あいつにだけは譲れない
年が14も離れている。
保健医と女学生。
彼女の想いはただの年上男性に対する憧れ。
自分でなくても、身近にいる優しい人間なら、誰でも良かったのかもしれない。
二人を隔てる様々な要素を考えているうちに、カカシは段々と悲しくなってしまった。
それだけ、サクラに心を奪われているということだろうか。「苦しいよぅ・・・・」
保健室の机に突っ伏したカカシは、泣きたい気持ちでため息をつく。
誰かを思って切なくなるなど、思春期の頃に感じて以来だ。
学生達に囲まれて生活しているため、精神的に青臭くなってしまったのだろうか。
目をつむると、瞼に浮かぶのは桃色の髪の少女。
笑顔で「カカシ先生」と呼ばれると、春風に触れたように心地よくなる。
あの子が欲しかった。
「カカシ先生」
夢や幻ではなく、実際に耳に届いた声に、カカシは弾かれたように体を起こす。
戸口に立っていたのは、悩みの原因である少女と彼女のクラスの担任だ。
「居眠りですかー?」
「いや・・・・どうしたの」
頭をかきながら訊ねると、サクラは少しだけ表情を曇らせて傍らを見やる。
「イルカ先生が怪我をしたから付き添いです」
「いや、たいしたことないんですよ。ナルトが飛びついてきて、ちょっと階段で転んだだけですから・・・」
「先生ってば、ちゃんと診てもらわないと駄目ですよ」
イルカの腕を引っ張るサクラは、話しながら心配そうに彼の顔を覗き込んだ。
どうやら、渋るイルカを彼女が無理やり保健室まで連れてきたらしい。カカシが調べると足首を少しひねっていたが骨には異常がなく、湿布を貼れば済む怪我だった。
「今日はちょっと腫れちゃうかもしれないけどね。ま、平気だよ」
「良かった〜〜」
カカシの診察結果を聞いて安心したサクラは、勢いでイルカの背中に飛びついた。
椅子に座る彼はカカシの目を気にしたのか、恥ずかしそうに頬を染める。
「おいおい、ナルトもサクラも、人の顔を見るとひっついてくるんだから」
「だって、先生はクラスのアイドルだもの」
えへへっと笑うサクラは、反省した様子もなく、彼にくっついたままだ。
温和で優しいイルカはサクラの言うとおり生徒達の間でダントツの人気を誇り、彼の周りには常に人の輪があった。
それが日常であっても、サクラに恋をする保健医の立場として、カカシには非常に面白くない光景だ。
「イルカ先生、そろそろ次の授業が・・・・」
「ああ、じゃあ行くか」
「ちょっと待ってください」
入ってきたときと同様に、サクラの肩を借りて保健室を出て行こうとしたイルカをカカシが引き止める。
「カカシ先生?」
「イルカ先生に話があるんだ。サクラ、先に教室に戻っていて」
「はい・・・・」
不思議そうに首を傾げながらも、サクラは言われたとおりに廊下に出て行く。
そして、「なんですか?」と訊ねるイルカに、カカシは人差し指を突きつけて言った。
「あなたには、負けませから!!」
「・・・・・・えっ?」
突然のカカシからの宣戦布告に、イルカは訳がわからず目を白黒とさせる。
そして、湿布を貼った方の足を蹴飛ばされ、声にならない叫び声をあげた。悩むのは止めだ。
うかうかしていると、自分とそう年齢の変らない教師に奪われれるかもしれない。
それならば、どんな罰を受けることになろうとも正直に生きた方がマシというものだった。
屋根に登って僕らだけの星を見つけよう
猫がいた。
飼っていたわけではないが、たまに庭先にやってきて、餌を強請る。
サスケがパンや小魚を分けると、嬉しそうに飛びつく猫。
一人暮らしなため、多く買いすぎて持て余した食材ならばいくらでもあった。
家族が事故で死んで以来広い家に一人きりで住むサスケは、時間があると、待つともなしに庭を眺める。
気ままな猫は、サスケが望んだときに不思議と姿を見せた。
「何か、動物を飼っているの?」
庭にあった、猫用の皿をサクラは目ざとく見つける。
「たまに猫が来る」
「そうなんだ」
庭で蹲るサクラは周囲を見回したが、それらしい姿はない。
サクラは度々うちはの家に顔を見せるが、猫とはいつも入れ違いだ。呼びもしないのにやってくるサクラは、段々と家にいる時間が長くなった。
それに反比例するように、猫が庭に姿を見せる回数は減っていく。
サクラと猫。
サクラが猫。
サスケは二人が一緒にいるのを見たことがない。
「どこに行っちゃったのかなぁ、猫ちゃん」
日のあたる縁側で蜜柑を食べるサクラは、肩を落として呟く。
動物好きなサクラはうちは家に入り込む猫との対面を心待ちにしていた。
しかし、猫は最近では全く気配を感じない。
また、猫は自らの死期を悟ると姿を消すと言われている動物だ。「きっと、死んでる」
「えっ・・・」
サスケの何気ない一言に、サクラは蜜柑を一房取り落とす。
そして、サクラの瞳には見る間に涙の滴が盛り上がった。
話に聞いていただけで、見たこともない猫だ。
まさか泣かれるとは思わなかったサスケは、この状況を打破するために必死に考え始める。
「猫は星になったんだ」
苦し紛れに、サスケは思いつくままの言葉を口にした。
人は死んだら星になると、誰かが言った気がする。
それならば、他の動物も同じことだろう。
おずおずと様子を窺うと、サスケの気遣いを感じたのか、ハンカチで目頭を抑えたサクラは微かに微笑む。
「じゃあ、夜になったらどの星か見つけなきゃね」
「・・・ああ」心のままに、笑って、泣く、サクラ。
すぐに感情を抑え込んでしまうサスケとは正反対だ。
もうサスケが猫を心待ちにすることはない。
たぶん、寂しくなくなったから、いなくなったのだと思った。
聞かなかったことにさせてくんない?
近頃、またしてもサクラの様子がおかしい。
ふと気づくと、何か思い詰めた表情で考えごとをしている。
心配になったナルトが訊ねても、サクラは困ったような笑顔で「何でもない」と言うのだ。
大好きなサクラの変調に、ナルトが不安にならないはずがない。
そして、「めんどくせー」と言われつつも、さぼった授業の代返を請け負うことで、ナルトはシカマルにある頼みごとをする。
いのと幼なじみで、一番仲が良いと思われるシカマルならば彼女の周りをうろついてもさして不審ではない。
だが、ターゲットは厳密にはいのではなく、彼女と行動を共にすることの多いサクラの方だ。
「ナルトには、もう話したのー?」
「・・・・まだ。だって、あの子絶対「嫌だ」って言って泣くもの」
「そりゃそうよねー。毎日あれだけサクラにベッタリなんだから」
いのはからからと笑う。
「でも、早く言った方がいいわよ。よけいにナルトを傷つけるわ」
「うん・・・・」
歯切れ悪く答えたサクラは、大きなため息をつく。
「どう言ったらいいのかしら」
いのとサクラの会話を録音したテープはそこで途切れる。
スイッチをオフにしたシカマルは、録音機を鞄へとしまい込んだ。
「ま、こんな感じだ。俺が後ろにいることに気づいてすぐ別の話題になっちまったが、お前に関する会話はこれだけだったぞ」
「・・・・・早く言った方がいいって、何のことだと思う?」
「別れ話」
シカマルが推測をそのまま伝えると、青い顔をしたナルトは机に泣き伏した。
ナルトにもそう聞こえたのだが、第三者の意見も同じらしい。「聞かなかったことにさせてくんない?」
「そりゃ構わないが、サクラ、もう来てるぞ」
教室の隅でナルトとひそひそ話をするシカマルは、戸口に立つサクラを親指で指し示す。
ナルトが振り向く前に、彼の姿を見つけたサクラはすたすたと歩いてくる。
そして、ナルトの眼前に立ったサクラは威厳高に言った。
「ちょっと話があるんだけど、今、いい?」死刑を言い渡された囚人のような気持ちで、ナルトは彼女の顔を見つめる。
いくらナルトが好きでも、相手の気持ちが冷めてしまったのなら、どうすることも出来ない。
始まりがあれば、終わりもいずれ訪れる。
そのことを今までの人生の中で初めて強く意識したナルトだった。
「捨てないでーーーー!!」
せめてサクラの負担にならないよう、彼女の言うことを黙って呑み込もうと思ったナルトだったが、その決意はもろくも崩れ去る。
どんなに嫌われても、煩わしいと思われても、サクラのそばにいたかった。
「何でもするから、それだけはやめてーーーー!!!」
「ちょ、ちょっと、何の話よ」
人気のない場所にやってくるなり、突然ナルトに泣きつかれたサクラはわけが分からず目を丸くする。
「他に好きな男が出来たんでしょう。いいよ、そっちと付き合っても。でも、俺にも時々会う時間を頂戴。お願い、サクラちゃんがいないと生きていけないよ!!」
戸惑った様子のサクラを無視して、ナルトは矢継ぎ早に続けた。
それでもまだ、サクラはきょとんとした顔で首を傾げている。「何のことよ?」
「別れ話、するつもりだったんだろう。何だかサクラちゃん、最近素っ気なかったし・・・・」
会話を録音したことは伏せ、涙を袖口で拭うナルトは悲しげに彼女を見つめた。
事情を理解したサクラは、「うーん・・・」と唸り声をあげてナルトから視線をそらす。
「当たらずとも遠からず・・・・」
「何、それ」
「私、アメリカに留学することになったの。3ヶ月」
「へっ?」
「交換留学ってやつね。うちの姉妹校がアメリカにあるでしょう?私の代わりにアメリカの学生がこの学校で3ヶ月勉強するのよ」
寝耳に水の話に、ナルトは目と口を大きく開けた。
サクラが自分と別れるつもりがなかったことには安心したが、アメリカは遠い。
「嫌ーーーー!!3ヶ月もサクラちゃんに触れないなんてーー、耐えられない!」
「言うと思った・・・・・」
ナルトに抱きすくめられたサクラは、眉間に皺を寄せて呟く。
「きっと外人のボーイフレンドを4、5人連れて帰ってくるんだ!俺のことなんて忘れて、アメリカでエンジョイするんでしょうー!!」
「勉強のために行くんだってば・・・」