狼さんとその獲物と子羊たち 6


病がちだった母が死ぬ12の頃まで、色町で暮らしていた。
父の名前は分からず、母も知らなかったことだろう。
行きずりの客の名前など、いちいち覚えていられるはずがない。
母はその店で一番売れっ子の妓で、見目麗しい女性だった。
始終客の相手をしている彼女とは滅多に顔を合わせなかったが、時間のあるときは甘いお菓子を自分に差し出し、優しく抱きしめてくれる。
優しい香りと温かな感触に、その瞬間だけは日々の寂しさなどどこかにいってしまった。
母は年を重ねてもどこか幼さの残る性格で、そうしたたおやかさが多くの客の心を掴んだのだろうか。
悲しいことに、その弱さにつけ込む者がいたから、彼女はここまで堕ちてきた。

昔、母の体には狼の耳と尻尾がついていたという話だ。
だが、親元を旅立ったその日にある人間の男に出会い、散々弄ばれた末に、捨てられた。
それまで狼だった彼女が一人で人間の世界に放り出されても生きていけるはずがなく、悪い人々に騙され続けてこの生き地獄にたどり着いた。
当然の成り行きだ。

耳と尻尾のついた亜人は、人と交われば完全な人間の体になれる。
だが、その逆は不可能だ。
戻りたくても戻れない、森での自由な生活。
気づくと窓の外ばかり眺めていた彼女は、何を思っていたのだろうか。

 

 

 

「人間が、嫌い?」

病の床に就く母に訊ねてみた。
詳しい医術の知識のない自分の目から見ても、母があと数日の命だと分かる。
やつれて枯れ枝のように細くなった手が、ゆるゆると動いて自分の手を握った。

外には雪が降っている。
まだ幼く、男である自分が客を取ることはなかったが、代わりに冬には辛い水仕事や薪割り作業を任されていた。
がさがさに荒れた掌を握る母は、自分を見つめて淡く微笑む。
自分の問い掛けに対する答えは聞こえなかった。
ただ、彼女の透明な笑顔が胸に染みこんで、涙が溢れる。

彼女なりに、自分を励ましていたのだろう。
苦しいはずなのに、自分を思いやって笑う姿が、いつまでも心に残った。

 

 

 

 

「何でサクラに手を出さないんですか?」

呼びもしないのに、頻繁にやってくるイタチにカカシは顔をしかめる。
茶をすするイタチの隣りには、彼に寄り添うように座るサクラが土産のドーナツを頬張っていた。
「俺なら絶対放っておかないんですけど」
「んー?」
肩を抱かれて引き寄せられたサクラはきょとんとした表情で狼の耳を動かす。
「・・・すぐ離さないと、叩き出す」
「はい、はい」
怒りを押し殺した低い声に、イタチは仕方なく手を離した。

「人間のことが嫌いなんだよ。だから、暫くそのままでいいんだ」
荒々しく告げられた言葉に、イタチは首を傾げる。
「サクラ」
「はい」
「人間が嫌いか?」
「ただの餌よ」
「俺やサスケのことはどう思う?」
「大好き!」

自分を見てにやりと笑うイタチに、カカシは不機嫌そうに眉を寄せた。
「サクラじゃない」
「・・・?」
「俺が、人間のことが嫌いなんだ」

 

 

清らかな心を持つ母を貶めた憎い人間。
母は許していても、自分はけして許せない。
昔から、伴侶を選ぶなら人ではなく、狼の娘と決めていた。
母と同じ種族の血が流れている者ならば、気を許すことができる。
わざわざ亜人が多く潜む森に家を構えたのも、好みの娘を探すためだった。

そして、母狼に手を引かれて歩く小さなサクラを見付けたのは、何年も前のことだ。
明るい桃色の髪にくるくるとよく変わる表情、人懐こい明るい笑顔に、一目で彼女だと直感する。
他人を素直に可愛いと思えたのは初めての経験だった。
あとは彼女の旅立ちの日に合わせて咲くよう花壇を作り、道筋に実のなる木を植える。
何か注意をひくものがあれば、サクラは自然とこの家に足を向けると知っていた。
そうして作った必然の出会いの罠に、サクラはまんまと引っかかってくれたのだ。

 

 

「目が覚めたとき、自慢の耳と尻尾がなくなっていたら、怒るよね・・・・」

イタチが帰るなり、ソファーに身を預けて居眠りをするサクラにカカシが囁きかける。
彼女を強引に自分のものにするのは簡単だ。
鋭い爪と牙は油断ならないが、方法はいくらでもある。
躊躇しているのは、サクラのことを心から大事に思っているから。
人となった彼女に恨まれることは、何よりも辛い。

ベッドに運ぶために抱え上げようとすると、サクラは無意識にしがみついてきた。
彼女が日々成長し、大人に近づいていることは柔らかな彼女の体からも伝わってくる。
いつまでこのままでいられるのか、カカシにもよく分からなかった。


あとがき??
何でこのシリーズ、暗い部屋に置かなかったのかと後悔・・・・。
狼は人より成長が早いし寿命も短いので、先生、早くしないと駄目なんですが。
サクラは今、人で例えるなら15歳くらいか?

書きたかったところはこれで全部書いたので、満足しました。
ラストは決まっているのだけれど、そこに行き着くまでのプロセスを全く考えていません。
というわけで、どうなるか私にも分からない。暗い部屋に移動するかも。
未完で終わる可能性も大。
長々と書いてしまいましたが、狼サクラのシリーズを唯一心待ちにしてくださっていたコフミさんに捧げます。(^_^)


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