あなたと行く海


「火影様の下で働く気はないか?」
「嫌、ですね」
仲間の言葉に、ハヤテは即答する。
「・・・もう少し悩んでもいいだろう」
肩をすくめる男を見向きもせず、ハヤテは足早にその場を立ち去ろうとする。
「火影様の傍近くで働けるってことは、それだけ出世のチャンスがあるってことだ。普通は喜んで話を受けるんじゃないか」
背中に向かって投げかけられた言葉に、ハヤテは鼻で笑って返事を返した。
「別に出世したいなんて思ってませんよ。どうせ、この身体では長い事生きられないでしょうし」
万年病となってしまった咳を繰り返しながら、ハヤテな歩みを進める。
なおも食い下がる男は、最後の切り札を口にした。
「今回の事件は、あの大蛇丸が絡んでいる。里全体が争いに巻き込まれるかもしれないんだぞ。それでも、お前は動かないっていうのか!」

木ノ葉最大の禁忌となっている大蛇丸の名前。
それまで何の反応も示さなかったハヤテはぴたりと足を止める。
男の顔が安心したように綻んだが、それは大きな勘違いだった。
振り返ったハヤテの皮肉げな表情。
「里が戦場になる?それはまた大いに結構ですね。私だけが病気で苦しみながら死ぬなんて、不公平ですから」
ハヤテは心の底から楽しげに笑った。

里のことなど、どうでもいい。
それはハヤテの真からの本音だ。
病を得て以来、何もかも馬鹿らしくなってしまった。
医者は養生しだいで延命はできるが、治るとは一言も言わなかった。
それでハヤテのその後の生き方は決まった。
肉親とは、とうの昔に死に別れ、名残を惜しむ人間もいない。
残された余生を穏やかに過ごそうとも思ったが、忍の仕事は辞めることはできない。
幼い頃から忍の仕事に従事してきたハヤテに、今さら別の職業につけと言っても無理なことだった。

 

 

「良い天気ですねー」
木ノ葉の里を一望できる高台に立ち、ハヤテは大きく声を出した。
深呼吸で新鮮な空気を胸一杯吸い込んだ後、ハヤテはさっそく手にした画材を広げ始める。
ハヤテの唯一の趣味は、絵を描くこと。
主に風景画を好んで描いている。
休みの日には決まって絵を描いているのだが、ここ最近任務を殆どキャンセルし、ハヤテは毎日のようにこの場所を訪れていた。
理由は、もう10分もしないうちに現れるであろう、少女。

「ハヤテさん!」
暫しの時間が経過し、ハヤテの予想通り、桜色の髪の少女が彼に手を振りながら駆けて来る。
ハヤテは軽く片手を上げて彼女に応えた。
その少女との出会いは、絵を描くハヤテに彼女が話し掛けてきたことがきっかけだ。

 

一ヶ月ほど前のこと。

「済みません・・・」
「はい?」
唐突に背後から声をかけられ、ハヤテは怪訝な表情で振り返る。
そこには木ノ葉の額当てをつけた、見たこともない少女が立っていた。
「何ですか」
警戒心を解き、柔らかな物腰で訊ねると、彼女はホッとしたように話を続けた。
「この絵、おいくらくらいするんですか」
指し示されたのは、ハヤテが無造作に地面に置いたスケッチブック。
以前描いた絵が表に出ている。
「ああ、別にこれは売ってるわけじゃないんですよ」
笑いながら答えると、眼前の少女はあからさまに落胆した表情を見せた。
その様子を、ハヤテは何となく不憫に感じる。
元々暇つぶしのためだけに描かれた絵だ。

「よろしければ差し上げますけど」
「本当!?」
とたんに少女の顔がパッと輝いた。
その素早い表情の変化に、ハヤテは苦笑する。
だが、嘘のないと分かる彼女の言動にハヤテは好感を抱く。
「そんなにこの絵を気に入って頂けたんですか」
「はい。私、こんなに綺麗な絵見たの初めてです。・・・えーと」
言いよどむ少女に、ハヤテはにこやかな笑顔で続ける。
「私は月光ハヤテといいます」
「サクラ。私は春野サクラです」
花の名を持つ少女は、その名に相応しく、愛らしい笑顔をハヤテに向けた。

以来、サクラは任務終了後、決まってこの場所を訪れるようになった。
何か用事がある時でも、ここで少しの時間を過ごしてからその場所に向かう。
ハヤテは全くの普段着で絵を描いているため、サクラは彼のことを暇で売れない画家と思っているのかもしれなかった。

 

「ハヤテさんの青って独特よね」
サクラは青空に色をつけるハヤテの手元を見ながら言った。
「そうですか」
「うん。私、最初にハヤテさんの絵を見たとき、この青に目がいったもの」
ぺたぺたと色づけを続けるハヤテに、サクラは少し首を傾けて問い掛ける。
「ハヤテさんの絵って、赤の色彩少ないわよね。どうして?」
「・・・・赤は嫌いなんです」
血の色だから。
そして、それは死を予感させるから。
ハヤテの瞳に一瞬暗い影がよぎったが、サクラは気付かない。
ただ不思議そうな顔をしただけだ。

ハヤテが良い顔をしていないことを知ると、サクラはあっさりと話題を変える。
「海、行きたいなぁ」

サクラの発想はいつも唐突で、ハヤテの考えの及ぶところではない。
だからこそ一緒にいて楽しい。
しかし、今回のサクラの言葉は青から連想したのだとハヤテは推測できた。
「海、ですか?」
「そう。海」
ハヤテは絵から目を離し、サクラに顔を向ける。
彼女はしごく真面目な表情でハヤテを見詰めていた。

「観光で海に行ったのは2年も前だし、この前任務で海に行った時も遊んでる時間なんてなかったわ。中忍試験が始まっちゃったら、もっと行きにくくなるわね」
嘆息し、ハヤテの前で初めて寂しそうな表情を見せるサクラ。
無意識に。
言葉がハヤテの口をついて出ていた。
「・・・行きましょうか、海。一緒に」

サクラは大仰に驚いた表情でハヤテを仰ぎ見た。
「本当!?」
興奮気味に瞳を輝かせるサクラに、ハヤテはためらいがちに声を出す。
「ええ。中忍試験が終わったら、私がサクラさんを海に連れて行ってあげますよ」
ちょうど海の絵を描きたいと思っていましたし、というハヤテの言葉は、彼に飛びついてきたサクラによって遮られる。
自分の胸の内にある温かな存在に、ハヤテの心拍数は跳ね上がった。
「絶対ね!約束よ!!」
顔を赤くするハヤテに全く気付かず、サクラは彼を見上げて力強く念を押した。
「はい」
その答えに、サクラは満面の笑みを浮かべ再びハヤテに抱きついた。

 

その日の夜、ハヤテは自分を火影の下へとスカウトした男を呼び出した。

「どういう風の吹き回しだ。前はあんなにすげなく断ったってのに」
「気が変わったんですよ」
刺のある言葉に、ハヤテはやんわりと返事をする。
「守りたいものができたので」
里のことがどうでもいいという考えが変わったわけではない。
ただ、ハヤテはサクラのことは何としても守りたいと思った。
すると自然に火影の下で働く話を承諾するという結果になってしまったというわけだ。

 

サクラと、海へ行こうと約束をした。
今までのハヤテだったら、絶対にすることのなかった約束。
明日をも知れぬ、忍の仕事。
たとえ病を得ていなかったとしても、生き残れるのはほんの一握りという厳しい世界。
果たせるかどうか分からない約束など、はじめからしないほうが良い。
そう、思っていたのに。

サクラの表情が曇るのを見たくなくて。
笑顔を少しでも多く見たくて。
ハヤテは生まれて初めて、人と約束を交わした。
その瞬間、心に芽生えた温かな気持ち。
心を縛るものだとばかり思っていたそれは、逆に沈んでいた心を浮き立たせる役目を果たした。

誰かが自分との約束を楽しみに待っていてくれている。
そう思うだけで、ハヤテは残り少ない命だと分かっていても、希望を捨てることなく未来を生きていけるような気がした。

 

そして火影の下でハヤテに初めて与えられた任務は、思いがけず、中忍選抜試験の試験官の仕事だった。

会場で顔をハヤテと顔を会わせたサクラは、大きく目を見開く。
だが、ハヤテはサクラに対してまるで初対面という応対をした。
試験管と特定の生徒が親しいことを知られれば、何かと不都合が生じると思ってのことだ。
サクラは瞬時にハヤテの考えを読み取り、平静を装って行動をした。
二人の関係に気付いた者は、誰もいない。

 

 

本戦が始まるまでの中忍試験の中休み、サクラは息を切らしながら高台へと向かった。
すぐ傍にいながら、声をかけられない苦痛からようやく逃れることができると思うと、嬉しかった。
だが、たどり着いた場所に人の気配はしない。
「あれ、まだ来てないのかな?」
サクラは首をめぐらすと、残念そうに呟く。
「せっかく海に行く計画練ろうと思ったのに・・・」

前日に、火影の命令で大蛇丸の手の者の動向を探っていたハヤテがこの世を去ったことを、サクラは知らない。
また、サクラがハヤテと親しく付き合っていたことを知らない人々が、その情報をサクラに伝えるはずもない。
サクラは暫らくうろうろと付近を探索した後、近くにある木陰に座り込む。

 

青い海としぶきをあげる白い波。
人もまばらな砂浜。
夏の名残の日差しを遮るための帽子。
昼食のお弁当を詰めたバスケット。
そして、絵を描くための画材を片手に微笑むあの人。

「早く来ないかなぁ・・・」

ハヤテが現れることを心待ちにするサクラは海での様子を思い描き、楽しげに笑って呟いた。


あとがき??
92話を読んだ直後に即行書き始めた話。(^_^;)
ハヤテさん、死んでなかったら済みません。
あれ、もしかして、暗い部屋に置くべきものだったのかしら。(汗汗)

なんとなく『八月のクリスマス』を思い出す。(話の流れは全然違うんですけど)韓国の映画なのかな?
不治の病の青年が、好きな女性に自分の病のことを知らせず、ひっそりと息を引き取る。
しかし、女性にしてみれば、彼が突然消えてしまったわけで、裏切られたと思っちゃうんですよね。
果たして、彼が死んだと知るのと、嫌われたと思うのと、どっちが辛いのでしょうか。

最初はもっと違った内容だったのですけど。いつのまにやら、絵を描くハヤテさんが登場していた。あら。
でも、この話はこれで良いのかも。
タイトルの『あなたと行く海』、『心待ちにした理由は 海に行けるということよりも あなたと行けるということでしたのに』と続くのですが、題名にしては長いので消しました。

ハヤテさんが描いていたのは水彩画です。
サクラとの出会いが彼の死期を早めてしまったわけですが、彼は後悔していないでしょう。


駄文に戻る