神様より偉い人 5
会いたいな。
全ての授業が終わり、筆記用具を鞄に仕舞いながら、ふと、そんなことを思った。
いつもならば神田にある榎木津ビルヂングに立ち寄るところだが、今はテスト前の大事な時期だ。
友達と共に図書館に通い詰めで、到底そんな余裕はない。
全ての教科のテストが終わる半月後まで、探偵事務所に行くことは控えることにした美由紀だったが、ほんの一週間顔を見ないだけで随分と心細かった。
傍若無人な探偵のよく通る声と、満面の笑顔。
何故だかひどく懐かしくなってしまう。
「女学生君」
そう、彼はこんな風に自分を呼ぶのだ。
思いが強すぎたのか、幻聴まで聴こえてきたらしい。
俯いて机の上を見つめていた美由紀は、周囲がざわついていることにようやく気づいた。
非常に嫌な予感がする。
勢いよく顔をあげた美由紀の視界に入ったのは、黒板の前で自分に向かってひらひらと片手を振る榎木津の姿だ。
そのまま意識を失ってしまうかと思うほどの衝撃だった。
「探偵さん!!」
「そうとも。僕は世界唯一の探偵だ」
偉そうに胸をそらして応える榎木津を、美由紀は目を皿のように丸くして見つめ続けた。
夢や幻ではなく、現実だ。
榎木津が、美由紀の通っている女学校の教室に立っている。「ど、ど、どうして、ここに」
「君の名前を出したら、親切な娘さんが案内してくれたんだ」
「いえ、そうでなくて、理由を・・・・」
「女学生君の顔を見に来たに決まってるじゃないか。君が会いに来てくれないから、僕は随分と寂しい思いをしていたんだ」
つかつかと美由紀に歩み寄る榎木津がにっこりと笑って答えると、教室に残っていた生徒達の間から黄色い声があがり、好奇の視線がいっぺんに彼女へと集まった。
火が出そうなほど顔を真っ赤にした美由紀は、口をぱくぱくと動かすだけで、声を出すことが出来ない。
果たして、クラスメートの前で自分はどういった返答をすればいいのか。
すぐには頭が回らなかった。
「皆さん、静かに!」
美由紀が言葉を発する前に、手を軽く打ち鳴らして教室に入ってきたのは、美由紀の担任だ。
まだ20代半ばの女教師だが、化粧っ気が全く無く、髪を後ろに引っ詰めた容姿は10以上老けて見えた。
おそらく生徒達の騒ぎを聞きつけて、職員室から駆けて来たのだろう。
「呉さん、こちらの方はあなたのお知り合いなのですか!?」
「・・・・えっと、その」
黒縁の眼鏡の奥から、自分を鋭く見据えてくる瞳に臆した美由紀は、しどろもどろに声を絞り出す。
知り合いといえば知り合いだが、どういった関係かを訊ねられると非常に困る。
口ごもる美由紀から答え聞きだすことを諦めたのか、女教師は彼女の隣りにいる榎木津を睨みつけた。
「そこのあなたも、部外者の方が校内に入るには、許可が必要なのですよ。ここが伝統ある女学校ということを分かっていて、あなたは・・・・」
「女学生君」
女教師がきびきびした口調で説教しているというのに、榎木津は困惑した表情で美由紀に話しかける。
「なんで彼女だけこの学校の制服を着ていないんだ?」
「えっ・・・・・」言われた意味が分からず、美由紀はぽかんと口を開けた。
代わりに答えたのは、小さく咳払いをした女教師だ。
「わ、私はこの学校の教師です。生徒と同じように制服を着ているはずがないでしょう」
「ああ・・・・・、それは失礼しました」
女教師の姿を頭から足の先まで見つめた後、恭しく一礼した榎木津は、柔らかな微笑を浮かべる。
「随分と若々しく、はつらつとしていらっしゃるので、この学校の生徒さんかと思いました。勘違いをお詫び致します」
その瞬間、女教師の周囲からは先ほどまでの刺々しい空気が一気に霧散してしまった。
何しろ映画スターでも滅多にいないような美形の榎木津が、優雅な物腰で微笑みかけたのだ。
若い女性ならば誰でものぼせ上がってしまう。
それはまるでしゃれっ気の無い女教師といえど例外ではなかった。「行こうか、女学生君」
「え、あ、あの、ちょっと・・・・・」
ぽーっとなっている女教師の脇を、美由紀の腕を取った榎木津は簡単にすり抜ける。
まだ戸惑っている美由紀だったが、確かにこの場に長居は無用かもしれない。
女教師一人ならまだしも、教頭や校長が出てくればさらに騒ぎが大きくなる。
榎木津を連れてこのまま退散した方が、まだあとから言い訳が出来そうだった。
「ちょっと強引すぎないですか・・・・」
「そうだったかな」
近くの甘味茶屋に入るなり、美由紀は咎めるような眼差しで榎木津を見たが、彼は一向に気にした風はない。
ただ、にこにこと笑って美由紀を見つめるだけだ。
「私、テストがあるから暫く来られないって言いましたよね」
「それは聞いた。でも、我慢できなくなったんだから仕方がない」
「仕方がないって・・・・」
「じゃあ、女学生君は僕に会いたくなかったのかい?」
机に頬杖をついた榎木津が、悪戯な笑みを浮かべながら訊ねる。
まるで、美由紀の心を最初から見抜いていたかのような問いかけだ。ずっと顔を見たい、声を聞きたいと思っていた。
学校の中に勝手に入ってきた榎木津を怒っていたというのに、彼も同じ気持ちだったと思うと、素直に嬉しい。
「・・・・・会いたかったです」
美由紀が小さな声で呟くと、榎木津は一層嬉しそうに顔を綻ばせる。
そして、はっきりと自覚してしてしまった。
この顔を、美由紀はずっと見たかったのだ。
あれ以来、美由紀はクラスメートの自分を見る目が少しばかり変わった気がした。
苦し紛れに榎木津のことを「親戚のお兄さん」と説明したため、紹介して欲しいという声があとを絶たない。
さらには、あれほど野暮ったい格好をしていた女教師が、急に明るい色合いの服を着るようになり、髪型や眼鏡も変えてすっかり若返ってしまった。
彼女もまた、榎木津との再会をそれとなく美由紀に願い出ている。
だが、彼女達の要求は美由紀を介さずとも、果たされる日が遠からずやってきた。「美由紀、あなたのお兄さん、また来てるわよ」
「ええ!!!」
クラスメートの連絡を受け、美由紀が校門前まで駆けつけると、確かに非常に目立つ長身の男がそこに立っていた。
遠巻きに彼を眺める生徒達をかき分けて進んだ美由紀は、肩で息をしながら彼に近づく。
美由紀に気づくなり、邪気の無い笑みを浮かべるその人を見て、脱力しそうになってしまった。
「やあ、三日ぶりだな」
「も、もう学校には来ないって約束したじゃないですか!」
「うん。だから中には入っていないよ」
「校門だって学校の敷地の・・・」
「会いたかったぞ、女学生君」
榎木津が人の話を聞かないのはいつものことだったが、突然腕を引かれて抱きすくめられた美由紀は、頭の中が真っ白になった。
校舎から出てきた生徒達が驚愕の表情で自分達を見ているのが手に取るように分かる。
「親戚のお兄さん」などという曖昧な説明で、次からクラスメート達が納得してくれるかどうか。
それが問題だった。
あとがき??
やっぱり、エノミユ好きだなぁ〜〜v
スランプ中なのに、書き出したら一気にラストまでいってしまった。
本当は千鶴子さんや秋彦さんが出てくる話を書く予定だったのですが、それはまた次の機会に・・・。