そら 15


「お前、仕事はいいアルか?」
「今日は非番でさァ」
「ふーん・・・・」
確か昨日もそう言っていたような気がしたが、普段から昼寝ばかりしているのだから、沖田一人抜けてもたいした影響はないのだろう。
それで給料がもらえるのだから、何とも羨ましい話だ。
新聞を読んでもさして大きな事件は起こっていないらしく、江戸の町は平和だった。
「んー・・・、何するネ」
畳に正座をして新聞を眺めていた神楽は、後ろから抱き竦められて抗議の声をあげる。
「いーだろィ、ちょっとくらい」
「ちょっとじゃ終わらないから駄目アル」
口では文句を言っていてもさして嫌ではないらしく、神楽も沖田に応えて唇を合わせた。
これが神楽の部屋ならば床まで直行していただろうが、その場に居合わせた第三者がそれを認めるはずがない。

「僕がいること、忘れていませんか二人ともーーー!!!」
それまで我慢して書物を読んでいた新八は、頭の血管が切れそうなほど顔を赤くして金切り声をあげた。
抱き合ったままの二人は、そろって不満げな視線を新八に向ける。
「忘れちゃいませんぜ」
「新八が総楽の前であんまりイチャイチャするなって言ったネ」
「だからって、昼間から僕の部屋でべたべたするのも止めてください!!」
「何でェ、新婚の二人への気遣いはねーのかい」
「程度によりますよ!!!」
すっかり機嫌を損ねた新八は、沖田と神楽から顔を背けて口を尖らせている。
神楽と総楽の親子が志村家の世話になっている関係上、家主を怒らせると非常に厄介だ。
「・・・じゃあ、うちで続きでもするかい」

 

 

近藤が松平片栗虎に呼び出されて外出しているため、屯所には若い隊士達が何人か残っているだけだった。
山崎がカバディの練習を終えて戻ると、廊下に数人の隊士が集まっている。
首を傾げて近づいた山崎は、一番後ろにいた藤堂の肩を叩いた。
「何事?」
「それが・・・・・」
困惑した表情の藤堂は、床に落ちたままになっている花柄のキャミソールを指し示す。
特別な来客を除いて屯所は女人禁制だ。
だとすると、隊士の中に女装趣味の人物がいるか、変装用の小道具かのどちらかしかない。
「山崎さんのじゃないんですか?この前、潜入捜査をしたって言っていましたし」
「えー??」
おずおずと床にかがみ込んだ山崎は、キャミソールを拾って広げてみた。
サイズ的に、山崎よりずっと小柄な体型でないと着ることは出来ないようだ。
監察にそんな隊士がいただだろうかと考えていると、人だかりの後ろから軽やかな女の声が響いた。

「それ、私のネ」
振り向いた先にいた、下着姿の神楽を見るなり隊士達は一斉に体を硬直させる。
湯上がりらしく、火照った肌の神楽はタオルを首にかけて山崎に歩み寄った。
「お前が見つけてくれたアルか」
「は、はい」
ブラジャーから覗く胸の谷間に暫し目を奪われていた山崎は、慌てて落とし物を神楽に差し出した。
子供を一人生んだとは思えないほど細い腰だったが、出るところはきちんと出ているらしい。
「あっ、そうだ。駄目ですよチャイナさん、そんな格好でウロウロしたら!」
状況を理解するなり、山崎は自分の隊服の上着を脱いで神楽に羽織らせた。
銀時や新八の前でも下着姿でうろついていたため、神楽の方はさして気にしていないようだが、真選組の若い隊士達には目の毒だ。

 

「イチゴ牛乳」
「えっ?」
「イチゴ牛乳、飲みたいアル。ないアルか?」
山崎の声など聞こえていないのか、神楽はにっこりと笑って訊ねる。
男所帯の屯所に、そうした飲み物が常備されているはずがない。
つまり、買いに行けと命令しているのだ。
「じ、自分が買いに行ってきます!!」
踵を返した矢先に、すぐ後ろに立っていた人物にぶつかり、若い隊士はバランスを崩す。
倒れずにすんだものの、相手の顔を確かめるなり彼の顔から血の気が引いていった。
「ふ、副長」
鬼より怖い副長の登場に、一同は静まり返る。
普段から愛想のある方ではないが、据わった目で神楽を見つめる土方は明らかに怒っていた。

「・・・・何やってんだ、お前は」
「風呂を借りただけアル」
人を威圧する空気を持つ土方にただ一人屈せず、神楽は素っ気なく答える。
少し遅れてやってきた沖田は、緊張感のあるその場の雰囲気をまるで察していないらしく、タオルで髪を拭きながら土方を見やった。
「あれ、土方さんお早いお戻りで」
「総悟ーーーーーー!!!!」

 

 

新八に迷惑がられ、土方にどやされたことが原因でもないが、その日の夜に、通いで屯所にやってくる老僕に沖田は新居探しを頼んだ。
昔から感じていたことだが、沖田と神楽の間には、目には見えない境界線がある。
真選組の一番隊隊長としての沖田と、万事屋の一員である神楽。
互いの時間が交わることがあっても、いずれそれぞれの場所へ帰らなければならない。
夕方になるといつも時計を気にし始める神楽に、沖田は目隠しをしたくなった。
手に入れたつもりでも簡単にすり抜けていく。
自分に笑顔を向ける心の裏で、彼女が何を考えているか、沖田には未だに計り難かった。

 

 

 

「こちらですよ」
老僕の案内する家に足を踏み入れた沖田は、古い作りだが、綺麗に拭き清められた床を一瞥した。
少し前までさる商家の別宅として使われていたのだが、前の住人はかなり几帳面な性格だったようだ。
小さいながらも庭もあり、一番の利点は屯所から近いことだろうか。
身の回りの物を運べばすぐにも生活出来そうだ。
「如何ですか?」
「・・・ああ」
姉が死んで以来使わない金は貯め込んでいたため、沖田にも買えない値段ではなかった。

「父上、ここはどなたのお家ですか?」
顎に手を当てて考えていると、沖田のあとを付いてきた総楽がとたとたと中に入ってくる。
寺子屋に通い出してから友達が増えたらしく、総楽は近頃屯所に顔を見せることが少なくなった。
だが、家があれば同じ場所に毎日戻ってくるのだ。
「俺達のでさァ」
「えっ・・・」
「嫌かい?」
驚きに目を丸くした総楽の顔を見て、沖田は少しばかり苦笑する。
その頭を撫でると、初めて会ったときより幾分身長が伸びたようだった。
「父上にはもう住む場所があるでしょう?」
「あれは仕事場でさァ。あそこにいるなァ仲間で、家族じゃない」

 

沖田は総楽の鳶色の瞳を見つめながら思う。
性別の違いからか、総楽は段々と沖田よりもその姉のミツに似てきた。
神楽や総楽と一緒に暮らすことで、遠い昔に失った、あの空間を取り戻したいのだろうか。
家に帰ると自分を待つ人がいて、「ただいま」と「お帰りなさい」の声があって、自然と笑みが浮かぶ。
全く同じものでなくても、神楽達がいればまた一から新しく築くことが出来る。
屯所にいるときとは違う、自分の、自分だけの居場所。
問題は、神楽が素直に居心地の良い志村家から出て、新しく用意したこの家で暮らすことを承知するかどうかだった。

 

 

 

「分かったアル。いつ引っ越せばいいアルか?」
沖田の申し出を二つ返事で了承した神楽は、にっこりと笑って言った。
あまりにあっさりとした返答に、志村家まで挨拶に来た沖田が拍子抜けしたほどだ。
呆然とした顔で神楽を凝視していたらしく、彼女は怪訝そうに眉をひそめて訊ねた。
「何アルか、その顔」
「・・・断られるかと思った」
「何で?」
「旦那や眼鏡と離れてもいいんですかィ」
「別に今生の別れってわけじゃないアルヨ。事務所に行けば一緒に仕事もするアル」

神楽が庭に目をやると、朝のうちに新八が干した洗濯物がひらひらと風に揺れていた。
今日は銀時が大工の手伝いに出かけ、新八は事務所で留守番をしている。
別々に暮らしたところで3人の今の関係が変わることはないはずだ。
総楽は住み慣れた志村家を離れがたいかもしれないが、沖田には懐いているのだから、そのうち慣れるだろう。
いつまでも人のいい新八に頼るわけにいかず、丁度良い頃合いかもしれない。

 

「それにお前、私が帰ろうとするといつも寂しそうな顔するから、気になってたネ」
「そんな顔・・・・」
「してたヨ」
語調を強くして言われ、沖田は口をつぐむ。
再び沖田へと視線を戻した神楽は、明るい微笑みを浮かべて言葉を繋いだ。
「新八には姉御がいるけど、総悟の家族は私達だけアル。誰でも一人は嫌ネ」
新八に叱られたことが頭にあるのか、きょろきょろと周囲を窺った神楽はそのまま沖田に飛びついた。
「私も総悟とずっと一緒にいたいアル」


あとがき??
まだ神楽ちゃんの腹が目立ってくる前のようですよ。
一緒に住むまで長かったですねぇ。
最初は、前半の志村家や屯所での場面は無かったんですが、沖田&神楽の絡みがなくて寂しかったので、追加してみた。
今までで一番ラブラブなんじゃないでしょうかね。
以下はおまけ。


(土方さんは心配性)

「あいつら、本当に上手くやってんのか」
「それが・・・・」
沖田の新居に偵察に行った山崎は、困惑した表情で土方に報告を始める。
「沖田さんがご飯を作ってチャイナさんと総楽ちゃんに食べさせているんですよ」
「なにぃ!!」
「それが、結構美味しくて・・・・。沖田さんにあんな特技があったなんて」
山崎は俯き加減に呟いたが、土方には到底信じることが出来ない。
屯所では下働きの者を雇っているため、沖田が調理場に立ったことは一度もなかった。
いや、もし沖田が料理をしても、手を付ける者は誰もいなかったはずだ。

「総楽ちゃんが寝るときは、子守歌を歌ったりしていましたよ」
想像不可能な報告は土方の耳から素通りし、頭には入っていかなかった。
「一度様子を見に行ったらどうです?」
「いや、いい」
青い顔の土方は、手を振って山崎の言葉を遮る。
マイホームパパとなった沖田など、恐ろしくて自分の目で確認する気も起きない。
「悪夢にうなされそうだ・・・」


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