マドンナ


朝、サクラの母親から電話があった。
サクラが風邪をひいて熱を出したらしい。
今日の任務はお休みとのこと。

 

電話の呼び出し音のおかげで、早くに目が覚めた。
定刻に集合場所にたどり着くことができそうだ。
受話器を置いたあと、コップに注いだ水を飲みながらソファに腰掛ける。

冷たい水が喉をとおる感触が気持ちいい。
空になったコップを傍らのテーブルに置き、ソファの肘掛に頭をもたれる。

寝起きだったために、電話の対応はかなりおざなりになってしまった。
自分はなんと言って返事をしたのか、全く記憶にない。
サクラの母親。
サクラに似た、よくとおる高い声。
顔も彼女に似ているのだろうか。

年を経たサクラを頭の中で思い描いてみる。
20年後のサクラ。
持ち前の明るい性格から、サクラは結婚したら笑顔のたえない家庭を築きそうだ。
日ごろから世話好きの彼女はきっと良い妻、良い母親になるだろう。
旦那になる奴は果報者だな。

と、そこまで考えて、自分の想像力のたくましさに何だか笑ってしまった。

 

電話に起こされたというのに、集合時間にはたっぷり2時間遅れて到着した。
あのままソファの上で二度寝してしまったのが敗因だ。
ナルトとサスケはいつものとおり不機嫌そうな顔で迎えてくれた。

サクラのことを伝えると、二人共同時に表情を曇らせる。
そんな顔をされると、こっちまで過剰に反応してしまう。

「そう心配するな。明日にはちゃんと元気な姿を見せるさ」
二人の頭を乱暴になでながら笑顔の一つも見せる。
励ますつもりが、自分に言い聞かせている言葉のように思えて、少し驚いた。

 

 

何だろう。

この怖いくらいの静けさは。

 

任務地に赴く道すがら、何故かひどく落ち着かない気持ちになった。
サスケがむっつりとしているのはいつものことにしても、騒がしいはずのナルトまで口をつぐんでいる。
おかげで、とてつもない静寂が辺りを支配している。

思案するまでもなく、答えはすぐに出た。
サクラがいないからだ。
もともと仲の悪いサスケにナルトの方から話し掛けるはずもなく、サスケの方はよけいにだろう。
よって会話がない。

いつもはサクラがサスケとナルトの仲立ちになって会話を成立させていた。
いとも簡単に。
昨日までの俺は、口をはさむことなく静かに、ぎゃあぎゃあと騒がしい下忍達の会話に耳を傾けているだけでよかった。
気まずい沈黙を何とか打破しようと思い、二人に声をかけてもみたが、「ああ」や「うん」といった返事しか返ってこず、ごく短めの対話で終了した。
おかげでよけいに気詰まりな雰囲気になってしまった。

任務の間中、まとわりつく違和感はどうにもぬぐえなかった。
どこか調子が悪いのか、ナルトは失敗続き。
あのサスケでさえ、任務に集中できているとは言いがたい。
理由はまたもはっきりしている。
サクラがいないからだ。

サクラの病が気になるというのもあるだろうが、彼女がいないこと自体が、不自然な感じがする。
サクラが不在で、班全体の能率がここまで落ちるとは思いもしなかった。
いなくなって初めて知るサクラの存在の貴重さ。
能力的にはナルトやサスケに比べて格段見劣りするのに、サクラは精神面で確実に、7班の扇の要のような位置にいたのだ。

さながら、彼女は空気のような自然さで、そこにいた。

傍にいてくれるだけで、呼吸が楽になる気がする。
サクラが笑うと、不思議とこちらまで温かい気持ちになる。
そして、彼女を護りたいという気持ちが、皆の心を一つにする。

サクラは、知らぬ間に、じわじわと、皆の孤独な心に浸透していた。
癒しという名で。

 

 

どこか暗い気持ちを抱えたまま、7班はその日の任務を終えた。
報告に行ったあとも、足取りは重い。
このままの気持ちで家に直行する気には、どうしてもなれなかった。
何かに急きたてられるように、足が、とある場所を目指して歩き始めていた。

幸せの象徴であるような、明るい電灯の燈る白塗りの壁の家。
サクラの住処。
すでに時計の針は9時まわっている。
面会するには、過ぎた時刻だ。
その間取りを外観から判断して、大体の、サクラの部屋の位置を推測する。
何とか、今日中に一目なりともサクラを視界に入れたくて、壁をよじ登って適当な部屋を覗いてみた。
果たして、目的の人物の部屋はすぐに発見できた。

サクラは氷嚢を額にあてた状態で横になっている。
目を瞑ったままのサクラは、苦しげのようにも見える。
まだ熱が下がっていないのだろうか。
明日も彼女が来ないのかと思い、気分が一層沈みこむ。

サクラ。

心の中で、名を呼んでみた。
別に、何かを期待してのことではない。
ただ、そばにいるのに、声をかけられないということが、歯がゆくて。
すると、信じられないことが、目の前でおきた。

自分の声が聞こえたかのように、サクラが瞳を開けてこちらを見たのだ。
驚きで息を呑む自分に、ベッドから這い出したサクラはしっかりとした足取りで歩み寄る。
窓の鍵を開け、サクラは「いらっしゃい」と言って笑った。

 

「驚かないの」
「だって、カカシ先生、呼んだでしょ。私のこと」
こともなげに言うサクラ。
心を鷲づかみにされたような、こっちの気も知らないで。

「昼間寝てたから、目がさえちゃって。でも、おかげで熱はだいぶ下がったわ」
機を制して、サクラは俺の聞きたかったことを話し始めた。
「明日には仕事に復帰できるわよ。足手まといの私がいない方が、仕事ははかどるでしょうけど」
サクラは寂しげな表情で目線を下げる。

本気で言っているのだろうか。
全く反対だと任務の状況を伝えると、サクラは到底信じられないというように笑った。
サクラは自身の価値を正当に判断できていない。
また、自分がそれを上手く説明できないのが、口惜しかった。

 

それから、たわいない雑談を続けていると、サクラは唐突に訊いてきた。

「カカシ先生、どうして来てくれたの。私が心配だったから?」

案の上の質問。
当然訊かれるだろうと思って、いろいろ言い訳を考えてきたのに、実際サクラの顔を見たら何もかも吹き飛んでしまった。
サクラのいる空気。
心が、とても清らかで、まっさらな状態になってしまう。
自分を真っ直ぐに見詰める、澄んだ瞳から、目をそらすができない。

自然。
胸のうちにある、正直な気持ちが口からこぼれた。

「サクラの顔が見たくて」

 

大きく、大きく目を見開いたサクラは、次の瞬間には可笑しそうに笑った。
サクラが自分の言葉を信じていないのは必至だ。
これは、普段サクラをからかって遊んでいるツケだろうか。

それでも、サクラの笑顔をこうして間近で見られるだけで、満足している自分がいる。
今はまだこのままでいいのかもしれない。
7班内の、皆の憧れのサクラ。
でも、いつか。
班を解散して、サクラが自分の元を離れるときがきたら、思い切って言ってみようか。

 

10年後も、20年後も、君の笑顔を一番近くで見ていたい、って。


あとがき??

マドンナの意味は二つ。
1.聖母マリアの称号。
2.あこがれの対象となる、美しい女性。

7班のマドンナ、サクラちゃんの話でした。皆のお母さん状態。
カカシ先生、ちょっとフライング。抜け駆け禁止―!!(笑)
実際、サクラがいなくても、ここまでギスギスはしないでしょうけど。(^_^)

一緒にいて、楽に呼吸ができる人、また反対に重くなってしまう人って、いると思います。


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