そら 9


万事屋の仕事が休みの日は、まず朝から掃除をして家中をピカピカにすることに決めていた。
門の外を掃き清め、庭まで入ってきた新八は、ふと道場のある方角へと目を向ける。
志村家の姉弟の悲願は『恒道館』の再興だ。
しかし、父が死んで以来門下生は一人も集まらず、妙は夜の仕事を、新八は万事屋で働いて食いつないでいる。
久しく使われていない道場を見るたびに、こんなことで大丈夫なのかと、つい考えてしまうのだ。

 

「新八」
ふいに名前を呼ばれ、振り返ると総楽が訝しげに新八を見ている。
「どうしたの?ぼんやりとして」
「ああ、別になんでもないよ。うん」
箒を片手に頭をかく新八は、誤魔化すように作り笑顔を浮かべた。
「僕ってこのまま駄目な眼鏡のまま一生終わっちゃうのかなぁ、なんて、ちょっと思っちゃって・・・・ハハッ」
「・・・・・・・」
総楽は無言のまま彼の顔を見つめ、新八は急に恥ずかしくなってきた。
気がふさいでいたとはいえ、子供に愚痴るなんて最低だ。
総楽もどう答えていいか、困っている。

「あ、い、今のなし・・・」
「駄目な眼鏡なんて、僕は一度も思ったことないですよ。新八は江戸で一番優しくて強い侍です」
「・・・・・・・それって褒めすぎのような」
「僕にとってはずっとそうです」
新八の手を取った総楽は、にっこりと微笑みながら続ける。
「今、屯所の皆さんに稽古をつけてもらっているんです。いつか一緒に道場を盛り立てていきましょう」
思いがけない言葉に、新八は目を見開く。
夜兎の血を引く総楽は、剣術に頼らずとも、傘があれば十分に強い。
近頃、真選組に通って竹刀を振っている話は聞いていたが、それが『恒道館』のためとは、思いもしなかった。
そして、総楽が口にすればそれが本当に実現するような気がして、新八は彼女の笑顔に応えるように、頬を緩ませる。
「有難う」

 

 

それから二人で道場の床を雑巾で拭き、母屋に戻った総楽は神楽と一緒に買い物に出かけた。
散歩がてら酢昆布を買うだけの予定だった神楽は、新八に他のお使いを頼まれ、散々文句を言いながら承諾する。
釣りで好きな菓子を買っていいと言われたからだろう。
なんにせよ、総楽がくっついていけば、妙なものを買ってくることはないはずだ。

 

「・・・・あれ、何だこれ」
神楽と総楽の部屋で掃除機をかけていた新八は、机の上にあった広告の紙切れを手に取る。
それは住宅物件を紹介する不動産関係のチラシだった。
神楽は銀時の真似をして新聞を読むのが日課だが、広告は全く目を通さず捨てていたはずだ。
もう一度チラシに目を落とした新八は、描かれている物件の間取りや方角を確かめるうちにハッとなる。
神楽達が志村家にいるのは他に寄る辺がなかったからで、沖田が帰ってきた今ならば、親子3人で暮らすということも考えられた。
何しろ公務員なのだから、持ち家はあるものの貯金のない新八よりはずっと裕福なはずだ。
こうしてチラシをチェックしているところをみると、志村家を去る話が具体的に決まり始めたのだろうか。

「ただいま帰りましたー」
廊下を歩く音と総楽の声を聞いた新八は、とっさにチラシを近くにあった雑誌に紛れ込ませる。
「ジャガイモとニンジン、やっぱり大江戸ストアが安かったアルヨ」
神楽と一緒にどたどたと部屋に入ってきた総楽は、新八が掃除機を持っていることに気づくとすぐに駆け寄った。
「続きは僕がやる」
「うん。じゃあ僕はそろそろお昼ご飯の用意をするね」
「私はその味見役アルー」
「神楽ちゃんは、そろそろ卵かけご飯以外の料理を作れるようになってよ」
台所へと向かう新八は傍らを見て苦笑したが、内心は穏やかではない。
神楽と総楽がこの家から出ていく。
そのときのことを考えるだけで胸が痛くなり、新八は自分の体が地面の下まで突き抜けるのではないかと思うほど落ち込んでしまった。

 

 

 

 

「恋煩いか、新八?」
「ええ!?」
ドキリとした新八は、持っていたカップをあやうく取り落としそうになる。
「な、な、何のことです?」
「さっきから、ため息ばっかりで動きも止まってる。図星かよ」
にやにやと笑う銀時から目をそらすと、新八は口を尖らせて反論した。
「今日もお仕事が入らなくて、今月どうやって暮らしていこうか考えていたんですよ。家賃だってもう随分と・・・・」
「おいおい、暗くなるような話をするなよ」
手を首の後ろで組んで座る銀時は、大きな口を開けて欠伸をする。
「とりあえず、造花を作る内職を片づけておけよ。真っ当に仕事をしていれば、そのうち沢山依頼が舞い込んでくるさ」
「そうですかねぇ・・・」

息抜きのために新たな茶を入れ直した新八は、何気なく窓の外へ目をやり、傘を差した神楽が事務所に近づいてくるのを見つける。
傍らにいるのは真選組の沖田だ。
途中でたまたま会ったのか、それとも待ち合わせをしていたのか、何も聞いていない新八には分からないが喧嘩はしていない。
銀時の言うように、神楽に恋をしているのだろうか。
だから、彼女が離れていくのがこんなにも不安で、何も手に付かないのか。
それにしては、神楽が他の男と楽しく会話をしていても、それほど強烈に嫉妬をする気にもならないのが不思議だった。

 

「はい、万事屋・・・・・・・えっ」
電話のベルを聞いて手を伸ばした銀時は、受話器を取るなり顔色を変える。
「はい、はい、歌舞伎町病院で・・・・」
振り向いた新八は、「病院」という単語に眉をひそめた。
何か、良くない知らせに違いない。
「新八、出かける用意をしろ!!神楽はどこ行った?」
「どうしたんですか!」
電話を切るなり、血相を変えて立ち上がった銀時に新八は不安げに訊ねる。
「総楽だ。あいつが怪我をして病院に運ばれた」

 

 

公園の木に登ったものの、あまりの高さに足がすくみ、そのまま降りられなくなった友達を助けようとしたらしい。
その子の下敷きになったわけだが怪我はすり傷ばかりで、包帯で腕をぐるぐる巻きにされた総楽は大げさだとふてくされていた。
病院に駆けつけた万事屋の面々は元気そうな総楽の姿に胸をなで下ろし、皆の顔からは一気に緊張が解けていく。
「夜兎の子供は強いアルヨ。これぐらいじゃ何ともないアル」
「何言ってんだよ。さっきまで泣きそうな顔をしていたのはどこのどいつだ」
「銀ちゃんこそ、ショックで白髪になったアル」
「これは元からだ」
和やかな雰囲気で銀時と神楽が言い合う中、一番後ろから病室に入ってきた新八は、無言のまま総楽に近づく。
表情は強ばり、怒っているようにも見えた総楽は、びくつきながら彼を見上げた。

「新八・・・・」
「良かった、無事で」
声を出した瞬間、新八の目から涙がこぼれ、総楽はそのまま抱き竦められる。
病院からの電話では怪我の程度が分からず、総楽にもしものことがあったらと思うと、目の前が真っ暗になった。
今ならばはっきりと分かる。
神楽親子が家から出ていくと思ったとき、あれほどショックを受けたのは神楽を沖田に取られるのが嫌だったのではない。
総楽が振り向けばいつもそばにいる距離にいないことが、たまらく嫌だったのだ。

 

 

 

「新八ー、私達の部屋にあったチラシ、知らないアルか?」
洗濯物をたたんでいる途中、居間に来た神楽の問いかけに、新八は少々暗い気持ちで振り返る。
「それなら、神楽ちゃんの部屋にある懸賞雑誌の間に挟まっていたと思うけど・・・」
「そうアルかー」
部屋に戻った神楽は、すぐにその雑誌を見つけて持ってきた。
「あったアル。これに
TVで見たクイズの答えと葉書の送り先が書いてあったネ」
「えっ・・・・・」
よく見ると、チラシの裏の無地の部分に、神楽の筆跡で細かい文字がちょこちょこと書かれていた。
必要だったのは住宅物件の方ではなく、裏のメモの部分だったらしい。

「何だーー」
「何ネ?」
思わず顔を綻ばせた新八に、神楽は訝しげな表情をする。
「あ、いや、住宅物件のチラシが机にあったから、もしかして沖田さんと一緒に暮らせる新居を探しているのかと思って・・・・」
新八が正直に話すと、神楽は明るく笑い飛ばした。
「私、新八みたいに料理も洗濯も駄目アル。まだ当分はここにお世話になるネ」
悪びれた風もなく言う神楽に、新八は少しだけホッとした。
これから先も神楽に変わって家事をすると思うとかなり複雑だが、姉と二人きりの静かな志村家に戻るよりはマシだ。

 

「それに、私はともかく、総楽はこの家を出てもすぐ戻ってくることになると思うネ」
「何で?」
「新八の嫁になれば、ずっとここにいるアルから」
「えっ・・・・」
みるみるうちに赤くなる新八の顔を、神楽は面白そうに眺めている。
「な、な、何言ってるのー!!」
「新八は総楽のこと好きアルヨ。総楽も同じだから、心配ないネ」
「だからって嫁だなんて、そ、そんな先のこと分からないっての」
新八と神楽が騒がしく口論していていると、廊下を歩く総楽が障子の隙間から顔を覗かせた。

「何のお話ですか?」
「そ、総楽ちゃん・・・・」
慌てる新八を横目に、神楽はくすくすと笑いながら答える。
「総楽は今日も可愛いってことアル」


あとがき??
広告のネタは『きょうの猫村さん 2』。
別に新八は幼女好きーじゃないので、総楽ちゃんが成長して大人になっても、ずっと好きでいてくれると思いますよ。
年の差カップル好きーなもので、すみません。


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