半身


「4番地の角にある電話ボックスだ」

「ラジャー」の返事と共に、トリニティーは通話を終える。
その日もまた、無駄足だった。
マトリックスに侵入しての救世主の探索を使命とするネブカドネザル号のクルーだが、その成果は全く上がらず、皆の間に苛立ちが見え隠れしている。
トリニティー自身、こうして一人での手ぶらの帰艦に焦る気持ちがあった。
救世主さえ見つかれば、戦いは終わる。
預言者の言葉だけが、救いの日々だ。

 

いつ終わるともしれない戦いの毎日で、トリニティーが思うのは、「帰りたい」ということ。
「どこへ?」と問われても、分からない。
ただ、いつでも願っている。

常にそばにあるネブカドネザル号のクルーはトリニティーにとって家族同然の存在で、兄のように慕うゴーストもいた。
だけれど、彼らはあくまで仲間であって本当の家族ではない。
ザイオンに戻った際、タンクやドーザーがそれぞれの家庭に帰っていくのを、トリニティーは羨ましく感じてしまう。
今となっては、仮想現実の世界で築いていたように、血を分けた肉親との交流を持つのはどうしても不可能だ。
それなのに、共にあるだけで安らげる、何の気兼ねもいらないあの空間に「帰りたい」と思う自分がいる。

 

 

歩みを進めながら考え事をしていたトリニティーは、迫り来る危機に全く気づいていなかった。
「危ない!」という声が聞こえなければ、とっさに体をひねることは出来なかっただろう。
飛んできた野球ボールはトリニティーの体をかすめて街路樹にぶつかった。
転がったボールを拾ったトリニティーは、空き地へと目を向ける。
「ごめんなさい。怪我はないですか?」
走ってきたのは野球のグローブを持った青年だ。
空き地に残る数人の子供が不安げにこちらを窺っているところを見ると、彼が少年野球のチームのコーチなのかもしれない。
「平気よ。私にはあたらなかったし」

ボールを手渡して彼の顔を見上げたトリニティーは、ふと感じた既視感に、眉を寄せた。
そうして彼女が疑問を口に出す前に、訊ねられる。
「どこかで会ったこと、ある?」
「・・・いいえ」
顔を見合わせたが、お互いまるで見覚えはない。
「コーチをしているの?」
「ああ、大家さんの息子のチームなんだ。休日は暇だって言ったら、ちょっと練習を見てくれって言われて」
照れ笑いをして頭をかく青年に、トリニティーは微笑を浮かべる。
「いい人ね」
「いや、そうでもないよ。たまたま時間があっただけだし、子供達の笑顔を見るのは嬉しいからね」
ボールを握り直すと、青年はトリニティーににっこりと笑いかけた。
「幸せは一人じゃ味わえないものだから」

 

その瞬間、トリニティーの持つ携帯電話がけたたましく鳴り始めた。
出ずとも、彼女を呼び戻すための電話だと分かる。
回線の繋がる時間が、迫っているのだろう。
「さようなら」
声と同時に駆け出したトリニティーを、青年は長い間見つめ続けていた。

 

 

 

 

「どうしたんだ、ボーっとして」
肩を叩かれたトリニティーは、ハッとして振り返る。
「あ、ごめんなさい」
「別に謝らなくていいけど、モーフィアスがみんなを集めろって言ってるんだ」
「分かったわ」
船の休憩室で茶を飲んでいたトリニティーは、タンクと共に船橋へと向かう。

前回のマトリックスへの侵入以来、彼女は以前よりぼんやりとしていることが多くなった。
時間があれば、いつものように「帰りたい」と思う。
そうすると、何故か一度会っただけのあの青年の顔がトリニティーの頭に浮かぶのだ。
彼の瞳を見たときに感じた、不思議な懐かしさ。
もっと話がしたかったと思うが、名前も住所も分からないのでは叶うはずもない。

 

「新たに救世主と思われる人物が見つかった。ハンドルネームはネオ。取り敢えず、顔だけでも確認してくれ」
集合した皆の顔を見回したモーフィアスは、重々しい口調で言った。
大きな画面に映し出されたのは、現在マトリックスで生活している救世主と目されている人物だ。
その青年の姿を一目見るなり、トリニティーは思わず面を伏せた。
「・・・どうした?」
「何でもないわ」
傍らにいたタンクが、俯くトリニティーを怪訝な表情で見ている。
だが、抑えようとしてもトリニティーの笑顔はなかなか消えなかった。

 

 

初めて出会った、「帰りたい」と思えた人。
懐かしかったのは、また会えると知っていたからかもしれない。


あとがき??
『ぼくの地球を守って』が元ネタですね。
でも、実際に運命の人には、必ず再会できるそうですよ。
ネオが少年野球のコーチをしているのは、思い切り『陽だまりのグラウンド』の影響。(笑)
ネオの台詞は、また別の邦画からですが。
新しい環境で、一から人間関係を築いていくのは大変なんじゃないだろうか、と思った話。


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