いつだって私ばっかり
滅多に外に出ず、眼鏡にマスクという怪しい風貌のカカシのいる保健室は、サクラがいつ行っても閑古鳥だった。
女子生徒がちらほらと入っていくようになったのは、ほんの数日前からだろうか。
怪我をしてやってきた女子生徒をカカシが治療したのがきっかけで、実はいい人で男前らしいという噂が流れた。
保健医として当然の仕事なのだが、それまで近寄りがたい存在と思っていただけに、よけいに善人に見えるようだ。
少々面白くない気持ちのサクラは、保健室から女子の声が聞こえてくるたびに気になって様子を窺うのが日課になっていた。
「な、な、何やってるのよ先生―――!!!!」
扉を開けるなり、カカシがクラスメートの女子生徒と顔を急接近させる場面を目撃したサクラは思わず絶叫していた。
「えっ・・・・」
眼鏡を掛け直して振り向いたカカシは、サクラと目が合うとにっこりと笑う。
「ああ、サクラ。この子が熱っぽいっていうから、どんな具合かと思って」
「ひ、額を合わせて確認したりしないで、体温計を使えばいいじゃない」
「どっかいっちゃったんだよねぇ・・・・」
保健医にあるまじきことを言うカカシの前を素通りし、サクラは右端の棚から体温計を取り出す。
散らかし放題だった保健室を綺麗に整頓したのはサクラなのだから、備品の位置ならほぼ頭に入っていた。「はい!」
「あー、有り難う」
カカシは礼を言って体温計を受け取ったが、それまでカカシと楽しそうに話していた女子生徒は頬を膨らませている。
「・・・先生、サクラと随分仲がいいんですね」
「え、そう見える?」
頭をかいたカカシは、何故か嬉しそうに顔を綻ばせる。
「実はサクラにずーーーっと片思い中なんだ。なかなか振り向いてくれないから、大変だよ」
「・・・・・」
唖然としたのは、サクラもその女子生徒も一緒だ。
それから彼女はそそくさと保健室から出ていったが、大きく伸びをしたカカシをサクラはじろりと睨め付けている。
「よーやく静かになったねぇ。何だか最近忙しくて、昼寝をする暇がなかったんだー。良かった、良かった」
「・・・・私をだしにして休憩しないでくださいよ」
「サクラーー」
サクラの言葉は耳に入っていないようで、カカシは彼女を手招きした。
「えへへ、スキンシップー」
「・・・・・」
腕を引かれたサクラは、簡単にカカシの腕の中に収まった。
先程見た光景から考えて、サクラにも他の女子生徒にも、カカシは似たようなことをしているのだ。
そう思うと、サクラは腹立たしくてしょうがない。
自分だけ一生懸命にカカシを想っているようで、随分と不公平に感じてしまう。「・・・・先生、風邪でもひいてるんですか?」
「えっ、健康体だけど、何で」
「でも、何だか凄く鼓動が早いような。熱があるんじゃないですか?」
胸に片方の耳を押し当てたサクラが怪訝そうな声を出すと、カカシはくすくすと笑い声をもらした。
「さて、どうしてでしょう?」
モスかケンタかなんてことは関係ない
前を歩く女子の鞄から、タオルハンカチが落ちる。
そのまま踏みつけるわけにもいかず、屈んで拾うと、サスケは彼女の肩を叩いて振り向かせた。
「さ、サスケくん・・・・」
名前は覚えていないが、何度か教室で見かけた顔だ。
「有り難う」
消え入りそうな声で礼を言った彼女は、頬を染めて俯いていた。
昔から女子に声をかけると、これと全く同じような反応をされる。
サスケが相手の顔を真っ直ぐに見つめただけで、大抵の女子はあがってしまって喋らなくなるのだ。
だから、サスケは長い間女という生き物は会話もまともに出来ないつまらない生き物だと思っていた。
「モスの方が好きなデザートメニューが豊富なのよねーvv」
ケンタかモスか散々もめた末、自分の意見を通して店を選んだサクラは満足そうに小豆を頬張る。
『玄米フレークシェイク 抹茶小豆』はサクラのお気に入りの一つだ。
カウンター席で横に並ぶサスケは、大きな口を開けて黙々とスプーンを動かすサクラを呆れてみていたのだが、それに気づいた彼女は怪訝そうな表情になる。
「・・・何、サスケくんも食べたいの?」
「いや、俺は別に・・・」
「抹茶風味の白玉。絶品だから」
有無を言わせずスプーンを口元に持ってこられ、サスケは何となく逆らえずそれを食べる。
「・・・・・」
「ねっ、美味しいでしょうーvv」
サスケは微妙な表情だったが、一人で納得して頷くサクラは再び『玄米フレークシェイク抹茶小豆』に向き直った。「うっ・・・・・」
突然サクラがしかめ面になり、みるみるうちに瞳に涙が滲みだしたのはその直後だ。
「何だ?」
「し、舌、噛んだ・・・・・」
先程まで満面の笑みだったサクラは、ボロボロと涙をこぼし始めた。
全く忙しいことだと思うが、喜怒哀楽がはっきりと出るサクラは見ていて飽きることがない。
もしサクラが他の女子のように自分に遠慮していたらと考え、何だか無性に寂しい気持ちになる。
ケンタに行く予定をモスに変えられてしまっても、小豆付きの白玉を食べさせられても、サクラは今のままでいて欲しかった。
「痛い・・・ううー・・・・うぇ、えええ!?」
腕を引かれたかと思うと、近くにあったサスケの顔にサクラは甲高い声をあげる。
思わず目をつむったサクラは、頬を撫でた柔らかな感触に体を震わせた。
「甘い・・・・」
サクラの頬についたシェイクが取れたのを確認し、眉を寄せたサスケはコーラを口にふくんだ。
舐め取ったシェイクの味はすぐに無くなったが、よくこんな物を好き好んで食べるものだと心底感心する。
「まだ痛いか?」
「・・・・そんなのどっかいっちゃいました」
夢心地のサクラは、掌を胸の前で組み、ぼんやりとした眼差しのまま首を振った。
やわらかそうなその髪に触れてもいい?
ナルトが初めてサクラに出会ったのは、桜が満開に咲き誇る入学式だ。
友達と喋りながら通り過ぎたサクラを、思わず目で追いかけたのを覚えている。
表に咲く花と同じ、柔らかな桜色の髪。
弾んだ声と明るく微笑む横顔が印象的だった。
それを一目惚れと呼ばれる感情だと知ったのは、ずっとあとになってからだ。優等生のサクラと地の底を這う成績のナルトでは接点など出来るはずもなく、遠くから彼女を眺めるだけの日々が続いた。
満足に髪をとかすこともなく登校するナルトと違い、サクラはいつでも綺麗に身支度をしている。
サクラの周りの空気まで浄化されているようで、そばに行きたいと思うのに、近寄りがたかった。
イルカが放課後居残って勉強するナルトの教師役にサクラを指名したのは、ほんの偶然だ。
まさか二人がそれをきっかけに付き合い出すとは、イルカは思ってもみなかったにちがいない。
「サクラちゃん、そろそろ昼休み終わっちゃうよ」
「・・・・んー」
屋上にある給水タンクの陰で横になっていたサクラは、瞼を擦りながら小さく呻き声をあげる。
昨夜は遅くまで推理小説を読んでいたらしい。
いつもはサクラがナルトの膝枕をするのだが、今日は逆だ。
自分の太ももの上にあるサクラの頭を、ナルトはぼんやりと眺めた。
さらさらと流れるサクラの髪からはよい香りがしている。
手を伸ばした瞬間に、薄く目を開けたサクラと目が合い、ナルトは少し躊躇いながら訊ねた。「髪に触っても、いい?」
「いいわよ・・・。どこでも好きなところを触って」
寝ぼけ眼のサクラの言葉があまりに気前が良かったから、ナルトは逆に怖くなる。
「・・・・見返りは?」
「いらない。私もナルトに触りたくなったら勝手に触るから・・・」
ナルトがサクラの頭を撫でると、彼女は気持ちよさそうに目を細める。
憧れの人とこうして触れ合える時間を共有出来るとは、入学したての頃は考えもしなかった。
夢ならば、永遠に覚めずにこうしていたい。
「私ね・・・ナルトを初めて見たとき、髪に触りたいなぁって思ったの・・・・・」
「えっ」
「太陽の光が当たって、キラキラして、凄く凄く綺麗で・・・・ずっと」
段々と緩やかになったサクラの声は、やがて空気に溶けて消えていった。
すやすやと寝息が再び聞こえ始め、授業開始のチャイムが鳴っている。
青空の下、サクラの寝顔を見つめるナルトの口元には、自然と笑みが広がっていた。
「俺もだよ、サクラちゃん」