道標 2


砂かけ婆が管理人をしている妖怪アパートに住むようになってからも、猫子は暇を見つけては鬼太郎親子の家に顔を見せた。
そして、掃除や洗濯や繕い物等の細々とした雑用をすませて、また帰っていく。
鬼太郎が頼んだわけではないが、命の恩人に対してそれぐらいするのは当然だと思っているようだ。
親戚の家に引き取られた頃は、朝早くから夜更けまで、ろくに食べる物を与えられず身を粉にして働いていた。
当時のことを考えれば、猫子にとって今の暮らしは天国のようだ。

 

 

「今日はお土産になるものが何もなかったから、これ」
その日やってきた猫子は、魚を獲ろうとして失敗したのか、着物の裾が少し濡れていた。
彼女の差し出した野の花を、鬼太郎は頬を緩めて受け取る。
「有難う」
にっこりと笑った鬼太郎だったが、袖口から覗いた猫子の腕を見るなり、その表情はにわかに曇る。
醜く引き攣れた火傷のあとが、痛々しく残っていた。
昨日今日ではなく、おそらくずっと以前に負った火傷だ。

「それは?」
「ああ、おじさんの家にいた頃に・・・。もう痛くもなんともないよ」
鬼太郎が指をさすと、猫子は言葉を濁しながら柔らかく微笑む。
あまり多くは語らないが、猫子が放浪していたことを考えれば、どういった扱いを受けていたのかがおのずと分かった。
それでも、彼女はいつでも笑っている。
猫子の強さはどこから生まれるものなのか、鬼太郎は心底不思議だった。

「辛くはない?」
着物の上から、そっと火傷のあとを擦るようにして言うと、猫子は目をぱちくりと瞬かせる。
「つらいって、何」
逆に聞き返され、鬼太郎は澄み切ったその瞳から目を離せなくなる。
純真な彼女の心には、自らの境遇を嘆くような負の感情が一切存在しない。
だからこそ、どれほど不幸な身の上でも、今まで前だけを向いて生き抜いてこられたのだ。

 

「・・・君は知らなくていいよ」
何故だか涙が出そうになって、鬼太郎は近頃少しばかり肉のついてきた、細い体を抱き寄せる。
日の光の下を歩いてきたからか、猫子からは太陽の香りがした。
これからは、自分が彼女を守るのだ。
猫子は幸せになることだけを考えていればいい。
「何か、困ったことがあったら何でも言ってね」
突然抱き締められて戸惑っていた猫子は、その言葉に、ようやく体の緊張を解いた。
「鬼太郎さんって本当に親切ね」
「そんなこと、ないよ・・・・」

猫子から家族を奪うきっかけを作った張本人なのだから、これくらいして当然だ。
もし自分が父親を殺され、全てを失ったときのことを考えると、それだけで身の毛がよだつ。
もう猫子を二度と悲しい目に合わせない。
明るく笑う猫子を間近で見つめ、同じように笑顔を返した鬼太郎は、固く心に誓った。

 

 

 

「・・・なんで鬼太郎さんの方が上手いの」
自分の手元に目をやり、頬を膨らませた猫子を見て、鬼太郎はくすくすと笑う。
野原で座り込む猫子は鬼太郎のためにシロツメクサで冠を作っていたのだが、生来の不器用さからなかなか上手くいかない。
そして、諦めてしまった猫子の代わりに鬼太郎がシロツメクサを手に取ると、いとも簡単に首飾りを作ってしまったのだ。
前に人間の子供に教わったことを、きちんと覚えていたらしい。
「・・・猫子ちゃん?」
「鬼太郎さんの方が、似合うわ」
渡された首飾りを猫子は手を伸ばして鬼太郎にかけた。
にこにこと笑う猫子を前にして、鬼太郎は困ったように頭をかく。
男の子の鬼太郎にすれば、花が似合うと言われても、喜んでいいのか微妙だ。

「「鬼太郎はわしに似て男前だ」って言ってたけど、目玉の親父さんって昔はそんなに格好よかったの?」
「さあ、僕が産まれたときは、もう父さんはあの姿だったし・・・・でも」
鬼太郎はシロツメクサの一つを猫子の髪に挿した。
やはり花は女の子と共にあるほうが映える。
「猫子ちゃんだって可愛いよ」
「いやだ、気を遣わなくていいのよ」
鬼太郎の肩を軽く叩いた猫子は、彼の言葉を明るく笑い飛ばした。
「醜女だって散々言われたし、髪だってひどい癖毛だからあまり長く伸ばせないし、いいところなんて一つもないもの。だから、器量が悪くても気立てがいいって言われるように、少しは家事の腕を・・・」
「君は自分の価値を分かっていないだけだよ」

 

喋り続ける猫子をさえぎるように、鬼太郎は視線を逸らしながら呟く。
今まで周りにいた者達が猫子をどう評価していたかは知らないが、彼女は明るく素直で、他人の心の痛みの分かる優しい女の子だ。
そうでなければ、人間の家族が彼女を引き取りたいなどと言い出すはずがない。
もう、随分前に顔見知りの老婆から話は聞かされていた。
あとは、鬼太郎が彼女にその意思を確認するだけだ。
化け猫体質とはいえ、猫子は本来人間なのだから、人間の世界で暮らすことが一番良いことは分かっている。
目玉の親父にも諭されていたが、鬼太郎はどうしても猫子に言えずにいた。

「鬼太郎さん?」
黙り込んでしまった鬼太郎に、猫子が怪訝そうな顔をする。
「・・・少し風が出てきたみたいだ。帰ろうか」
「うん」
立ち上がった鬼太郎が手を差し出すと、猫子は小さく頷いて掴まった。
「お土産沢山買って帰るって言っていたけど、親父さん、もう温泉から帰ってきてるかしらね」
笑って訊ねる猫子に、鬼太郎は無言の返事をする。
掌から伝わってくる他者のぬくもりが、自分を安堵させるということを猫子に会って初めて知った。
他の誰でもなく、彼女だからそう思えるのだろうか。
ずっとこうして歩いていたいのに、猫子を引き取ると申し出た人間や、猫子は人間界に戻った方がいいと言う目玉の親父が、今はひどく疎ましかった。

 

 

 

「猫子ちゃん・・・」
闇の中、彼女の姿を見出した鬼太郎は思わず声を出していた。
猫子を老婆の家へと送り出し、人間の世界と妖怪の世界のどちらに留まるか、最後の決断を委ねた鬼太郎は、不安でじっとしていられず森の入り口でずっと待っていたのだ。
そして、彼女は鬼太郎の望みどおりに、森へ帰ってきた。
家で待つ目玉の親父はため息をつくだろうが、鬼太郎が引き止めずとも自分で戻ってきたのだから、文句は言わせない。
静か笑うだけの鬼太郎が、このときにかぎって満面の笑みを浮かべていたことに、猫子は気づいていないようだった。

「鬼太郎さん」
いつものように鬼太郎と手を繋いだ猫子は上目遣いで彼を見上げる。
「ん?」
「ずっとずっと、そばにいてね。私のこと、いらなくなっても捨てないでね」
すがるような眼差しを向けてくる猫子に、鬼太郎は穏やかな口調で応える。
「一緒にいるよ、これから先もずっと」

 

憎まれても構わない。
猫子がこうして自分のそばにいることが全てだ。
猫子が寄る辺を失い、自分のいる森へと迷い込むことになった運命に、今では感謝すらしている。
「鬼太郎さん?」
もし10年前に時を戻せても、今ならば同じように、カワウソ妖怪を見逃したはずだ。
手放しはしない、永遠に。
にっこりと笑った鬼太郎が掌を握り返すと、猫子は安心したように微笑みを浮かべる。
正義の妖怪を騙りながら、猫子の人としての幸せを阻む自分は、随分と歪んでしまったのだと思った。


あとがき??
やっぱり鬼太郎は暗い方が萌えますよね。
表面笑顔で、無垢を装って、内心真っ黒。
唯一の肉親の目玉の親父さんが望むような、いい子を演じている。
目玉の親父さんがいるうちは、平静でいられるかと思います。


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