あなたのとなり
長い、夢を見ていた。
地球という、侍の住む平和な町に暮らしている夢を。
瞳を開けた神楽は、天井の木目を暫しの間瞬きもせずに見つめ続けた。
これが現実であることを、しっかりと自分に言い聞かせるために。
「お粥が出来たアルヨー」
お盆を片手に襖を開けた神楽は、青い顔で布団に横たわっている母親に声をかける。
生来不器用な神楽は食事を作るのも四苦八苦だが、他に家事をしてくれる家族はいない。
多忙な父が帰ってくるのは数ヶ月に一度、母は病で寝つき、兄はとうの昔に家を出た。
「今日は卵をいれたアル」
美味くはないが、食べられないことはないという粥を、神楽は半身を起こした母親の口元に持っていく。
微笑を浮かべて頷くものの、器の粥は半分も減らなかった。
近頃めっきり食欲のなくなった母親を見るたびに、神楽は無性に泣きたい気持ちになる。
だが、彼女を悲しませないためにも、この場所で涙を流すことは絶対に出来なかった。母親が寝入る時間を見計らって外に出ると、昼間でも厚い雲に覆われた暗い町がより神楽の心を滅入らせる。
「パピー・・・・」
傍らを見ても、神楽の手を引いてくれる大きくて暖かな掌はどこにもない。
父親とは、家と病身の母親を守ることを約束している。
それならば、こうして心細い思いをしている自分のことは、一体誰が守ってくれるだろう。
毎日毎日、いつ帰るとも知れない父親を待ちながら、神楽はターミナルと自宅を繋ぐ道をうろついた。
途中、些細な諍いから、町のごろつきを叩きのめしたことは数え切れないほどある。
すっかり目を付けられた神楽が往来で襲われるのはいつものことだ。
銃で撃たれても、刀で斬られても、神楽には致命傷にはならない。
やくざ者に言いがかりを付けられた親子連れを助けたこともあったが、神楽の驚異的な強さを見た彼らは、むしろ彼女の方を恐れた。
近所の住人達は神楽の顔を見ると隠れるようにしていなくなる。
親切めいた顔で近寄って来るのは夜兎の力を求める悪人か、幼女目当ての変態か。
「化け物!」
ぼんやりと歩く神楽は、暴言と共に投げられた小石を避けられずに、額に衝撃を受けた。
混乱するまま痛む場所へ手をあてると、濡れた感触がある。
電柱の影から神楽を睨んでいるのは、長屋に住んでいる同じ年頃の子供達だった。
両親から夜兎についての悪い噂を聞かされている彼らは、神楽を得体の知れない生物のように思っているらしい。「お前達親子は、人間の肉を食べるって聞いたぞ!!!」
「ここから早く出ていけ!!化け物!」
「かーちゃんが病気なのも、悪いことをしてきた罰が当たったんだろ!いい気味だ」
次々と根も葉もない罵詈雑言が浴びせられるが、神楽は石つぶてを傘で防ぐくらいのことしか出来ない。
まだ力の加減の出来ない神楽がもし彼らを突き飛ばせば、普通の子供の体は簡単に壊れてしまう。
不注意から殺してしまったペットの面影が頭をよぎり、神楽は滲んできた涙を歯を食いしばって何とかこらえた。
あれ以来、神楽は自分より小さな生き物を極端に恐れている。
もう、誰の命も奪いたくないのだ。「やめて、もうやめてヨ・・・」
悲しげに呻く神楽は、なおも自分を責める声に耳を防ぎながらその場に蹲った。
苦しくて苦しくて、息が詰まりそうだ。
化け物ではない。
治りが早くとも血が出れば痛みを感じ、悪口を言われれば傷つく、普通の人間だと声を大にして言いたかった。
どの星に逃げても、人々の悪意のこもる冷たい視線は変わらない。
異邦人である夜兎の一族に、安住の地など存在するはずがないのだ。
「おいおい、男がよってたかって、女の子をいじめてどーする」
ふいに、明るい、日差しが差し込んだように感じられた。
実際には空は曇り、じめじめとした湿った空気はそのまま周囲を覆っていたが、それでも神楽はその光をはっきりと確認したのだ。
「大丈夫か?お前なら、それぐらい何ともねーだろ」
座り込んだままの神楽に、少し屈んで目線を合わせる彼はぶっきらぼうに訊ねる。
乱暴な言葉づかいでも、彼女を見つめる眼差しは優しかった。
どこかで見た顔だと思ったのだが、喉元まで出かかって、その名前が思い出せない。「帰るぞ」
差し出された手に掴まり、神楽はゆっくりと立ち上がる。
大きくて暖かな、神楽が望んだままの掌。
放浪の旅の末に見つけた、神楽の大切な居場所だ。
「銀ちゃん・・・」
「おーよ」
ソファーに座ってTVを眺めていた銀時は、神楽の呼びかけにすぐに返事をした。
床に横になる定春の体を枕に、居眠りをしていた神楽は目をぱちくりと瞬かせる。
「んだ、寝ぼけてるのか?」
怪訝そうに振り返った銀時を見たあと、神楽は壁にかけられた時計へと目をやった。
万事屋のメンバーが一人足りなかったが、夜の10時ならばすでに彼が家に帰っている時間だ。「銀ちゃん」
「い、イテテテテテッ!!な、何やってんだ、てめーは!!!」
近づいてきた神楽に突然頬をつねられた銀時は、怒鳴り声をあげてその手を振り払った。
「・・・嫌な夢を見たアル」
「確認したいなら、自分の頬をつねればいいだろ!!あほんだら」
神楽の額を小突いた銀時は、再びTVに向き直り、リモコンでボリュームをあげていく。
一応、眠ってしまった神楽を気遣って、音を小さくしていたのだろう。
暫く銀時と同じようにTVを眺めた神楽は、賑やかな音楽を聴きながら、ようやくこの世界が現実であることを実感し始めた。「ちょっと、出かけてくるアル」
「えっ、おい、こんな時間にどこ行く気だよ」
玄関に向かう神楽は、小銭の入ったポシェットを肩に掛けてにっこりと笑う。
「酢昆布がなくなったネ」
「駄菓子屋は閉まってるだろ」
「今度、近くのコンビニでも置いてもらうように頼んだアルヨ。ちょっと様子を見に行って来るネ」
外に出ると、階下のスナックは大いに盛り上がっているようで、カラオケの音が聞こえてきた。
町の様子も故郷とは違い、顔を上げれば瞬く星がかすかに見える。
深呼吸した神楽は、冷たい夜の空気を胸一杯に吸い込んだ。
ここは地球、先ほどの出来事は夢で、自分を追い出そうとしている人間はいない。
自然と顔を綻ばせた神楽だったが、ふと耳を澄ますと、彼女と同じ速度で歩く者の足音が聞こえた。
思えば、昔住んでいた地域ほどではないとはいえ、飲み屋の並ぶこの辺りは新聞に載る事件が何度か起こっている。「誰アルか!!!」
「お前ね、今、子供が出歩く時間じゃないんだよ。ふらふらすんなっての」
「・・・銀ちゃん」
威勢良く呼びかけたものの、電灯の下まで来た影の主が銀時だと分かると、神楽の肩からすぐに力が抜けていった。
「ロリコンとかポリゴンとか、変な事件が多いんだからな。俺がいないときは外に出るなよ」
面倒くさそうに言うと、銀時は神楽の首に持っていたマフラーを巻き付ける。
神楽にねだられて買ったというのに、そそっかしい彼女はいつもこれを忘れていくのだ。
「おい、コンビニ行ったらすぐかえ・・・・・・神楽?」
異変に気づいた銀時は、目を見開いたまま、暫く声が出なかった。
「な、何だよ、腹でも痛いのか?」
慌てる銀時に首を振って応える神楽だが、涙はその間も流れ続けている。
ただの、子供。
銀時の隣りでは、神楽は宇宙最強の種族でも、化け物でもなく、夜道を歩くことが心配な子供で、女の子だ。
そのことが、言葉では表現出来ないくらいに嬉しい。
今までずっと我慢していた分、心にためていた涙はいつまでも止まってくれそうになかった。
あとがき??
私の思い描く銀神の理想って、こんな感じです。
辛い思いをさせて、ごめん、神楽ちゃん!!!