嚆矢


木ノ葉隠れの里に、数ある演習場。
その中でも、“死の森”は死を招く森と言われ、最も過酷な演習場として恐れられている。
日差しは鬱蒼と茂る葉に遮られ、昼なお暗い森は、生息する獣の声が絶えず耳につく。
ただ地を歩くだけでも、底なし沼に掴まれば、一巻の終わりだ。
危険を考慮し、特別な決定をされるときにしか、この演習場は使われない。

 

 

木の枝に座り込んだカカシは、幹に背を当て、腕に巻かれた包帯を解いていた。
赤黒く変色した布を取り払うと、刃物によって割かれた傷口と抉れた肉が見える。
すぐにも手術が必要な深手だったが、この場で縫うには衛生面で心配が残り、またそれだけの余裕もない。
傍らにいる忍犬が心配げにカカシの顔を覗き込み、カカシは自分の気持ちを落ち着かせるためにも犬の頭をゆっくりと撫でた。

「もう、1週間経ったか・・・」
指折り数えたカカシは、森に入った日数を数え始める。
「あと何人残ってるかなぁ。2、3人くらい?」
包帯を新しいものに替えたカカシは、立ち上がるなり、背後にいる人物に向かって訊ねる。
「ねぇ、ハヤテくん」

「・・・気付いていたんですか」
枝から飛び降りると、カカシはその声のした方角へと顔を向ける。
「うん。俺には優秀な忍犬が付いていてね。いくら気配を上手に消しても、匂いで分かっちゃうのよ」
声は笑いを含んでいたが、カカシの瞳は、一層鋭さを増していた。

 

「あなたがそれを使うのを、久しぶりに見ますよ」
「俺もねぇ、まさかこの刀がまた人の血を吸うことになるとは、思いもしなかった」
カカシは背にある長刀を手に持ち替えると、正面にいるハヤテをひたと見据える。
暗部を辞めるときに封印した刀は、死地に赴くとき以外に使うことを禁じてきた。

「でも、今はそんなこと言っていられないんだ」
軽口を叩いているように見えて、相対する二人には一分の隙もない。
互いに刀を手にし、どちらが仕掛けるかと窺っている。
ぴりぴりとした空気が、肌を刺すようだった。

 

 

「今ならまだ見逃してあげる、よっと」
様子見のために繰り出したカカシの刃を、ハヤテは簡単にかわす。
逆に間合いを詰め、一撃を加えようとしたハヤテの切っ先からカカシはからくも逃れた。

後方へ跳び、安全と思える距離を取ったあと、カカシは大きく息を吐く。
完全によけたはずが、頬からは一筋の血が流れている。
速さだけなら、どうやらハヤテの方が上のようだった。
腕が鈍ったとは思いたくないが、久々に持つ長刀に加え、傷を負ったカカシは分が悪い。

「腕の傷は深いようですね」
余裕の笑みで痛いところを突いてくるハヤテに、カカシは舌打ちを堪える。
たった一太刀、刃を交えただけでハヤテは看破したらしい。
体に走った震えは、武者震いだと信じたかった。

「次で最後です」
冷徹な声で告げると、ハヤテは奥義たる技への一歩を踏み出す。

 

 

瞬間。

何かに気を取られたハヤテを、カカシは見逃さなかった。

懐に忍ばせていたクナイを、カカシはハヤテに投げつける。
急所目掛けて飛ぶそれを、身をよじってかわしたハヤテだったが、一直線にむかって来るカカシをもよけることは不可能だった。
思いがけぬ急襲に体勢を崩していたハヤテは、呻き声と共にその場に倒れこんだ。

 

 

 

ハヤテの戦意喪失を見て取り、カカシはその眼前まで歩み寄る。

「まさか、トラップがあったとは・・・」
ハヤテは血の流れる右足を庇いながら悔しそうにカカシを見上げる。
「このあたり全部にしかけてあるよ。あとは敵さんが出てくるのを待つだけだったの」
ハヤテが踏み抜いたトラップは彼の足止めをする役目を果たし、とっさに逃げることは出来なかった。

「・・・参りましたよ」
ハヤテは「降参」というように両手を上げ、渋々負けを認める。
望みの一言を耳にして、カカシの顔にようやく本来の笑顔が戻った。
第三者の声が二人の耳に届いたのは、そのときだ。

 

 

「ナイスなファイトだったぞ、カカシ!」

 

見ずとも正体が分かる、その特徴的な話し方。
彼はきっとカカシ達に向かって何らかのポージングをしているはずだ。
カカシはげんなりとした表情で後ろを振り返った。

「・・・ガイ。お前も俺に向かってくる気?」
「悪いなぁ」
腰に手を当てて笑う彼は、キラリと歯を光らせる。
暑苦しい顔とは反対に、実にさわやかな笑顔だ。

「俺は別にお前の邪魔をしたいわけじゃないんだ。ただ、久しぶりに真剣勝負をしたくなってな」
そして、彼はカカシがさらに気力を失う言葉を付け加える。
「お前のトラップは、全部俺が解除しておいたぞ」
「・・・・」

ここに来るまでに写輪眼を多用し、カカシはろくな術を使えない。
かといって、接近戦になれば体術のスペシャリストであるガイを相手に、カカシが圧倒的に不利だ。

 

一難去って、また一難。

本来なら頭を抱えたいところだが、カカシはふいに不敵な笑みを浮かべた。
不審げに眉を寄せたガイに、カカシはある一点を指差す。
「こんなこともあろうかと、ちゃんと対策は練ってあるんだ。見てみな」
不可解なその言動に、ガイはカカシを警戒したまま、頭上へと顔を向ける。
ガイの顔が驚愕のものに変わったのは、その直後だ。

「リー!!」
ガイの愛弟子であるリー少年が、体を縄でぐるぐる巻きにされた状態で木から吊り下げられている。
ぐったりとしている彼は、どうやら意識がないらしい。
すぐ側の枝には、カカシの忍犬が彼の命令を今か今かと待ち構えている。

「お前が俺に逆らったら、すぐにもあの犬がリーくんの喉笛を噛み切るよ」
「クッ!!卑劣な!」
「勝負は勝てばいいんだよ」
喉を鳴らし、楽しそうに笑うカカシは悪役そのものだ。
「どうするの。可愛い生徒を見捨てるの?」
まさに進退窮まったガイは、歯噛みしてカカシを睨みつける。

 

 

「・・・・カカシさんってば、悪い顔が超似合いますね」
「有難う」
足元にいるハヤテの皮肉にも、カカシは悠然と応える。

「カカシ、お前はそうまでして、火影になりたいのか!!」
「ちがーうよ。俺が欲しいのは、“副賞”の方」
声を震わせるガイに、カカシは場違いなほど朗らかに笑う。

「あれは、他の誰にも渡すわけにいかないんだ」

 

 

 

 

「あ、あんなことしちゃってますけど、いいんですか?」
うろたえるイルカに、ホムラは重々しく頷いた。
「ま、あれもありじゃな」
「そんな・・・」

彼らは今、歴代火影が使用した私室で、水晶球を使って戦いの様子を観察していた。
ホムラとイルカ、それにコハルを交えた三人は、五代目火影を決める厳正なる取り決めを行っている最中だった。
イルカがこの場に呼ばれたのは、三代目と知己だったからだ。
年齢に見合わない落ち着きのあるイルカは、三代目に限らず、高齢者の受けが良い。

 

「ところで、“副賞”って何のことですか」
不思議に思ったイルカは、カカシ達の会話に出てきた一つの単語について訊ねる。
「・・・聞いてなかったのか?」
「そういえば、伝令がいったのは、上忍クラスの忍びだけか」
何事かこそこそと話し合ったホムラとコハルは、イルカの後方を指差した。
「あれじゃよ」
促されるままに振り向いたイルカは、目玉がこぼれると思うほど目を見開く。

「サ、サ、サクラ!!?」
上ずったイルカの言葉通り、『副賞』と書かれた札を額に付け、椅子に座らされているのは春野サクラだ。
口には猿轡をかまされ、両手は後ろで縛られて自由を奪われている。

 

「一体、何してるんですか!!」
「ただでさえ不穏なご時世。わざわざ火影に立候補する若者がいなくての」
「彼女を“副賞”として付けると言ったら、続々集まったぞ」
イルカの問いに、ホムラとコハルは軽快な笑い声を立てる。

「サ、サクラの意思は、どうなるんです!?」
「両親の了承は得た」
「全財産を没収して里を追い出すと言ったら、快く承知してくれたのじゃ」
「そうそう。物分りの良い両親で助かったの」
悪びれもせずに微笑み合うホムラとコハルに、イルカは一気に脱力した。
「自来也がツナデを見つけられなかったときの保険じゃ。まぁ、そう気に病むな」

 

何を言われても、イルカは二の句を継ぐことが出来ない。
里のご意見番である二人がこの調子では、火影を決める以前の問題のように思える。
“副賞”のサクラに釣られて火影に志願した忍び達のことを含め、木ノ葉隠れの里の未来を真剣に憂うイルカだった。


あとがき??
かいんさんからのリクエストは、「強いカカシ先生」。いかがだったでしょうか。(^_^;)
普段のらくらした駄文しか書いていないので、緊迫した場面は骨が折れました。
カカシ先生の相手をハヤテさんにしたのは、カカシ先生に刀を持たせたかったからです。それだけ。
ハヤテさん、もう亡くなっているらしいですが、うちではまだ生きてる設定です。

「強い」というといろんな意味があると思うのですが、私が書くとこんな感じ。
カカシ先生が一番強くあるのは、やはりサクラ(生徒)のためかと思いまして。
今まで全く書いたことが無かった戦うカカシ先生を書けて楽しかったです。
一番楽しかったのは、悪役カカシですが。(笑)

長らくお待たせして、申し訳ございませんでした。
55000HIT、かいん様、有難うございました。


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