近距離恋愛 2
町内会の会長を務める山田ハナ子(65)は、額に滲んだ汗を拭きながらその建物の階段を上っていた。
その世話好きな性格から、今まで彼女の尽力で結ばれたカップルはしめて99組。
記念すべき100組目となる(予定)カカシの縁談話にも自然と力が入るというものだ。
今日こそはよい返事をもらうまで帰らないと決意を固めている。
八方手を尽くして情報を集めた美女ぞろいだというのに、彼女にはカカシが見合いを断る理由が全く分からない。
もやはカカシのためというより、今までの仲人人生全てをかけての勝負のような気持ちの入りようだった。
「カカシさん、いるんだろーー!!」
チャイムにはまるで反応がなく、扉を乱暴に叩いてみると、中からバタバタとせわしなく動く音が聞こえてきた。
どうやら前のように居留守を決め込むつもりはないらしい。
少しばかり気をよくしたハナ子は扉が開くのと同時に強引に話を進めようとしたのだが、見事に機先を制された。
中から出てきた予想外の人物を、ハナ子は驚きの表情で見つめる。
「えーと、先生、じゃなかった、カカシさんは留守なんですけど・・・」
申し訳なさそうに、軽く頭を下げて話すのはハナ子の持っている見合い写真の女性よりも随分と年下の少女だ。
風呂から出たばかりなのか、濡れた桃色の髪からは雫が落ちている。
年齢は二十歳前後、ハナ子の頭の中の情報にないことから、別の地区の住人なのだろう。「あれ、山田さん?」
ちょうど帰宅したらしいカカシの声が背後から聞こえ、振り向いたハナ子は彼の目が徐々に見開かれていくのを意外な気持ちで見つめる。
ハナ子の前ではいつも隙を見せず、にこにこと笑って話を煙に巻いていたカカシだが、そうした顔も出来たらしい。
「サクラ!?何してるの」
「あっ、お帰りなさい〜。ご飯出来てますよ」
「いや、ご飯っていうか、その・・・・」
戸惑うカカシが返答に困っていると、ハナ子は意味ありげにウインクをしながら彼に向き直った。
「あんた、こんな可愛い彼女がいるんなら早く言いなさいよ。私ったらよけいな気を回しちゃったじゃないのさ。まぁ、よかった、よかった」
「はっ??」
「大事にしなさいよー。女の子泣かせたら、おばさん怒るからね」
「は、はあ・・・・」
バンバンと強く胸を叩かれ、カカシは小さく咳を漏らす。
何か誤解されていると分かったが、無理に否定してまた見合い話を持ってこられても面倒だ。
曖昧な笑みを浮かべてサクラへと目を向けると、彼女は不思議そうにハナ子とカカシを見比べている。
いろいろと問い詰めたいところだが、今はサクラが余計なことを言い出さないうちに家の中へと引っ込むのが得策のようだった。
「あのー、サクラ、どうやって家に・・・・」
「先生に内緒で合鍵作っちゃった」
イチゴ牛乳の紙パックを片手に、サクラは舌を出してテヘッと笑う。
さらには勝手に入浴までしているのだから、テヘッどころではなく、完全に犯罪だ。
「夕飯作ってあるから、許してよ」
「あーー・・・」
先ほどからいい匂いがすると思ったが、それが原因か。
カカシが帰る時間を狙った調理したのか、煮物や炒め物がテーブルに並び、すぐにも食べられるように準備されている。
腹の虫が鳴ると怒る気持ちも失せてしまった。
サクラが窃盗目的で進入するはずもなく、見られて困るような物もさして無いのだから、そこまで激昂する必要もない。「クーラー最高!もう、28度以上の部屋には住めないわ」
髪を乾かし終えたサクラはカカシが何も言わないのをいいことに自宅にいるかのようなくつろぎようだ。
「・・・・向こうの家に行けばいいじゃない」
「えっ?」
「一郎さんの家。豪邸なんでしょう」
カカシは棘のある言い方をしたつもりだったが、サクラはまるで気づかない。
「ああ、そうね。でも、こんな風に薄着でくつろげないんだもの。使用人とか大勢いて、どこにいても人目があるし」
「その家にもうすぐ嫁ぐんだから、なれないと駄目じゃない」
「・・・んん、まあ、ねぇ」
カカシから視線をそらすと、サクラはリモコンでクーラーの温度を一つ下げた。
また、だ。
結婚について聞き出そうとすると、とたんにサクラの歯切れが悪くなる。
そしてカカシは妙な違和感に苛まれるのだ。
「サク・・・・」
サクラの方へ向かって歩こうとして、カカシは何かを蹴飛ばした。
置いた覚えのない、数冊の本が足元に散らばっている。
「何だ、これ」
「ああ、それ、川中地方の資料。今度一郎さんと旅行するのよ。親も公認の婚前旅行ってやつ」
「へーー」
相槌を打つカカシだったが、思ったより暗い声が出てしまった。
数週間後には新婚旅行の予定が入っているというのに、ラブラブな二人は待ちきれないらしい。
「でも川中地方って、山ばっかりで随分と田舎じゃないの。リゾートっぽくないよ」
「いいのよ、そういう方が。私も一郎さんもアウトドア派だし、テントを持って移動するから」
「ふーん・・・・」
「じゃあ、先生おやすみ」
言うが早いか、サクラは抱えていたクッションを枕にしてソファーに横になった。
「えっ、ちょっと。何?」
「2時間したら起こしてよ。一郎さんと旅行のこといろいろと決める約束してるんだ」いくらなんでも、無防備すぎるのではないかと呆れてしまった。
カカシが脇に立っているというのに、サクラはすでにすやすやと寝息を立てている。
警戒心はゼロだ。
あまりに平和な寝顔に、頬をつねってやりたくなったが可哀想なのでやめておく。
我ながら馬鹿だと思うカカシだったが、やはりサクラは可愛くて憎めない。
「なんだかなぁ・・・・・」
床に座り込むカカシは、サクラの寝顔を眺めつつ考え込む。
まだあどけない表情のこの少女が近い未来に花嫁になるなど、今でも信じられない。
あまり想像できなかったが、すんなりと旅行の計画を立てているということは、許婚の一郎とすでに体の関係を持っている可能性もある。
「・・・・・」
誰か男の腕の中にいるサクラの図を思い浮かべるのは、精神衛生上よくないものらしい。
ひどく不快な気持ちになってしまった。
刺されたときのように胸が痛い。
日頃カカシがサクラに向けている感情は、あくまで上司と部下、または妹を慈しむ兄に近いと思っていた。
だが、これが肉親に抱くものであるはずがない。
知らずにサクラとの距離を縮めていたカカシは、彼女の唇にそっと口付ける。
夢の中にいるサクラは起きる気配もなく、安心しきった顔のままだ。
掌からはサクラの柔らかな胸の感触が伝わってきたが、カカシはせり上がってくる衝動を何とか堪えた。
ここでサクラに泣かれたら、たぶん一生自分を許せない。
「くそっ・・・・・」
目を覚まさないサクラにほっとしたのに、それと同じくらい憎しみを抱いた。
サクラから離れたカカシは、視界に入った旅行用の資料を苛立ちまぎれに破り捨てる。
結婚式は二週間後。
誰かに渡したくないなどと今頃気づいても全ては遅いのだ。
あとがき??
あやうく年齢制限がつくところでした。あぶない、あぶない、あぶない。
3を書く前にサクラ視点の番外編が出来上がるかも。
終わりは決まっているけど、その間を考えていない。どうしよう。