猫でごめん! 2


鬼太郎の家を出たねこ娘の足取りは重く、無意識に邪魔な小石を蹴り上げていた。
自分では体重の増加と髪の長さくらいの変化しか感じないのだが、他人の目で見ると随分と違って見えるらしい。
明らかに自分を避けていると思われる鬼太郎の態度に、ねこ娘は大いに傷ついていた。
それは少し大人になったねこ娘の姿にときめいていたせいなのだが、少年の心の機微はねこ娘には伝わらない。
「どうしよう・・・・」
じわりと滲んできた涙を拭うと、ねこ娘は妖怪アパートへと続く道を逸れて、川の方へと下りていった。
赤い瞳のまま砂かけ婆の部屋を訪ねれば、よけいな心配を掛けてしまう。
いつも通り笑えるようになるには、もう少し時間が必要なようだった。

 

「おいーーー!!!はやまっちゃいけねーぜーー!!!」
「・・・・ん?」
静かな森に響く濁声に眉を寄せたねこ娘は、それが自分に向けられたものとは知らずに振り返る。
突進してくるねずみ男を見た瞬間、後方に避けたのはとっさの判断だ。
目標物を失ったためか、足をもつれさせたねずみ男は転がるようにして川の中へと落ちていった。
大きな水音に目をつむったあと、丸太橋を歩くねこ娘は怪訝そうに彼に近づいていく。
「・・・・何やってるの?」
「何って・・・・、お前さん、身投げしようとしたんじゃ」
「こんな浅い川で死ねるはずないじゃない」
言われて初めて、ねずみ男は自分が尻餅をついている川が4、50センチばかりの深さしかないことに気づく。
丸太橋の上に思い詰めた表情で佇む少女がいたばかりに、妙な勘違いをしてしまったようだ。

「けっ、まぎらわしーんだよ!大体なー・・・・」
そのまま悪態を付こうとしたねずみ男だったが、少女の姿を見ているうちに段々と声のトーンを落としていった。
この辺りでは見かけない少女で、ねずみ男の好みのタイプにばっちり当てはまる。
つり目がちな大きな瞳に、濡れたような赤い唇が目を惹く、芸能人でもなかなかいない美少女だ。
相手が美人なら喧嘩をするより仲良くした方が得策というものだった。
「お嬢さん、失礼しました。近くに僕の別荘があるんですけど、お茶でも飲んで少し休憩していきませんか」
「いいわよ」
がらりと口調を変えたねずみ男の誘いに、ねこ娘は素直に頷いてみせる。
ねずみ男のことは大嫌いだったが、自分のせいで川に落ちたのだと思うと、少々申し訳がないような気がした。
本当は今にも飛びかかっていきたいが、お茶に付き合うくらいなら我慢できそうだ。

 

 

 

「猫妖怪は発情期に入ると相応の背格好に変化すると聞いたことがある。今回のねこ娘の成長もそれに関係してのことじゃな」
森を走る鬼太郎の頭に掴まりながら、目玉の親父はねこ娘の身に起きた現象を説明し始めた。
「でも、今までそんなことはなかったのに」
「年頃になってきたからじゃろう。わしもおばばも、ねこ娘にはまだ先のことと思い注意していなかったのがいけなかった。妙な男に引っかかる前に捕まえんと、ねこ娘が泣くことになるぞ」
「ねこ娘・・・」
不安げな表情のままねこ娘の足取りを追う鬼太郎は、川岸で立ち止まると、木立の中を注意深く見つめる。
先程まではねこ娘一人の妖気しかなかったが、途中から別の人物の気配が混じり始めた。
「・・・ここで誰かに会ったようです」
さらに意識を集中させた鬼太郎は、覚えのあるその妖気に目を細める。
「ねずみ男だ」

鬼太郎が知る妖怪の中で、ねずみ男は一番スケベでだらしのない性格だ。
そのねずみ男が、どういったわけか発情期の真っ最中のねこ娘の近くにいる。
「そういえば、ねずみ男の奴この辺りに別荘を造ったとか何とか言っていたような・・・」
目玉の親父が呟いたときには、鬼太郎はすでに駆け出していた。
冗談ではない。
今まで大切に慈しんできた幼なじみを、ねずみ男に横から攫われるなど許せるはずがなかった。
彼女は将来幽霊族の子を産む大事な体なのだ。
「鬼太郎、別荘は確かあっちの方角じゃぞ」
「分かっていますよ!」
走るうちに、鬼太郎の父親への返事も乱暴なものに変わっている。
我が子ながら、鬼太郎の体から滲み出た尋常でない殺気に、目玉の親父は思わず身震いをしていた。

 

 

 

「ブェックシュン!!」
盛大にくしゃみをしたねずみ男は同時に飛び出した鼻水を袖口で拭う。
「誰か噂してんのか?」
「きっと風邪をひいたのよ。早く着替えた方がいいわよ」
ひびの入った湯飲みに茶を入れたねこ娘は、眉を寄せながらねずみ男を見上げた。
別荘といっても、ねずみ男が自分で作った物なのだから雨風を何とか凌げるだけの掘っ建て小屋だ。
ねこ娘の気持ちもすっかり落ち着いたため、茶を飲み終わればこんなところに長居は無用だった。

「そんじゃあ、ちょっとあっちを向いていてくださいませんかい」
「分かってるわよ」
一間しかない部屋で、ねこ娘はねずみ男に促されて後ろを向く。
端から見るとボロ布だが、ねずみ男にとっての一張羅を行李から取り出したねずみ男は、さっそく濡れたままの服を脱ぎ捨てた。
建て付けの悪い戸がガタガタと音を鳴らして開いたのはその直後だ。
振り返ったねずみ男は、戸口の前に立つ鬼太郎を見て目を丸くする。
「あれ、鬼太郎じゃねーか。珍しいな、お前から俺に会いに来るなん・・・ギャーーー!!」
言い終わらないうちに、鬼太郎の投げたちゃんちゃんこに顔を覆われたねずみ男は、呼吸もままならず土間に転がった。
ねこ娘と一緒にいるねずみ男が半裸でうろついていたのだから、誤解するなという方が無理だ。
「な、何するのよ、鬼太郎!」
「無事だったか、ねこ娘」
「えっ、何が?」
驚いて身を乗り出したねこ娘は、鬼太郎が険しい顔をしている意味が分からず首を傾げる。
そのまま腕を掴まれて別荘から連れ出されたねこ娘だったが、鬼太郎は土間で昏倒しているねずみ男には目もくれなかった。

 

「そういえば、ちょっと熱がある・・・かな」
砂かけ婆に体調を聞かれたねこ娘は、額に手を当てて考えながら声を出した。
半妖のねこ娘は猫としての習性が強く表に出るときと、そうでないときと、波があるらしい。
体も本来ならばもっと妙齢の女性に変化してもおかしくなかったのだが、精神的な幼さも関係しているのか、10代半ばの見かけで留まっている。
普段よりも興奮しているようにも見えなかった。
「その、はつじょーきってやつが終われば元に戻れるのね」
「まあ、そういうことかの」
「よかったー」
猫妖怪ならば普通にやってくるもの、そして時期が来れば戻ると分かって、ねこ娘は安堵の笑みを浮かべている。
それが子作りに必要なものだとは、まだ理解出来てはいないようだった。

「いいかい。体の調子がおかしいうちは誰も部屋に入れちゃ駄目だからね。外出も禁止だよ」
「うん」
くどくどと同じことを繰り返して言う鬼太郎に、ねこ娘は素直に頷いてみせる。
本人に自覚がなくとも、ねずみ男のように美少女に変化したねこ娘に目を付ける妖怪&人間がいたら大変だ。
鬼太郎のそうした配慮も知らず、彼がいつも通り自分に接してくれるようになったことが嬉しくてたまらないねこ娘だった。


あとがき??
ねこ娘好きーなら、一度は書きたい発情期ネタ。
このネタで健全にしようと思ったら結構きついですね。
ねずみ男、ごめん!うちのねこ娘は、精神的にまだまだ子供のようですよ。
これとは別にネズネコ書きたかったんですが、話がかぶっちゃうなぁ。


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