Eve’s Apple
「人物画は描かないの?」
「はい」
即座に返事をされ、サクラは不思議そうに訊ねる。
「何で」
「別に理由はないですけど、しいて言うなら描きたいと思うモデルがいないからですかね」
会話をしながらも、絵筆を持つ手は作業を続けている。ハヤテは呟くように声を出した。
「死ぬまでに一度くらいは描いてもいいと思いますけど・・・」
「随分先の長い話ね」
サクラが笑いながら言葉を返すと、ハヤテも顔を綻ばせた。
「そうですね」こうして笑いあっていたのは、だいぶ以前のこと。
サクラは起きた瞬間自分が泣いているのだということに気付いた。
横になったまま両の手のひらを瞼に置く。
「また夢見ちゃった・・・」
起き上がる気力がなかった。ハヤテはサクラの待つ場所に全く姿を見せなくなった。
何の言付けもなく、消えたハヤテ。最初に感じたのは悲しみ。
次に感じたのは怒り。
最後が。不安。
ハヤテは同じ木ノ葉の忍だ。
上の人間に聞けば、何らかの情報を得られるかもしれない。
だが、サクラはハヤテの所在を確かめることが怖かった。
会えないだけで、これほど苦しい。
何らかの理由で嫌われたのなら、まだ我慢できる。
だけれどもし、彼の身に何か災難があったのだとしたら、悲しくて死んでしまうかもしれない。
サクラはとっくの昔にハヤテに対する気持ちを自覚していた。ぼんやりと視線を彷徨わせるサクラの耳に、窓を叩く音。
「サクラ」
名を呼ばれ、サクラは窓に目を向ける。
7班の担任、カカシがサクラに向かって手を振っている。
「カカシ先生!」
驚いたサクラは急いで窓際に向かう。
「ちょっと、時間ある?」
サクラに有無を言わせず、カカシは彼女をせっついた。
木ノ葉の里の外れにある、小さな画廊。
素人画のコンテストがあったらしく、受け付けの案内嬢がパンフレットを配っている。
カカシに手を引かれサクラが入り口をくぐろうとすると、会場から出てきた人々が何故かサクラを振り返って見た。
最初は気のせいかと思ったサクラだが、その後に続いて出てくる人もサクラをじろじろと見詰めてきた。
自分が何か無作法なことでもしたのかとサクラは不安になったが、カカシは気にした風もなく歩みを進める。「先生、何なの」
「いいから」
何を言ってもカカシは聞く耳を持たないというように、サクラを画廊の奥へと導く。
そこには人だかりができていた。
コンテストの大賞をとった作品が掲げられているのだろう。
その絵がちらりと視界に入った瞬間。
サクラは吸い寄せられるように絵に向かった。タイトル 『桜の花』。
しかし、キャンバスには桜木らしきものは描かれていない。
一人の少女が絵を眺める人々に、正確には、筆者に向かってやわらかな笑みを浮かべているだけだ。
目の肥えた者の評価として、技巧はそれほど凝ったものではないということ。
だが、暖色系の色彩を使ったその絵を見ていると、不思議と心に温かいものがわきあがる。
そして穏やかな気持ちになる。
そんな絵だった。サクラは会場内の人々の無遠慮な視線の意味をやっと理解する。
描かれている少女は、紛れもなくサクラ自身。サクラの前方にいる女性の声が、かすかに耳に届く。
「きっとこの女の子は、作者の大切な人なのね・・・」
連れの女性が小さく頷くのが見えた。
彼女だけでなく、この場にいる人間、皆が納得するような言葉だった。「部屋を整理しているときに見つけて、俺が勝手に出展したんだけどね。まさか本当に賞を取るとは思わなかったよ」
「先生」
頬を伝う涙を拭うこともせず、サクラは傍らのカカシに問い掛ける。
「ハヤテさんは、死んだの?」
連れて来られた病室には、意識のない入院患者がいた。
奇跡的に命を取り留めたものの、回復の見込みはない。「目を覚ます可能性は全くないそうだよ」
「そう」
ベッドに近づいたサクラはいとおしげにその人の手を握る。
「それでも、待つの?」
「うん」
サクラは場違いなほどに明るい笑みをカカシに向けた。
綺麗な綺麗な笑顔。
ハヤテが描いたものと同じ。
「だって、あんなに熱烈な告白されたら断れないでしょ」
カカシはため息まじりに頭をかく。
「だから知らせたくなかったんだけどなぁ」
カカシは賭をしていた。
身内のいないハヤテのために、火影に命じられた彼の身辺整理。
カカシはあの絵をハヤテの部屋で見つけたとき、最近元気のない様子のサクラとすぐに結びつけた。
だが、ハヤテはこのような状態だ。
知らせない方が、早く忘れた方が、サクラの今後の未来にはいいのだと思う。
そう思うのに。
ハヤテの残した絵はカカシの胸にわだかまりを残す。
悩むカカシの目についた、絵画コンテストの告知。もし、絵が賞を取ったのなら、サクラに知らせよう。
まるで相手にされなかったようなら、そのまま廃棄しよう。
カカシが決意と共に応募したハヤテの絵。
結果は。
見事に入賞だった。
目覚めないかもしれない恋人を待つサクラ。
だけれど、サクラは信じている。
彼がもう一度自分に笑いかけてくれることを。
待つことしかできなくても、それはサクラにとって幸福な時間なのだ。元々、病魔に蝕まれていたハヤテの身体。
せめて、その命が燃え尽きる前に。
ハヤテの瞳が再びサクラを映すことがあればいい。
カカシは願わずにいられなかった。
あとがき??
微妙な話ですね。ハッピーエンド、アンハッピーエンド??
カカシ先生、サクラちゃんのことをどう思っているのか。それも微妙。
生徒として大切に思ってるのは確実だけど。
サクラ、ハヤテさんが死んでるのかもしれないと思っていただけに、例え意識不明の重体でも生きていてくれて嬉しかったみたいです。
でも、大変なのはこれからですよね。
そこのところを、カカシ先生は心配しているわけですけど。
『あなたと行く海』の続編。でも、あれの中のハヤテさんは死んでいることになっているので、一応これはパラレルかな。タイトルの『Eve’s Apple』。Bonnie Pinkの歌です。
この作品はこの曲を聴いて読んでください。三枚目のアルバム「evil and flowers」に入ってます。強制!(嘘(笑))
聴いてるときに、思い浮かんだからタイトルをつけました。
歌詞が内容にそっているということではないんですが。
よく聴くと、ハヤテさんが死んだ後のサクラの情景、と思えないこともない。かな。
だとしたら、海には行けたみたいです。ちなみに、ハヤテさんの絵のイメージは安野光雅さん。大好き。よく絵本になってます。
ハヤテさんの絵を見たい方は、安野さんの絵を見てください。
今回の『桜の花』は油絵だったらしいですが。
水彩画というのは年々作品が退色し、いずれは完全に色が消えてなくなると聞いたことがあります。
それを知っていて、ハヤテさんはあえて水彩画ばかり描いていたのだと思いますが、最後の最後でサクラの絵を油絵で描いたハヤテさんの気持ちは、どういったものだったのでしょうか。