女学生君


雑踏の中、久しぶりに見かけた榎木津は、随分と肩を落として歩いていた。
相変わらず見目麗しく、道行く女性は全て振り返って彼を見ていたが、それに気づく余裕もないようだ。
美由紀が思わず声をかけたのは、彼のそんな姿を見ていたくなかったからだろうか。

「探偵さん」
振り返った榎木津は幸い美由紀の顔を覚えていたらしく、すぐさま笑み崩れる。
「やあ、久しぶりだ!」
何となくホッとした。
それから他愛のない話をしたのだが、彼は何故か途中からご機嫌になった。
にこにこと笑い、先ほどまでの鬱な雰囲気など消し飛んでいる。

「すぐ近くに僕の事務所がある。お茶くらいご馳走するから、寄り道したまえ」
「えっ、そんな、突然行ったらご迷惑に・・・」
「僕が良いと言ったら良いんだ。寮の門限まで随分と時間があるだろう」
「・・・はい」
美由紀の意思というのは、はなから眼中にないらしい。
事務所には益田の他に社員が一人いるようだが、苦労しているのではないかと、美由紀は会う前から看破してしまった。

 

 

 

「えーと、それで、君の名前は・・・」
事務所のある建物の手前まで来ると、榎木津は振り向いて訊ねる。
「ああ、呉美由紀です」
「字は?」
榎木津がポケットから出した手帳とペンに、美由紀は自分の名前を小さく書いた。
そして手帳を受け取るなり、榎木津はページの空いた部分に彼女の名前を何度も同じように筆記する。
「んーー・・・・」
目をつむり、うなり声を上げた榎木津を怪訝な表情で見ていると、彼は満面の笑みで美由紀に向き直った。
「よし、覚えた!!今度から女学生君のことは美由紀と呼ぼう。分かったかい」
「は、はい!」

肩を掴まれ、勢い込んで言われた美由紀は釣られて大きな声で返事をする。
人の名前を覚えるのに、彼は随分と労力を使うらしい。
やっぱり変わった人だと思っていると、彼は笑顔のまま言葉を続ける。
「じゃあ、美由紀は僕のことを礼二郎と呼ぶように」
「・・・・・ええっ!!?」
「その方が対等だろう。さあ、ためしに呼んでみたまえ」
「あ、あ、あの・・・」
「さあ!!」
両肩を押さえた状態で顔を近づけられ、美由紀はすっかりパニックを起こしていた。
何しろ、人形のように整った顔が今にも重なりそうなほど接近しているのだ。
とりあえず、名前を呼ぶまで離してもらえないことを悟り、震えながら声を絞り出す。

 

「れ、礼二郎・・・・・・・・さん」
「うん、それが良い!」
嬉しそうに笑う榎木津は、手を離すどころかそのまま美由紀の体を強く抱きしめた。
榎木津が長身なため、美由紀の顔は彼の胸というより腹部に近い場所にあたり、「うわ!!」と叫ぶのが精一杯だ。
「は、はな、はな、離して・・・」
「ハハハーーー、捕まえたぞーー」
小さな子供にするように、美由紀の体を高く抱え上げた榎木津は彼女の声など全く無視してぐるぐると回る。
混乱した美由紀が目眩を起こさなければ、道を横切る人々が怪訝な表情で見ていようとも、榎木津はその調子で町内を一周していたかもしれなかった。

 

 

 

「美由紀ちゃん、もう大丈夫?」
「は、はい。どうもすみません・・・・」
倒れて事務所のソファーで横になっていた美由紀は、介抱する益田に申し訳なさそうに頭を下げる。
額に置かれた濡れタオルを持ち、半身を起こすと寅吉に小言を言われた榎木津がむくれていた。
「中学生のお嬢さんの体を持ち上げて振り回すなんざ、いくらなんでもやりすぎでしょうよ」
「うるさい、うるさい。下僕の分際で、この僕に意見する気か」
じろりと寅吉を睨むものの、その声に覇気がないのは反省しているためだろう。
「ああ、もう大丈夫ですから。ご迷惑おかけしてすみません」
「無理しないようにね」
心配そうに言う益田を横目に、美由紀は自分のために運ばれてきたお茶を手に持った。

「ところで、このお嬢さんはどういったお知り合いで?依頼人には見えませんけど」
「ああ、彼女は房総の女学校の事件で知り合った・・・」
「僕の婚約者だ」
榎木津が益田の声に被さるようにして言うと、茶を口に含んでいた美由紀は勢いよくそれを吹き出す。
「す、すみません!」
むせた後、鞄から出したタオルで慌ててテーブルを拭く美由紀だったが、一部始終を見ていた榎木津は腹を抱えて爆笑していた。
「ハハハハハッ!!!いや、君の反応はやはり面白い、素質がある!!!」
「か、からかってたんですかい?」
「僕は嘘は言わない」
動揺する寅吉に、榎木津はいやにきっぱりと言い切った。

「し、知りません、私、知りません!!」
益田が訝しげに自分を見ていることに気づいた美由紀は、手を左右に振りながら必死にアピールした。
つい先ほど、再会したばかりなのだ。
婚約をするほど親密な関係ではけしてない。
「榎木津さん、美由紀ちゃんはこう言っていますけど」
「照れているのだ」
「・・・・・可哀相に」
人の意見を全く聞かず、勝手に物事を進めていく榎木津の性格を知っている寅吉は、早くも同情的な眼差しを美由紀に向けている。

 

「あの、た、探偵さん」
「礼二郎と呼びたまえ」
「れ、礼二郎さん、私・・・」
「美由紀は僕が嫌いかい?」
それまでうろたえる美由紀を面白がっているとしか思えない態度だった彼は、ふいに真顔になった。
思いがけず、真摯な眼差しを向けられた美由紀はそのまま口を引き結ぶ。
好きも嫌いもない。
再会してからずっと驚いてばかりで、よく考えがまとまっていないのだ。
気に入られているらしいということは分かるが、自分が榎木津をどう思っているか訊かれると、何と答えればいいか分からない。

「・・・嫌い、じゃないです」
とりあえず、それだけ言うと、榎木津はたちまち顔を綻ばせる。
「それは良かった」
子供のような、邪気のない笑顔だった。
大人の男性に使う言葉ではないと思うが、可愛いと表現するのがぴったりだ。
何となく見とれてしまった美由紀は、「婚約、おめでとうございます」「うん。あがめたまえ、敬いたまえ」という寅吉と榎木津の会話を耳にして我に返る。
「あの、でも、婚約とか、そういうことは全然考えられないんですけど!」
「君はいくつ?」
「14です」
「じゃあ、2年かけてじっくり考えたまえ。時間はある」
「・・・・はぁ」
榎木津の笑顔を見つめたまま、美由紀は気の抜けたような声を出した。

 

 

まだ中学生の美由紀には、結婚など遠い将来のことだ。
しかも、相手がこの破天荒な探偵となると、さらに想像することが出来ない。
「式は明治神宮」などと言う気の早い話を遠くの方で聞きながら、美由紀は気分を落ち着かせるために、新たに入れられた茶を飲み込む。
ただ、榎木津の質問が「嫌いかどうか」ということで良かったと思った。
「好きかどうか」と訊かれて「好きじゃない」とも言いにくい。
だとすると、好きなのだろうかと頭を抱えて悩む美由紀を、益田は不思議そうに見つめていた。


あとがき??
前作も含めて、なんだか非常に私らしいSSになった気がします。
もっと普通の話だったのに、何でこんなにギャグなんだろう。はて??
エノミユ愛だけで書き綴ったので、いろいろ満足しましたv
これで最後かなぁ。あと一つくらい書けるだろうか・・・。
ここまで読んでくださった方々、有り難うございました。


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