔を染めたナツが手が、勢いよく振り上げられる。
誰もが、その次の光景を疑わなかった。

だが、ナツの手がサクラを害することはなかった。
ナツの腕を、誰かがしっかりと掴んでいる。
ギョッとした顔で振り向いたナツの背にいたのは、カカシだ。
いつの間に背後に回ったのか、カカシがナツの腕を後ろ手に捻りあげていた。
即座に怒鳴り声をあげようとしたナツだったが、すんでのところで声を呑み込む。

「うちの姫に意見がおありでしたら、実家の方を通してください」

耳元で小さく囁かれた声の、冷ややかさ。
明らかに殺気を含んだその声に、ナツは一切の動きを止めた。
今、この場で彼に逆らう行為を取れば、すぐにも息の根を止められる。
そう予感させる声。
あまりに強い恐怖の感情に、上昇していたナツの体温は、一気に凍りつく。

 

「カカシ先生・・・」
サクラが心配げに声をかけると、場の緊張はたちまちに霧散した。
あっさりとナツから手を離し、カカシは笑顔で周りの人々を見回す。
「どうも、お邪魔しました。サクラ、行くよ」
「・・・うん」

カカシに腕をとられ、サクラはのろのろと歩みを進めた。
会場内の人々は固唾を飲んで二人の動向を見詰めている。
その刺すような視線に、サクラは縮み上がる。
頭に血が上っていたときはまるで気付かなかった。
どんなに生意気な口をきいても、サクラが殴った相手は身分ある子息だ。
とんでもないことをしてしまった、とサクラは自分の取った行動を早くも悔やみ始める。
カカシが手を引いてくれなければ、サクラは一歩も動けなかったかもしれない。

彼らの姿が扉の向こうへ消えると同時に、会場内の人々はいっせいに言葉を交わし始めた。
カカシの支えを失い、尻餅をついたナツの周りには沢山の人だかりが出来ている。

 

 

「待ってください!!」

足早に屋敷の外に出た二人だったが、すぐに何者かに呼び止められる。
恐る恐る振り返るサクラの視界に入ったのは、危惧していたような追っ手ではなかった。
息を乱し、サクラ達に向かって一直線に駆けて来るのはハルだ。

眼前までやってくると、ハルはサクラを見詰めてゆっくりと声を出す。
「あなたは桜姫ではありませんね」
ぎくりとしたサクラは、にわかに顔色を変える。
「え、ど、どうして?」
「桜姫なら、人前であのようなことは言いません」
決して咎めるような口調ではなく、ハルは静かな声で続ける。
「彼女は決して悪い人ではないのですが、他人の気持ちをくむことができない人ですから」

その言葉に、サクラは微妙な含みを感じた。
ハルの表情と共に、あることを予感させる。

「・・・もしかして、桜姫のこと、好きなんですか」
ハルは一瞬、驚いた表情を見せたかと思うと、口の端を僅かに緩ませる。
「ええ。彼女の家とは所領が近いせいもあって幼いころから何度か顔を合わせてました。でも告白して、ふられちゃったんです。彼女はあっさりと言いましたよ。「だって、あなたは嫡出じゃないでしょ」って」
「そんな、ひどい!!」
憤慨するサクラに、ハルは寂しげに言う。
「悪気はないんですよ」

どんな言葉を言われても、ハルはずっと桜姫のことが好きなんだ。
サクラはそう感じた。
また、実りのなさそうなハルの恋に、少しだけ悲しくなる。
片思いの辛さは、サクラもよく知るものだったから。

「あなたがどのような事情で桜姫の身代わりをしているのかは聞きません。後のことはちゃんと始末しておきますので心配しないでください。そして」
サクラの手を取ると、ハルは驚く彼女に向かって力強く告げる。
「あなたの言葉、とても嬉しかったです。それを伝えたくて」
心からの笑顔を向けられ、騒ぎを起こしたことに対する罪悪感はサクラの中からすっかり吹き飛んでいた。

 

 

帰りの道すがら、並んで歩くカカシとサクラの間には、会話らしい会話はなかった。
サクラは隣りのカカシの顔を窺うが、前方を見詰めているカカシには特に表情は浮かんでいない。
いつもの飄々とした様子のカカシだ。
今のサクラに後悔の念はないが、カカシは監督不行き届きとして咎を受けるかもしれない。
長い間俯いて歩いていたサクラは、いたたまれずに思い切って話を切り出す。

「カカシ先生、ごめんなさい!」
「・・・・何が?」
とぼけた声を出すカカシに、サクラは声をつまらせる。
サクラが泣きそうな顔をしていることに気付くと、カカシは笑いながら彼女の頭をなでた。
「なーんてな。嘘だよ。俺が始末書出して火影様に頭下げればいいだけの話だから、あんまり気にするなよ」
「でも・・・」
「それに、サクラらしくて、良かったと思うぞ」
温かな声音に、サクラは涙をぐっとこらえる。
カカシが自分の心情を理解してくれていることを、サクラはたまらなく嬉しく思った。

「どっちにしろ、始末書は書かなきゃならなかったし」
「・・・何のこと?」
カカシの言葉の意味を、サクラは量りかねる。
「そういえば、会合に来た理由も聞いてなかったわよね」
「サクラに付いていった理由?」
カカシはまだ気付いていなかったのか、というように少しばかり呆れた表情を見せる。

「そんなの決まってるだろ。俺の可愛い生徒のサクラが、金持ちのどら息子にひっかからないようにするため。結構大変だったよ。サクラに必要以上に近づこうとする不届き者を人気のないところに連れてって威し付けるの。一人や二人じゃないんだもん」
「・・・・は?」
サクラは間の抜けた声で訊き返す。
「今ごろ気絶してた奴らが起きだして、騒ぎになってるかもね。使ってない部屋とやらに押し込めておいたから」

 

含み笑いをもらすカカシに、サクラは開いた口がふさがらない。
思い当たることは、確かにあった。
会場についてすぐは、いろいろな人がサクラに話し掛けてきた。
それが、暫らく経つうちに彼女の周囲にいた者が一人減り、二人減り、いつのまにやら孤独に佇むサクラがいた。
残ったのはサクラに興味がなさそうな婦女子のみだ。
サクラが料理に夢中になっていたのは、会話の出来そうな人間が周りにいなかったということも大きな要因だ。

「何?サクラ、やっぱり玉の輿にのりたかったの」
にやつくカカシに、サクラは顔を赤くして反論する。
「き、興味ないわよ。私はサスケくんと結婚するんだもん」
「だよね。なら、俺のしたことは全然怒ってないよね」
「・・・そうね」

カカシはサクラが会合に参加し『あわよくば玉の輿!』などと考えているのでは、と思ったのだがサクラに全くその気はなかった。
とはいうものの、サクラも年頃の少女らしくシンデレラストーリーに憧れがないわけでもない。
そうしたチャンスがあったことに初めて気付き、サクラは複雑な心境だ。

 

「良かった良かった」

いやに楽しげな声を出すカカシを横目に、サクラは何がそんなに良かったのかと考え込む。
サクラは釈然としない気持ちを抱えながら帰路を歩き続けた。


あとがき??
『桜桜』の番外編。よって話も似た雰囲気にした、つもりです。
本編の方は、ナルトと本物の桜姫の話でした。
タイトルの『桜守』、『桜』はもちろんサクラちゃん、『守』はカカシ先生を意味してます。(サクラを守るから)
本家、分家で大騒ぎしているようなので、血筋の点にもこだわるのかと思いまして、このような展開に。
書きたかったのは、冒頭と最後のサクラちゃんとハルの会話。

『桜桜』を書いて随分間があいてしまったために、内容も変質してしまいました。
最初は「大名家の会合の席で、サクラがお坊ちゃんに求婚されて大慌て」という内容だったんですけど。(汗)
『桜桜』を読むと分かるのですが、この話の中ではサクラちゃんはまだカカシ先生のことをなんとも思ってません。(まだ、がポイント)
おかげで、あんまりカカサクにならなくて、すみません。(>_<)
思いのほか長くなってしまって、自分でも驚きました。
とろとろと少しずつ書き綴っていったので、お待たせして申し訳ありませんでした。

14141HIT、わさび様、有難うございました。


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