観用少女 −crystal eyes− 後編


貿易事業で成功した祖父のおかげで、ハヤテは生まれてからこの方金の不自由をしたことがなかった。
生来体が弱かったこともあり、働いたことすらない。
そんな彼の転落人生は、風邪をこじらせた父が死んでから始まった。

父の死から1ヶ月も経たないうちにあとを追うように母が亡くなり、狡賢い叔父に遺言書を書き換えられ、財産が一銭も手に入らなかったばかりか家を追い出された。
こうなると、今まで世間を知らなかったつけがドッときた。
働こうにも失敗続きで、満足に雇ってもらえない。
金があるときに親しくしていた友人は、掌を返したように冷たくなった。
そのまま住む所もなく、持病は悪化。

路地裏で一人座り込んでいると、吐き出した血が着たきり雀の服に染みを作った。
たまに通りかかる通行人は、肺を患うハヤテを見て眉を寄せて素通りするのみだ。
降り出した雨が体温を奪っていく中、何だか、もう死んでしまおうかという気持ちにもなる。

そんなときだった。
ハヤテの前に、天使が現れたのは。

 

冷え切った体に、温かいものが触れた。
目を開けると、まず最初に、その印象的な緑の瞳が見えた。
年の頃、12、3歳に見える少女が、心配げにハヤテの頬に触れている。
少女は、ハヤテの生死を確かめていたのかもしれない。

彼の体が僅かに反応したのに気付き、少女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
その笑顔に、ハヤテの目は釘付けになる。

綺麗な、綺麗な、見る者の心を浄化するような温かい笑み。
それは、薄汚い路地裏の道が、春の日差しが降り注ぐ花畑に変化したような瞬間だった。
同時に、ハヤテは彼女が人でも天使でもない存在だと気付く。
「観用少女、か?」
ハヤテの言葉に、彼女は小首を傾げ、肯定するように微笑みを浮かべる。

 

ハヤテが一目で彼女を観用少女と見抜けたのは、そのずば抜けた容姿と、一度友人の家で観用少女を見たことがあったからだ。
目を合わせず、見当違いの方を見ていることから、彼女の目が見えないということにもすぐに分かった。

「何してるんですか。こんなところで・・・」
自分にぺったりと身を寄せる少女に、ハヤテは困惑気味に訊ねる。
家の奥で大切にされるべき観用少女が、こんなところで雨に濡れているなど、どう考えても不自然だ。
「あなたも帰る場所がないんですか?」

ハヤテの問い掛けに、観用少女は首をかすかに振る。
やおら立ち上がった彼女は、ハヤテの手を強く引いた。
付いて来い、というように何度も引っ張る。
無言の少女の力強い主張に抗えず、ハヤテは立ち上がった。
一歩も歩けないと座り込んでいたのが嘘のように、少女に手を引かれるままに歩き続ける。

どこをどうして歩いたのか、目の見えぬ観用少女に導かれてたどり着いた先は、イルカの工房のある門の前だった。

 

 

 

ハヤテが長い夢から覚醒すると、まず最初に白い天井が目に入った。
ぼんやりとした視界がゆるゆると鮮明なものになっていく。
首を傾けると、腕には天敵の管、傍らには知らない顔が並ぶ。
その中に碧の瞳の観用少女を見出した瞬間に、ハヤテは少女に出会って以後のことを思い出す。

「バナナ」

「・・・・・え?」
目覚めてすぐのハヤテの第一声に、ナルトもイルカも目が点になる。
寝起きで、頭が錯乱しているのか。
それとも、高熱に浮かされての譫言なのか。
動揺するナルトとイルカを尻目に、ハヤテは再び繰り返す。

「バナナですよ、バナナ。どうしました?私が倒れたときに持っていた、あれは」
「・・・・ああ」
記憶の糸をたぐり、イルカは納得気味に頷く。
ハヤテが血を吐いて倒れたとき、確か彼は何かの袋を持っていた。
しかし、それがどうなったかというと、ナルトもイルカもよく分からない。
何しろ、人が血を吐いて倒れるなとどいう尋常でない事態に遭遇し、現場は非常に混乱していたのだ。

 

どう返答したものかと悩むイルカ達から一歩進み、サクラがすっと手を差し出す。
その手には、ハヤテが訊ねたと思われるバナナの入った袋。
「サクラちゃん、いつの間に・・・」
驚くナルトに、サクラは曖昧に微笑む。

「ああ。よかった。無事でしたか」
バナナの袋を認め、ハヤテはホッとしたように笑った。
「それ、ナルトくんに渡してください」
「え!?俺に!」
自分を指差して仰天するナルトに、ハヤテはしっかりと頷いた。
「イルカさんにナルトくんの好物がバナナだと聞いて買いに行ったんですよ。でも、途中で発作がおきてしまって、ご迷惑おかけしました」
首を垂れることのできないハヤテは、力無く目線を下げる。

事情は分かったものの、どうにもナルトには理解出来ない。
特にハヤテと親しくしていたわけでもなし、どう考えてもそのようなものを貰う謂れはなかった。

 

「・・・何で、俺に」
バナナを手に怪訝な表情をするナルトに、ハヤテは薄い笑みを浮かべる。
「このとおり、私は病持ちの身です。でも、サクラさんがいると不思議と呼吸が楽になって、彼女もそれを察してそばにいてくれたんだと思います。そして、私が倒れたときにすぐに人を呼べるように」
確認するように、ハヤテはサクラに目を向ける。
つられてナルトが見ると、サクラはただ静かにハヤテを見詰めていた。
話すことのできないサクラの、肯定の意味。

「でも、サクラさんを独り占めしてしまって、ナルトくんには申し訳ないことをしました。それで、お詫びの意味でバナナをプレゼントしようと思いまして」
喋るうちに、段々と、ハヤテの呼吸が荒くなっていく。
長時間の会話が応えたのか、医者がハヤテに駆け寄った。
「あまりお金持ってないんで、一房しか買えなかったんですけど・・・」

その一言を最後に、ハヤテは再び眠りについた。

これ以上病室にいては身体の負担になると医者からの忠告され、ナルト達は早々に部屋から退出する。
ハヤテの病は、持病であることを含め、今日明日に死ぬようなことはない。
長い養生が必要な病気なのだと教えられた。

 

 

暗い夜道、帰路を歩くナルトの足取りは、いつになく重いものだった。
サクラは自分の許容範囲以上に活動したせいか、イルカの背で眠りこけている。

「俺、自分が恥ずかしいよ。最初から、ハヤテさんのこと疑って」
とぼとぼと歩くナルトは、沈んだ声で喋りだす。
「サクラちゃんは目が見えなくても、ハヤテさんのいいところをちゃんと見抜いていたのに」
ナルトはハヤテから貰ったバナナを握りしめた。
たぶん、ハヤテがなけなしの金を払って買った貴重なもの。
「俺ってば、すげー嫌な奴」
「・・・ナルト」
自己嫌悪に涙をにじませるナルトを、イルカはいたわるようにして見る。
なまじっかな慰めでは、ナルトの気分は浮上しそうにない。

「サクラには確かに、人を見抜く目があると思うよ」
イルカはわざと明るい声音でナルトに話しかける。
「それならさ、サクラが一番懐いてるナルトは、すげーいい奴ってことにならないか?」
「・・・サクラちゃんなら、イルカ先生やハヤテさんにだって懐いてるじゃん」
「違うよ」
イルカはくすりと笑って続ける。
「サクラはお前が用意したミルクじゃないと、絶対に飲まないんだよ。気付かなかったか」

初耳だった。
目を見開いて見上げてくるナルトに、イルカは優しい笑みを向ける。
「一度なぁ、お前が外に出て帰りが遅かったときに試してみたんだけど、駄目だった。サクラが一番気を許してるのは、お前だよ。ナルト」
すやすやと眠りこけるサクラを、ナルトは信じられないというように見詰める。
本来、観用少女が作り手である人形師に逆らうなど、有り得ない。

サクラを抱えなおすと、イルカはナルトの頭をぽんっと叩いた。
「今回はちょっと誤解が過ぎたけど、お前は十分にいい奴なんだよ」

 

 

 

退院したハヤテは、弁護士が遺言書を偽造した事実が発覚し、再び億万長者に返り咲いた。
気候の温暖な場所で静養すれば、病もこれ以上悪くなることはないと医者のお墨付きも貰った。
というのに、ハヤテは住み慣れた故郷を離れるつもりはなさそうだ。

「こんにちはー」
すでに日課となりつつある、ハヤテの訪問。
工房を訪れたハヤテはいつものように、まず最初にサクラに挨拶をする。
「サクラさんは今日も綺麗ですね」
美辞麗句を並べ立て、ハヤテはサクラの機嫌取りに夢中だ。
サクラ自身、ハヤテの来訪を待ちわびているような節がある。
ひきつる顔を何とかごまかして茶を運んできたナルトに、ハヤテは意味ありげに笑った。

「ナルトくん。私がサクラさんを譲って欲しいと言っても・・・」
「駄目!絶対駄目!!」
「ですよねぇ」
息巻くナルトに、ハヤテは嘆息する。
「残念です。お金なら十分あるんですけど」

 

繰り返される毎度の会話を、サクラは微笑んで聞いている。
イルカの忍び笑いからも、ハヤテがナルトをからかって遊んでいるのだということがよく分かる。
ナルト以外は全員気付いていることだ。

今日もイルカの工房は変わることなく、穏やかな空気に包まれていた。


あとがき??
ハヤテさんが坊ちゃんという設定は、たんに彼の言葉が敬語だったから。(単純)
彼のおかげで、イルカ先生の工房は一生資金難に陥ることはないでしょう。

うちのナルトはバナナが好きです。なぜなら、ラファエルがバナナ好きだからです。(須賀しのぶ著『キル・ゾーン』)
ちなみに、甘いお菓子も大好きです。身長も16歳になったらひょろひょろ伸びます。
とうわけで、うちのナルトは全般的にラファエルがモデル。(カカシ先生はエイゼン!!)

改めて読み返して、行き当たりばったりで話作ってるのがよく分かる話だなぁと。(汗)
いろんなものが混じってるし。
あらゆる意味で私らしさが出た作品です。楽しかった。
十分満足したので、プランツは当分書かなくていいかな。

・・・って思った矢先に、サスケ視点の話が頭に浮かんだ。勢いがあるうちに書くか。
1の世界と3の世界が初めてリンクします。ちょっとだけ。
読者様が望むような接点じゃないんですけど。
サスケとサクラの出会い話。


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