ハムラビ法典


「信じられないアル、信じられないアル、信じられないアル」
襟元を掴みながら、神楽は三回も繰り返した。
神楽の右頬を赤く腫れ上がっている。
常人の体ではないため、治りは早いが痛みは同じだけ感じるのだ。
そして、神楽が馬乗りになっている沖田は彼女同様、右頬を腫らせていた。

「やられたらやりかえす。それが俺の心情でェ」
「相手はか弱い女の子アルヨ!」
「てめーが殴ったから、殴り返して何が悪いってんだ。それに、どこにか弱い女がいるんでさァ」
ふてぶてしい表情で言い返す沖田に、神楽は「キー!」と甲高い声をあげる。
口の上手い彼には、どうやっても勝てる気がしない。

 

「こんな男が警察なんて、信じられないアルヨーー!!」
金切り声と共に彼の胸を叩いた神楽は、とたんに真顔になった。
「手足も細いし、実は本当は女だったなんてオチじゃないアルか・・・・」
「おいおい」
浴衣の前合わせを開いてペタペタと触った神楽だが、もちろん彼の胸は真っ平らだ。
恥じらいのある乙女が、まさか下も確かめるわけにいかない。
「・・・違うネ」
「当たり前でさァ」
女顔のため、昔から少女と間違われることはたびたびある沖田だが、こうも直接的に調べられたのは初めてだ。

「よいしょっと」
「わっ!」
突然上体を起こした沖田に、上に乗っかっていた神楽はころりと転がった。
先程までとは逆に、上から顔を覗き込まれた神楽は思わず唾を飲み込む。
彼がこうして意地の悪い笑みを浮かべたときは、何か非常に良くないことが起こる前触れだ。
「やられたらやりかえす。忠告はしましたぜ」
「ギャーー!!!」
腹の部分に他人の体温を感じた神楽は思わず悲鳴をあげる。

 

寝込みを襲おうと強襲したため、場所は屯所にある沖田の部屋で布団は敷きっぱなし。
両隣は隊長クラスの隊士の部屋だが、神楽がここに来る際に覗いたときは留守のようだった。
つまり騒いでも助けは来ず、究極のピンチだ。
焦る神楽をよそに、沖田は神妙な顔つきでタンクトップ姿の彼女を見下ろしている。

「・・・なんもない」
一目見るなり呟きを漏らした沖田に、神楽は状況を忘れて、怒りに顔を赤くした。
「し、失礼ね!!ちょっとはあるはずネ」
「そーかい?」
言われるまま、控えめなサイズの神楽の胸に手を伸ばした沖田はさらに首を傾げる。
「やっぱり俺と同じでさァ。これじゃー、どっちがお腹か背中か、分かりませんぜ」
「嫌な奴、嫌な奴、嫌な奴ーーー!!」

 

「沖田さーん。朝ご飯そろそろ片づけるんで早く・・・・」
すらりと開いた障子の奧を見た山崎は、振り向いた彼らと目が合うなり体を硬直させた。
布団の上にて、神楽を押し倒す格好で絡み合う二人。
沖田と神楽が付き合っているという話は聞いたことがないが、これで誤解をするなという方が難しい。
「な、何、してるんですか」
『喧嘩』
声を震わせて訊ねる山崎に、二人は声を合わせて返事をしていた。

 

 

 

「さっさとどくアル!」
「はいよ」
山崎が放心したように襖を閉めたあと、きつい口調で言われた沖田はすぐに手を離す。
捲られた裾を急いで直した神楽だったが、やられたらやりかえすという彼の言葉は、本当のようだ。
神楽が殴ったから殴り返した。
触られたから触り返した。
・・・他のことなら、どうだろう。

「チャイナ?」
浴衣から隊服に着替えようと行李を開けていた沖田は、背後に感じた温かさに眉を寄せる。
振り向く前に首筋にキスをされ、彼には珍しく動揺したようだ。
「ちょっ・・・な、何するんでェ」
神楽の体を無理矢理引き剥がすと、彼女は面白そうに笑って沖田を見る。
「どうする?」

 

やられたら、やりかえす。
それが沖田の心情だ。
暫くの間腕組みをして考えた沖田は、手招きして神楽を呼び寄せた。
「倍返し」

瞳を閉じながら、神楽は考える。
何を基準に倍にして、唇へのキスに変化したのか。
沖田に聞いても答えは返ってこないような気がした。


あとがき??
ハムラビ法典って、「やられたら、やりかえしてもいい」という意味だと思っていたんですが、「やられたら、それ以上のことをやりかえしたらいけない」という意味だったんですねぇ。
この違いは大きい。
仲が良いのか悪いのか微妙な二人ですが、猫がじゃれ合ってるだけみたいな雰囲気です。


戻る