咲くやこの花


 

遠い昔。

花を咲かせている人を見たことがある。

 

 

その人が木の枝に触れると、とたんに枝先から変化が始まる。

見る間に、固いつぼみが膨らみだし、花びらが開き始めた。
一つの花が咲くと、その隣りのつぼみが。
枝枝が、連鎖反応のように、一斉に花開き始める。

子供だった自分は、魔法のようなその出来事に、見惚れた。
不思議と、奇妙だという感慨は沸かなかった。
ただ、綺麗だと思った。

まだ幼かったからかもしれない。

 

自分が服のすそを掴むと、その人は驚いて振り向いた。
自分の姿を認めると、驚きに目を見開く。
まるで、今、自分の存在に気付いたというように。
頬を緩め、困ったように首を傾げるその人に、自分はある思いを告げる。

 

「あなたみたいになりたい」

花を咲かせて。
見る人を楽しませて。
幸せな気持ちにしてあげられるように。

真剣なあまり、自分はきっとその人を睨みつけるように見ていたと思う。
だけれど、その人に自分を疎んでいるという素振りはなかった。

 

「なれるわよ」

思いのほか、その人はあっさりと返答した。
言った自分の方が危ぶんでしまうくらい。

「本当?」
「ええ」

念を押す自分に、その人は可笑しそうに笑う。
その人は屈みこむと、自分の目線に合わせて話し始めた。

「あなたが、約束してくれたらね」

その人に小指に自分の小指を絡ませ、固く誓った。

 

何を?

記憶はおぼろげで、思い出すことができない。
ただ、あの光景だけは鮮明に残っている。

咲き乱れる、桜並木。
その人が咲かせた花たち。

優しい笑顔の女性。
日に透ける桃色の髪。
翠の瞳。

約束を交わしたその人は、花に負けないくらいに、綺麗な人だった。

 

 

ふいに思い出したその過去の出来事に、苦笑する。

自分が歩んできた道を思い返して。
自嘲ぎみに。

人を幸せにするどころではない。
自分は今まで、全く反対の生き方をしてきた。
あの人との約束がどんなものだったか定かではないが、今の自分に花を咲かせることはできないだろう。
絶対に。

 

「カカシ先生」

名前を呼ばれ、首だけで振り返る。
声で、誰だかは分かっていた。
高音の少女の声。
しかも、自分を「先生」と呼ぶのは一人しかいない。

「・・・何?」

立ち止まることなく声をかける。
駆けて来たサクラは、一生懸命に自分の歩調に合わせて小走りについてきている。

「桜、見に行こう」

思わず、立ち止まった。
彼女が正気かどうか確かめる必要があったからだ。
まじまじと見詰めると、サクラはただ、自分が足を止めて彼女を注目していることを喜んでいるように見えた。

「何言ってるんだ、今、冬だぞ。桜は春だろ」
「そんなこと、知ってるわよ」
サクラは口をつんと尖らせながら言う。

「私が、カカシ先生のために咲かせてあげるから、大丈夫よ」

 

 

その言葉につられて、サクラに従ってしまった。
「花を咲かせる」というサクラが、あの人の面影と重なったからだ。
顔の造作は全く似ていないのに。

何のことはない。
サクラに連れられてきた場所には、冬に咲くという冬桜が何輪か咲いていた。
だが里では大変珍しいものだ。

「結構地味なのね。もっと沢山咲いてるって思ってたのに」
サクラはがっかりと肩を落とす。
道すがら、サクラが無理に場を和ませようと、自分に話し掛けていることは感じていた。
桜の木に視線を向けたまま、ぽつりともらす。

 

「サクラ、もしかして俺のこと励まそうとか思ってここに連れて来たの」
「・・・・」

黙り込んだ彼女に、図星だったことを知る。

「だって先生、ここのところ元気なかったじゃない。全然笑ってくれないし・・・」

聞き取りにくい声で呟くサクラの方が、よっぽど元気がないように見える。
何となく申し訳ない気持ちになり、その肩に触れようとして。
唐突に。

思い出した。

あの人との約束。
微笑んだあの人の言った言葉。

 

 

「笑顔を忘れないこと」

 

何を言われたのか、とっさに分からなかった。
「笑顔?」
訊き返す自分に、その人はこくりと頷く。
「花などに頼らなくても、人は人を幸せにできるから」

変わったことを言う。
それでは、あなたは“人”ではないみたいだ。

「あなたが笑えば、身近にいる、あなたのことが大好きな人達が皆幸せになれるのよ。簡単でしょ」
「・・・うん」

答えると、その人はにっこりと笑った。
そして、すぐにその人の言葉が本当だと悟った。
彼女の笑顔を見たとき、自分は花が咲いたのを見たとき以上に幸せな気持ちになったから。

「素敵な大人になってね」

指きりをした後、頭に置かれた温かな手の感触。
手が離れるのと同時に、その人の姿は消えた。
煙のように。
それでも、自分は驚かなかった。
たぶん、役目を終えたから、いなくなったのだろうと思った。
あとには、満開の桜の下でぽつんと佇む、自分が残された。

自分のことを好きな人達。
そんな人、周りに一人だっていないのに。

辛い毎日が続く現実に、自分はすっかりあの人との約束を忘れてしまっていた。

 

 

「えーと、サクラ」

自分はこほんと一つ咳払いしてから話し出す。
「数は少なかったけど、感動した。冬の桜がこんなに綺麗だとは思わなかったよ。おかげで元気出た」
言葉と同時に、サクラに笑いかけた。

すると、サクラの顔が、安心したように綻ぶ。
まるで、花が咲いたかのような愛らしい笑顔。
見てる方が幸せな気持ちになる。

 

 

心の中の桜の精霊が、笑ってる。
それでいいんだって。

 


あとがき??

『white room』(藤原薫)と『7つの海』(岩泉舞)を+して割り切れなかった話みたいだ。(笑)
どっちも良いお話ですよ。
唐突に書き出したので、自分でもよく分からない。

ただ、冬桜を観に行こうと従姉に言われ、長瀞に行ったら全く咲いていなくて、川くだりをしようと言われ河原に行ったら水不足でやっていなくて、三峰神社に行ったら帰り道、林で迷って遭難しそうになった、苦い小旅行の記憶が書いてる時に蘇った。(苦笑)

まぁ、人は誰でも人を幸せにできる力を持っているんだ、ということで。
逆の方がよっぽど簡単ですが。


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