遙かなる 2


つもったばかりの新雪の上を、ヒナタは足どりも軽やかに走り回る。
木ノ葉隠れの里に、久しく降らなかった雪。
大人にとってやっかいなものでも、子供にとっては大いに嬉しい出来事だ。

 

「そんなに走ると、転びますよ」
「平気!」
赤い毛糸の飾り玉がついた帽子は雪に映えて、微笑むヒナタも一層愛らしく見える。
知らずに自分の顔にも笑顔が浮かんでいることに、ネジは気付いていなかった。

二人のいる場所は、宗家の屋敷を出てすぐにある林道。
ハナビが生まれる前なら、こうして子供二人だけで日向の敷地外に出ることは絶対に出来ない。
父の関心が全てハナビへと向かってしまうことはたまらなく寂しいが、こうして時たまネジが自分の様子を見に来てくれることでヒナタは随分と救われていた。

しんしんと降る雪は、朝に比べ、少しだけ量が増え始める。

雪に足跡が付くだけで楽しく、はしゃいでいたヒナタも、体が冷えてきたのか両手に息を吹きかける動作を繰り返した。

「そろそろ戻りますか」
少し離れた場所にいるヒナタに、ネジは声をやや大きくして訊ねる。
「・・・うん」
自分の家に帰るというのに、ヒナタはどこか元気の無い様子でネジから視線を逸らす。

 

丁度、そのときだった。
ヒナタが木々の間に、何か動くものを発見したのは。

「狐!」
「えっ」
慌てて振り返ったネジだが、そこにはすでに動物の姿はない。
「・・・見間違いじゃないですか」
「違う。本当にいたわ」

かぶりを振ると、ヒナタはその方角へ向かって駆け出した。
普通の子供なら足を取られる雪も、鍛錬の成果か、ヒナタは苦もなく林の道を分け入っていく。
「ヒナタ様!」
ネジが叱咤する声を投げたが、狐に夢中のヒナタの耳には届いていないようだった。

 

 

ヒナタに続き雪道を歩くネジだったが、強くなった風と雪、木々に阻まれてヒナタの姿は見えない。
小さな足跡だけが頼りだ。

 ハナビが生まれたとはいえ、まだ日向の跡取りはヒナタということになっている。
白眼の能力を狙う者は里の内外に数多く、どういう状況であれ、一人で行動するということは危険きわまりない。
今日も、年長であるネジが一緒、ということで何とか外出の許しを得たのだ。

 一度きつく言い聞かせないといけないと思った矢先、赤い色彩がネジの視界に入った。
だが、目に入るのは雪の上に置かれた帽子だけ。
本人の姿は、どこにもない。

「ヒナタ!!」

ネジの悲鳴は、足跡の続く眼前の崖下に吸い込まれるようにして消えた。

 

 

 

 

「この、馬鹿者が!!!」

頬を叩かれ、ネジは壁に背中をしたたかに打ち付けた。
「もうおよしよ。これ以上やると、本当に死んでしまうよ・・・」
「お前は黙っていろ!」
年嵩の女房が気遣わし気に声を掛けたが、日向家に長く仕える老臣の怒りは収まらない。
顔も体も痣だらけになっているネジは、痛みと寒さで全ての感覚が麻痺し、うめき声を出すことも出来なくなっていた。

足を滑らせ、崖から転落したヒナタは、幸運にも深くつもった雪のおかげで大きな怪我はなかった。
だが、高熱を発して意識不明の重体。
ネジは監理不行き届きとして、一族のものに厳しい叱責を受けていた。

「宗家への恨みを、これで晴らしたつもりではなかろうな」

冷たい声音に、ネジはきつく唇を噛みしめる。
違う、と否定しても、信じてもらえないだろう。
殺すつもりならば、雪の中、死にものぐるいで助け上げたヒナタを屋敷に連れ帰ったりなどしない。

 

ヒナタと同様、ネジの体は高い熱を持ち、また崖を上り下りした際に、ヒナタ以上の怪我を負っていた。
これ以上殴られれば、女房の言葉通りに息の根は止まっていた。
また、その方がネジにとってはよほど楽だったかもしれない。

罰として閉じこめられた納戸は明かりもなく、暖を取る道具もない。
未だ降り続く雪と風が格子の隙間から入り込み、納戸の床につもっていく。
熱と怪我のために体が自由に動かなくなっていたネジは、実を縮こまらせて夜の寒さに耐えるしかなかった。

 

 

 

このまま死んでも、困る者はいない。

 

らしくなく、そんな弱気な考えがネジの頭をよぎる。
父はすでに他界し、本家への憎しみだけを糧に生きてきた。
だけれど、これほどまでに生きることが辛いのならば、もう手放してもいいのでは。
父も、怒ったりはしないはずだ。

 

ネジの瞳から急速に光が失われようとした、そのとき。
ある音が、ネジの耳に届いた。

 

 

「兄さん、ネジ兄さん」

空耳かと思うほどの、か細い声。
だが、聞き間違えるはずがない。

長い長い時間をかけ、ようやく顔を向けると、そこには雪が体に当たることも構わず、格子ごしにネジを見詰めるヒナタの姿があった。
寝間着代わりの単を着たのみのヒナタは、眼に涙をためたままネジを見詰めている。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
はらはらと涙を流しながら、ヒナタは何度も謝罪を繰り返す。

「私が勝手なことをしたから、ネジ兄さん沢山叱られたのね。ごめんなさい。私、何度もネジ兄さんがここから出れるよう頼んだけれど、どうしても駄目で・・・・」
ネジが体を痛めつけられているのは、ヒナタが持つ小さな提灯の明かりで見ても、一目瞭然だ。
声を詰まらせたヒナタは、片手で自分の顔を覆った。

「こんなに、ひどいことされて・・・・。もう私のこと、嫌いになっちゃったよね」

一つ年下の従妹の体は、ネジの目にいつもより更に小さく見える。
このままネジが死ねば、ヒナタは一生自分を責めるだろう。
自分のために、ヒナタが一生癒えない傷を抱えることになるのは、嫌だ。

 

 

「・・・早く・・・部屋に、戻れ」

ネジがかろうじて作り出した声に、ヒナタは顔を上げる。
厳しい眼差しのネジは、ヒナタがこのまま付きそうことをよしとしていない。
邪魔だと、言われているような気がした。

これ以上何も言葉をかけられず、ヒナタはネジに背を向けて歩き出す。
母家からは、寝所からいなくなったヒナタを捜す声が聞こえてくる。
自分がネジの元へ行ったことば分かれば、彼がさらに責めを負うと察し、ヒナタは急いで迂回する道を探した。

 

視界から提灯の明かりが完全になくなると、ネジは再び目を閉じる。
雪の中、熱をおして、暗い夜道を提灯の明かり一つ頼りに歩いてきた従妹を、憎めるはずがない。
臆病な彼女にしてみれば、精一杯の勇気を出してのことだ。

「・・・嫌いじゃない」

言えなかった呟きが、冷え切った納戸に小さく響いた。


あとがき??
すみません。ずいぶん前に書いたのですが、すっかりアップするのを忘れていました。
雪が出てくるので、早くにアップしなければならなかったんですが。
遥かシリーズはあともうひとつ、ハナビちゃん視点の話があるのですが。
どうだろう。書けるかなぁ。

そのまんま『飛翔伝』の過去のエピソード。
幼児虐待のような気が・・・・。申し訳ない。


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