過去
「どこか、旅にでも出るんですか?」
書類に目を通していた山南は、ふと顔を上げて訊ねる。
山南は試衛館時代からの近藤達の仲間で、役職にはついていなかったが、真選組の第二の副長ともいえる存在だ。
「鬼」と呼ばれて恐れられている土方とは違い、明るく温和な人柄で誰からも慕われている。
当然、近藤の信頼も厚かった。
「何でそう思う?」
「いえ、このところあれこれと仕事の引継ぎをしているじゃないですか。上からのお達しで屯所を留守にするのかと・・・」
瞳にほんの少し不安の色を滲ませた山南に、土方は苦笑いで応える。
「俺がいなけりゃ、とたんに怠けるような奴らばかりだろ。旅に出る予定なんてねーよ」
「そうですか」
ほっと息をつく山南から、壁にかかった時計へと目を移すと、土方は脇に置いた刀を持って立ち上がった。「ちょっと出かけてくる。あとはお前達だけで出来るだろ」
「お気をつけて」
山南が軽く頭をさげると、同じ部屋にいた隊士達もそれに続いた。
「副長、最近外出することが多いんですよね・・・・」
山崎が口を開いたのは、廊下を歩く土方の足音が完全に遠ざかってからだ。
一度お供をしようしたら、小遣いを渡されて遠ざけられた。
下っ端の隊士達には内緒で大きな反政府組織を追っているのかとも思ったが、近藤の落ち着いた様子を見る限り、そうしたことはないらしい。「どこかに、いい人でも出来たんじゃないですか」
「えっ、土方さんに女ですか!?」
山崎が驚きの声をあげると、その場にいた一同は自然と忍び笑いを漏らす。
もてるようだが、彼が極度のマヨ中毒と知るとどの女性も逃げ出してしまうのだ。
そして、内でも外で難しい顔をしている彼が、女性の尻を追いかけている姿というのも想像できなかった。
皆が苦笑いで顔を見合わせる中、山南だけは真面目な表情で書物を眺めている。
「天上に住まう細工師がノミを振るったかのようなあの顔の造作。いない方が不思議じゃないですか」
そのときは本気にしなかった山崎だったが、考えてみると、山南の言うことも最もだ。
平の隊士とは違う重責を担う土方には、心の拠り所となる存在が必要なのかもしれない。
山崎達がどう頑張って支えても、やはり女性特有の細やかな心配りには及ばないのだろう。
「どんな人なのかなぁ・・・・」
近頃、土方の一人外出の頻度は増しており、ふとしたときにぼんやりしている姿をよく見かけた。
それもこれも、思い人がいると思えば説明がつく。
おそらく土方の目にかなうような美女で、彼と同じく真面目な性格で、武士の妻にふさわしい貞淑な・・・・。勝手に想像を膨らませながら市中を歩いていた山崎は、角を曲がってやってきた二人連れを見るなり、はっとして立ち止まる。
片方は今、丁度考えていた相手である土方、そしてもう一人は、彼の天敵であるはずの万事屋のチャイナ娘だ。
何か悪さをして補導したのかと思ったが、土方は私服の着流し姿で、神楽も神妙な顔つきだった。
ただならぬ空気を感じ取った山崎は、とっさに電柱の陰に隠れ、人込みに紛れて二人のあとを追う。
そして、二人の入っていった建物を確認するなり、その場で卒倒しそうになった。
若い男女が密会に利用するという出会い茶屋。
出入り口の前で仁王立ちする山崎は、口をあんぐりと開けたまま如何わしい茶屋の看板を見つめ続ける。
美人で貞淑という土方の恋人像が音を立てて崩れ、今まで生きてきた中で、一番衝撃的なものを目撃してしまった気がした。
「もう寝た方がいいアルヨ」
「・・・眠れねーんだよ」
「じゃあ、目だけつぶっておくね」
苦しげな息をして横たわる土方の瞼に手をやり、神楽は無理やり彼を寝かしつける。
路地裏で、初めて血を吐く土方を見つけたときも神楽は冷静だった。
母親が同じ病だったため、一目で悟る。
労咳だ。
特効薬はなく、空気の良いところでゆっくりと過ごせば完治する可能性もある。
だが、彼は真選組を離れることを拒み、誰にも内緒で一人苦しみにのた打ち回っていた。
完全に治る方法があるならまだしも、死ぬ確率の方が高いのなら、静養する意味はない。「悪い・・・・」
「病人は黙って寝てるネ」
雑巾を絞った神楽は、土方が血で汚した床を拭き清めている。
発作が来るたびに外に出てやり過ごしている土方だったが、神楽がいなければとっくに救急車で運ばれ、病は露見していたはずだ。
そうなればあの近藤のこと、強引に土方を静養させるに決まっていた。
どのみち、もう長くは無いのだ。
最後まで近藤のために働き、志を同じくする仲間達のいる場所で死ねるのなら本望だった。
唯一心残りがあるとすれば、何の見返りも求めず、こうして付き添っている神楽の存在だろうか。
「何アルか、これ」
枕元に置かれていた鞄に目を留めた神楽が訊ねると、土方は薄目をあけて鞄を見やる。
「お前にやる」
「私?」
怪訝そうに首を傾げた神楽は、中身を確認するなり、目を大きく見開いた。
貧乏な万事屋では滅多に見ることの出来ない小判の山だ。
「それぐらいしかできねーからな」
「・・・・いらないアルヨ、こんなの」
とたんに不機嫌になった神楽は、鞄を枕元に押し戻す。
金が欲しくて彼の世話をしていたと思われたのなら心外だ。
「じゃあ、何が望みなんだよ」目線を上げた土方に問われて、神楽は押し黙る。
出来ることならば、今すぐ江戸を離れ、どこか田舎でのんびりと暮らして欲しい。
だが、それは彼には叶えられない願いだ。
土方から近藤と真選組を取り上げれば何も残らない。
その情熱がよく分かっていたから、彼が困るようなことは言いたくなかった。
「次に生まれ変わったら、私の下僕になるヨロシ」
「・・・はぁ?」
「前世の分までこき使うアルヨ。覚悟するネ」
半身を起こそうとした土方の額をぴしゃりと叩くと、神楽は彼の瞳を静かに見据える。
「次は元気な体で生まれて来い」
言葉と共に優しく頭を撫でられ、土方は母や姉がそばにいるような錯覚に陥ってしまう。
なんとなく、新たな世界で小生意気なチャイナ娘に振り回されている自分の姿を想像してしまい、頬が緩んだ。
そのときは近藤や沖田や、歌舞伎町の皆が一緒にいる場所がいい。
「分かった」初めて見る優しい笑顔に、こみ上げてくるものがあった神楽だが、唇を噛み締めて必死に堪える。
涙を流すのは、彼がいなくなったあとだ。
未練を残して逝かせるわけにはいかない。
何とか微笑み返したはずだったが、ちゃんと笑顔を作れていたかどうか、神楽には自信が無かった。
チャイムの音が鳴り響く中、まどろんでいる神楽は体を起こすのが億劫で、ごろごろと寝返りを打つ。
弁当を食べたあとの屋上での昼寝は神楽の日課だ。
自分に歩み寄る足音で、その主がすぐに分かったから、神楽は目をつぶって寝たふりを続けた。
「授業始まるぞ」
傍らに座った彼は、のんびりとした口調で神楽に告げる。
「・・・お前だってサボりアル」
「俺はお前を連れ戻すように担任に言われたんだよ」
会話の途中、勢いよく体を起こした神楽は、土方の顔をまじまじと見つめた。
吐く息があたりそうなほどの近距離に、土方は思わず目を泳がせる。
「な、なんだよ」
「・・・・変な夢を見たネ」どこか知らない町で、病に倒れた土方を自分が必死に看病している。
だがそれは夢の話、目の前のいる彼は全くの健康体で、風紀委員として生徒達の行動に目を光らせていた。
戸惑っている土方の気持ちなど知らず、神楽は満面の笑みを浮かべて彼に抱きつく。
勢い余って後方に倒れこんでしまったが、神楽にこうして飛びつかれるのは日常茶飯事だ。
土方の好みのタイプの女性は、落ち着きのある年上女性のはずだが、神楽の笑顔にはどうにも弱かった。
「売店行って、イチゴ牛乳買って来るヨロシ。そうしたら授業に出てやってもいいネ」
「何で俺が」
断固として抗議する構えの土方に、神楽は楽しげに笑い声を漏らす。
「前世の約束アル」
あとがき??
河村恵利先生の漫画が元ネタなんですけどね。楠正成の息子の話の。
もう、元ネタでもなんでもないんじゃあ・・・ってくらい変化していますけど。