斜陽の人 2
「迎えに来るから。ここでじっとしてるんだぞ」
「はい」
近藤に優しく頭を撫でられた沖田は、主人に懐く子犬のように、満面の笑みで頷いた。
「待ってます」
戻ってこられるかどうかも分からないのに、軽はずみに約束をした近藤を土方は恨めしく思う。
沖田はきっと待っている。
一生でも待っている。
近藤が言えば、沖田はどんなことでも従うのだ。池田屋事件以降、体調を崩した沖田は医者に勧められ、江戸の外れにある町家で療養していた。
滞在先の植木屋の主人は真選組に好意的な人物で、親身に世話をしてくれているらしい。
一時期は骨と皮ばかりだった体は女性らしいふくよかさを取り戻し、気分のいいときは庭先を歩けるほど回復しているようだ。
「・・・近藤さん、そろそろ時間だ」
「ああ」
土方が声をかけると、戸口に向かって歩き始めた近藤は、もう一度振り返って沖田を見た。
「またな」
「近藤さんも、お気を付けて」寂しげな様子だった沖田は、片手を上げた近藤に笑顔で応える。
近藤に対しては惜しみない愛情を示す沖田だったが、土方とは最後まで目を合わせなかった。
悪気があったわけではなく、近藤ばかり見ていたから、土方のことは本当に視界に入っていなかったのかもしれない。
沖田が抜けたあとの真選組は天皇に楯突く逆賊として、さらに立場を悪くしていった。
衰退していく真選組の内情を沖田が知らずに過ごせたのは、不幸中の幸いだ。
逃亡先で偽名を見破られ、新政府軍に捕まった近藤が処刑されたことも、植木屋夫妻の厚意により沖田に伝えられることはなかった。
「何だ、あんたか」
来客と聞いて半身を起こして待っていた沖田は、土方を見るなり落胆した表情でため息をついた。
数ヶ月ぶりに会った土方は頬がこけ、顔には疲れの色がありありと見て取れる。
沖田は彼の背後を気にしたが、他に供の者は連れていないらしい。
「俺と一緒に来るんだ。仕度しろ」
「・・・何ですか、藪から棒に」
怪訝そうに訊ねる沖田に、土方は断定的な口調で言う。
「近藤さんが待ってる。植木屋の家族にはもう話をつけてあるから、早くしろ」近藤の名前を出したのが効いたのか、すぐに立ち上がった沖田は行李に入れた僅かな私物を纏めて衣服を整えだした。
戦で連戦連敗を続けた真選組は、すでに隊士達が散り散りとなっている。
人相書きが出回っているため、数少ない仲間は早く土方に逃げるよう忠告したが、唯一の心残りを置いていくわけにいかない。
危険を顧みず、江戸に引き返したのは土方ただ一人だ。
真選組の隊長をしていたことがばれれば、暗殺者の魔の手がいつ沖田に迫るかも分からなかった。
沖田は自分で歩くと言い張ったが、土方は強引に彼女を背負い、大きな街道から一つ逸れた道を北へと進む。
まだ政府の手の及んでいない未開の地ならば、受け入れてくれるところがあるはずだ。
そこで徳川家再興のために活動する者達に尽力するか、過去を全て消し去って逃亡するか。
土方はまだ決めかねている。
近藤がいたならば前者を押しただろうが、今、彼の心を占めているのは死んだ近藤よりも、生きている沖田のことだ。
血気にはやる気持ちは、どうしてか沖田の重みを背中に感じて歩いているうちにどんどん萎んでいった。
彼女を見ていると、戦地に戻ることが怖くなる。
このまま沖田を連れて、平坦な道をどこまでも歩き続けたいと思ってしまう。
だが、近藤や他の志半ばで逝った隊士のことを思うと、そんなことが許されるはずもない。「綺麗・・・・」
暗い顔つきで考え込んでいた土方は、耳元で囁かれた声を聞いて、ふと目線をあげる。
そして、このとき初めて周囲の光景が一変していたことに気づいた。
明るい太陽の下、咲き誇る菜の花が、広い畑を黄色い絨毯のように彩っている。
雲一つない青空とのコントラストは、得も言われぬ美しさだ。
今までよほど心に余裕がなかったのだろう。
目に映る物を見ておらず、春の風を感じることも忘れ、ずっと同じ林の中を歩いているのだと思いこんでいた。「土方さんは昔から嘘をつくのが下手ですね」
立ち尽くし、暫しその風景に目を奪われていた土方の耳に、沖田の悲しげな呟きが届く。
「近藤さんはもういないのでしょう」
「・・・・」
「私の夢枕に立ったんですよ。「俺はもう駄目だから、これからはトシを支えてやってくれ。お前達は生き延びてくれ」って。そうしたら、本当にあなたが迎えに来た」
何とも答えることが出来ない土方の肩を、沖田は肌に痣が残るほど強く掴む。
「近藤さんがいないなら、何の意味もないのに・・・」何があっても近藤を信じて付いてきたというのに、沖田は彼の最期に立ち会うことも、あとを追うことも許してもらえなかった。
そして、沖田は近藤の言葉には逆らえない。
「ひどい人だ、近藤さんは・・・」
堰を切ったように泣きだした沖田を気遣うように見たあと、土方は再び前を向いて歩き出した。
その瞳にはもう迷いはない。
近藤が最期に望んだこと。
叶えなければ、いつかまた再会したときに、ひどくどやされるような気がした。
昔の夢を、近頃よく見る。
姉がいて、近藤がいて、多摩の自然に囲まれて笑っている、子供時代の夢だ。
近藤は貧乏道場の主で、沖田姉妹は親の残したわずかな遺産や、近所の家の手伝いをして食いつなぐ日々。
真選組として働いていたときよりも金はなかったが、楽しかった。
近藤も、本当は帰りたかったにちがいない。
幸せが当然のように身近にあったから、遠く離れるまでその大切さに気づけなかったのだ。「総楽」
大きな口を開けて気持ちよく眠っていた沖田は、誰かに軽く頭を叩かれて目を覚ます。
「子供と一緒に昼寝するな。まだ薪割り終わってないだろ。働かざる者、食うべからずだ」
「・・・・変なの」
不機嫌そうに身を起こした沖田は、傍らで寝息を立てる幼子に目をやったあと、睨むように土方を見る。
「何であんたまで一緒にいるんだよ」
「はぁ?」沖田の夢には必ず土方も出てくる。
願望ならば姉と近藤だけで充分なはずなのに、彼は見たこともないほど穏やかな顔で笑っているのだ。
多摩にいた頃の土方は沖田の悪戯に目くじらを立ててばかりで、あんな表情を見せたことがなかった。
「あんたなんか、嫌いだ」
唇を尖らせ、すでに口癖になっている言葉を繰り返すと、土方は気にした風もなく笑顔を返す。
それは夢で見るのと全く同じ顔だった。
近藤を守っているつもりが、随分と前から彼の眼差しに守られていたことを知ったのは、つい最近のことだ。
故郷を捨て、名前を捨て、逃亡の末にたどり着いた北の国。
自給自足で貧しい生活だったが、不自由は感じなかった。
風の噂では永倉や斉藤、島田も無事に生き延びたらしく、長生きをすればまた会えるときが来るのかもしれない。
鬼と呼ばれた副長と一番隊の斬り込み隊長が辺境の地で夫婦になり、農業で生計を立ててのんびり暮らしているとは、彼らも思っていないことだろう。
あとがき??
大河ドラマの『新選組!』を意識した話でしたが、『幕末純情伝』も入っているような。
史実は無視して、最期はハッピーエンドです。
最後に落ち着くところが決まっているから、間の真選組時代の話も楽に書けるかなぁ。
ちなみに、『君は僕の太陽だ 1』の時点で沖田くんは13歳くらい、『斜陽の人 1』では23歳くらい。
土方さんは沖田くん+6歳くらい。近藤さんはもっとずっと上。
ミツバさんは本編と同様に、沖田くん18歳のときに死亡しています。
二人が暮らしている村では「あのイケメンの旦那と綺麗な奥さんは、どうやら駆け落ちしてきたらしい」と噂しているそうな・・・。
お節介なおばさん達に「協力するから、頑張るんだよ!」と励まされ、首を傾げる沖田くん。別の意味で逃亡者なんですが。