半身 1


茶屋で休んでいたときに、団子を一つ分けたことがきっかけだったように思う。
鬼太郎の足に擦り寄ってきたその猫は人に馴れていて、体に触ると嬉しそうに喉を鳴らした。
抱き上げてみると首には住所と名前の書かれたネームプレートがつけてある。
「お前、
NEKOって名前なのか」
毛並みがよく、大事に飼われているらしいメスの子猫は「ニャー」と一声鳴いて答えた。
腕の中のある生き物の暖かさに、鬼太郎の顔が自然と綻ぶ。
誰かに抱き締められたことも、抱き締めることも、幼い時分から放浪を続けてきた鬼太郎の記憶では数えるばかりだ。
父親の目玉の親父ではけして与えることの出来ない、不思議な安心感だった。

 

それからは、事件があって町に出かけるたびにNEKOのいる家の近くを通るのが習慣になった。
NEKOは鬼太郎を「団子をくれる人」と認識しているのか、気配を察すると屋根の上にいてもすぐに駆けつけてくる。
「そんなに急がなくても、誰も取らないよ」
団子をぱくつく
NEKOの背中を撫でながら、鬼太郎は優しく語り掛ける。
出来れば住処である森に連れて帰ってそばに置きたかったが、飼い主がいるのだからそれは出来ない。
腐れ縁で、しょっちゅう家に顔を出すねずみ男も大反対するに決まっていた。

「どうしたの?」
団子を包んでいた竹の皮を懐に仕舞った鬼太郎が立ち上がると、その日にかぎって、
NEKOはしつこく彼に付きまとってくる。
後になって思えば、動物の第六感で鬼太郎の危機を察知していたのだと考えられるが、このときはそこまで頭が回らない。
「ごめんよ、もう行かなきゃいけないんだ」
「・・・・ニャー」
「日が落ちるから、そろそろ君は帰らないと」
まだ自分にくっついてくる
NEKOを塀の上に乗せると、鬼太郎は小走りで立ち去った。
夕暮れの街に向かう鬼太郎の後姿を眺める
NEKOは、暫しの逡巡の後、意を決した顔つきで地面に降り立つ。
姿は見えなくなっても、その匂いをたどれば、彼の後を追うことは可能だった。

 

 

 

夜が更けてから廃墟となった建物に現れるという犬族妖怪は、鬼太郎の説得にまるで耳を貸さず、話し合いは平行線だ。
何とか穏便に解決しようと試みる鬼太郎と、人間達への復讐しか頭にない妖怪とでは、最初から戦う覚悟が違う。
「お願いだ。これ以上、僕は戦いたくないんだ」
今にも崩れ落ちそうな建物に足を踏み入れた鬼太郎は、攻撃を受けながらも、必死に呼びかけていた。

「鬼太郎、後ろじゃ!!」
目玉の親父の声に反応して振り向くと、柱の影からジャンプした犬族妖怪の鋭い牙が間近に迫っている。
とっさに腕で父親のいる左目をかばった鬼太郎だったが、いつまで経っても彼の体に衝撃は伝わらない。
「妙な邪魔が入ったな・・・・」
鬼太郎が恐る恐る瞳を開けるのと、犬族妖怪が忌々しそうに呟いたのはほぼ同時だった。
鬼太郎の足元には、いつから戦いを見守っていたのか、腹から血を流して痙攣する
NEKOがいる。
とっさに
NEKOが飛び出さなければ、牙の餌食になっていたのは鬼太郎だったはずだ。
「汚ねぇ猫の血が付いちまった」
俯く鬼太郎の視界の隅には、血の唾を吐く犬族妖怪の姿がある。
彼は他にも何か喋っていたようだが、床に広がっていく血だまりを見つめ続ける鬼太郎の耳には入らない。
胸が、息苦しくなるほどざわついて、気持ちが悪かった。

「お前もこの牙の餌食になりたくなかったら・・・・」
牙と爪が自慢だった犬族妖怪の言葉は、鬼太郎と視線を合わせた瞬間、ふいに途切れる。
彼の纏う空気が、それまでとは明らかに変っていた。
温度が10度は下がったと思われる冷気、いや、妖気に犬族妖怪の足が自然と震えだす。
動物としての本能が、鬼太郎の怒りの大きさと、その実力の違いを彼に伝えていた。
「僕を怒らせたね」
明るい声音で囁かれたように聞こえたが、鬼太郎の顔に感情らしきものは浮かんでいない。
それが一層、犬族妖怪の恐怖をあおった。
「・・・や、やめろ、来るな!!」
カランコロンと下駄の音が近づき、逃げ出したい衝動に駆られる犬族妖怪だったが、足は彼の意思に反してまるで動かなかった。
怯えた眼差しで自分を見る妖怪に向かって手を伸ばすと、鬼太郎はにいっと笑いかける。
耳を劈くような悲鳴がこだました後、廃墟に残ったのは鬼太郎と目玉の親父、そして息も絶え絶えの子猫だけだ。
本来の静寂が戻ったものの、鬼太郎は冴えない表情でその場にしゃがみ込む。

 

「可哀相じゃが、この傷ではもうこの猫は・・・」
身を乗り出した目玉の親父が残念そうに呟いたときには、鬼太郎はすでに自分の爪で左手の皮膚を引き裂いていた。
「鬼太郎!?」
目玉の親父が止める隙も与えず、鬼太郎は上を向かせた
NEKOの口元に自分の血を垂らす。
「生命力の強い幽霊族の血なら、この子を助けることが出来るかもしれません」
「それは、そうじゃが・・・」
強すぎる力を持つ幽霊族の血肉は一族以外の生き物にとって、薬になるか毒になるか分からない。
だが、このままならNEKOは確実に命を落とす。
それがどうしても、鬼太郎には許せなかった。

「幽霊族の血が混じったからには、このNEKOも普通の猫には戻れまい。人間達を惑わす妖(あやかし)に変化したときは、どうする」
「僕が責任を取って始末しますよ」
鬼太郎が抱き上げると、
NEKOはまだぐったりとしていたが、傷口は早くも塞がりかけている。
昔から、幽霊族は度々気の合った人間や妖怪に自分の血肉を分け与え、一族の数を増やしていった。
あらゆる力を増幅させる幽霊族の体を付け狙う妖怪達は後を絶たなかったが、幽霊族の者が自分の意思で血肉を与えなければ、同じ幽霊族に変化することはない。
あとは体を細胞単位で変えていく幽霊族の血の威力に子猫が耐えられるかどうかだ。

 

 

「あっ!!お母さん、NEKOちゃんが戻ってきたよ!!!」
NEKOを玄関に置いてチャイムを鳴らすと、出てきた子供が慌てて家の中へと入っていった。
NEKOが無事に飼い主の家族に発見されるのを見届けた鬼太郎は、そのまま闇に溶け込むようにして姿を消す。
彼らがどこかに引っ越したという風の噂を聞いたのは、それから一週間後のことだ。
気にならないわけではないが、
NEKOが一命を取りとめ、もとのように飼い主一家に可愛がられているということが分かれば、それでいい。
いずれ時が経てば、再会できることが鬼太郎には分かっていた。


あとがき??
楠桂先生の『人狼草紙』と『
BLOOD+』を混ぜた感じのような・・・・。
個人的には碧ゆかこ先生の『狼なんかこわくない』だったんですけど。


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